福岡孝弟 ふくおか たかちか
高知生まれ。維新前は、高知藩を代表して、後藤象二郎とともに国事に奔走、大政奉還を実現させた。新政府樹立後は、参与として、制度事務掛、議事体裁取調御用、学校御用掛などを命じられ、五箇条の誓文の起草にも関与した。明治3年(1870)高知藩庁に転じ、藩政改革に尽力。5年(1872)新政府に再出仕し、文部大輔・司法大輔を歴任するが、6年(1873)の政変(征韓論争)に際し職を辞し、下野。13年(1880)元老院議官として政府に復帰。文部卿、参議、参事院議長、宮中顧問官、枢密顧問官などを務めた。17年(1884)子爵。
キーワード | 官僚, 政治家 |
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福岡孝弟
福岡孝弟
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福岡 孝弟[1](ふくおか たかちか、天保6年2月5日〈1835年3月3日〉- 大正8年〈1919年〉3月7日)は、日本の武士(土佐藩士)、政治家。五箇条の御誓文を加筆、政体書を起草した人物である。通称は藤次、雅号は南蘋。栄典は勲一等子爵。
- ^ 墓碑、戸籍謄本などによる(「福岡孝弟の墓」)。
- ^ 的野半介『江藤南白 上』南白顯彰会、1914、p643
- ^ 由利の文章と、孝弟の文章を混ぜて作成された。
- ^ 『官報』第1134号「叙任及辞令」1887年4月14日。
- ^ 「参議大山巌福岡孝弟佐々木高行元老院議長佐野常民特旨ヲ以テ勲一等ニ叙ス・附岩倉右大臣大山福岡佐々木三参議親授式執行」 アジア歴史資料センター Ref.A15110025200
- ^ 『官報』第307号、明治17年7月8日。
- ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
- ^ 『平成新修旧華族家系大成 下巻』434頁。
- ^ 人事興信所編『人事興信録』第7版、1925年、ふ68頁。
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