おおき‐たかとう〔おほきたかたふ〕【大木喬任】
大木喬任 おおき たかとう
佐賀生まれ。政治家。父は佐賀藩士。藩校弘道館に学び、勤王派として藩政改革を推進。新政府に出仕し、徴士、参与、軍務官判事、東京府知事などをつとめる。東京奠都にも尽力。明治4年(1871)文部卿となり、学制を制定。6年(1873)参議兼司法卿。萩の乱、神風連の乱で、反乱士族の処分にあたる。13年(1880)元老院議長。また民法編纂総裁として法典編纂に関わる。17年(1884)伯爵。21年(1888)から枢密顧問官を兼任し、翌年枢密院議長となる。第1次山県内閣の司法相、第1次松方内閣の文相を歴任。
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大木喬任
大木喬任
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大木 喬任(おおき たかとう、天保3年3月23日〈1832年4月23日〉- 明治32年〈1899年〉9月26日)は、明治期の日本の官僚、政治家[1]。通称を幡六[要説明]、民平[要説明]。
- ^ 朝日日本歴史人物事典「大木喬任」
- ^ 『澤柳柳太郎と帝国教育会-成城大学』
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、519頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ 『江藤南白』P640
- ^ [1]
- ^ 『国民過去帳 明治之巻』(尚古房、1935年)p.281
- ^ 大木喬任夫人『明治大臣の夫人』岩崎徂堂 (大学館, 1903)
- ^ 岡崎えん日本人名大辞典
- ^ 『官報』第993号「叙任及辞令」1886年10月20日。
- ^ 『官報』第3893号「叙任及辞令」1896年6月22日。
- ^ 中野文庫 - 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧(戦前の部)
- ^ 『官報』第307号、「叙任及辞令」1884年07月08日。
- ^ 中野文庫 - 旧・勲一等旭日桐花大綬章受章者一覧
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