従一位とは? わかりやすく解説

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従一位

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/23 09:37 UTC 版)

従一位(じゅいちい)は、日本位階及び神階の位の一つ。正一位の下に位し、正二位の上位にあたる。

概要

律令制下では、女王や、臣下の女性に与えられる最高位であった。太政大臣(正従一位相当官)や、本来は位階の序列に含まれない令外官である関白の多くが従一位に叙せられた。

また後に、本来は大臣の職に就くことができない公卿羽林家名家半家)が従一位に昇叙した際には准大臣が宣下される慣習も定着した。

江戸時代には、将軍が引退し大御所となり、さらに太政大臣に任ぜられた場合には従一位に昇叙した。また、将軍の生母などが叙位された。三代将軍徳川家光の母である崇源院や五代将軍徳川綱吉の母である桂昌院はその例であり、桂昌院は従一位昇叙後「一位様」と敬称されたという。

明治11年(1878年)に作成された位階令案では従一位は太政大臣相当とされ[1]、明治16年(1883年)の貴族令案では右大臣左大臣相当の位階とされたが、これは両方とも制定はされなかった[2]。明治20年(1887年)に制定された叙位条例では、従一位は公爵に准じた礼遇を受けることとされた[3]。また叙位の際には天皇より親授される。勲等では大勲位に相当する。

従一位より上の正一位の叙位・贈位(追贈)はほとんど例がなく、鎌倉時代以降の生前叙位は三条実美ただ一人であり、贈位についても大正6年(1917年)の織田信長が最後の例となっている。したがって事実上、従一位が栄典としての位階における最高位である。ただし従一位も大日本帝国憲法下においては生前叙位は稀で、それも明治維新期に功績を上げた大名公家明治天皇の生母中山慶子や最側近であった徳大寺実則に限られた。1900年(明治33年)の中山慶子以降生前叙位は無く、原則的に死没後に叙されるものであった。

日本国憲法施行後まもなくの頃は、かつて昭和天皇の側近であった宮中政治家の死没時に叙されることがあったが、その後は内閣総理大臣の中でも5年以上の長期政権を築き上げた者が死没時に叙位されるものとされており、贈位は1960年の鈴木貫太郎を最後に行われていない。叙位は1975年の佐藤栄作の後、長く行われていなかったが、2019年に中曽根康弘[4]、2022年には安倍晋三に対して行われた。[5]

従一位に叙された人物

日付は叙位日(1872年12月2日までは旧暦)。没時追賜の場合は直前の位階を参考付記。叙位年がはっきりしている人物のみ記載。

古代・中世

近世

近代

  • 徳川慶勝 1869年(明治2年)9月26日
  • 島津斉彬 1869年(明治2年)11月22日 (贈従三位、追陞)[8]
  • 徳川斉昭 1869年(明治2年)12月20日 (従三位、没後追贈)
  • 徳川光圀 1869年(明治2年)12月25日 (従三位、没後追贈)
  • 毛利敬親 1871年(明治4年)(従二位、没後追贈、後に正一位追陞)
  • 山内豊信 1872年(明治5年)6月27日 (正二位)
  • 中山愛親 1884年(明治17年)4月7日 (正二位、没後追贈)
  • 島津久光 1887年(明治20年)9月21日
  • 嵯峨実愛 1888年(明治21年)1月20日(正二位)
  • 徳川慶喜 1888年(明治21年)6月20日(正二位)
  • 松平春嶽 1888年(明治21年)9月7日(正二位)
  • 六条有容 1890年(明治23年)3月19日 (従二位、没後追贈)
  • 中御門経之 1891年(明治24年)8月(正二位)
  • 岩倉恒具 1891年(明治24年)12月17日 (従二位、没後追贈)
  • 正親町三条公積 1891年(明治24年)12月17日 (従二位、没後追贈)
  • 烏丸光胤 1891年(明治24年)12月17日 (正二位、没後追贈)
  • 徳大寺公城 1891年(明治24年)12月17日 (従二位、没後追贈)
  • 伊達宗城 1892年(明治25年)12月17日(正二位)
  • 毛利元徳 1895年(明治28年)6月17日(正二位)
  • 島津忠義 1895年(明治28年)6月17日(正二位)
  • 徳大寺実則 1899年(明治32年)12月(正二位)
  • 中山慶子 1900年(明治33年)1月15日(正二位)
  • 鍋島直正 1900年(明治33年)3月6日 (贈正二位、追陞)
  • 黒田清隆 1900年(明治33年)8月25日(正二位、没後追贈)
  • 大久保利通 1901年(明治34年)5月22日 (贈正二位、追陞)[9]
  • 木戸孝允 1901年(明治34年)5月22日 (贈正二位、追陞))[9]
  • 大江磐代 1902年(明治35年)6月2日 (没後追贈)
  • 西郷従道 1902年(明治35年)7月18日 (正二位、没後追贈)
  • 菊池武時 1902年(明治35年)11月12日 (没後追贈)
  • 北条時宗 1904年(明治37年)5月17日 (正五位下、没後追贈)
  • 徳川茂承 1906年(明治39年)8月20日 (従二位、没後追贈)
  • 池田慶徳 1907年(明治40年)5月10日 (贈正二位、追陞)
  • 伊藤博文 1909年(明治42年)10月26日 (正二位、没後追贈)
  • 佐佐木高行 1910年(明治43年)3月2日(正三位、没後追贈)
  • 徳川昭武 1910年(明治43年)7月3日(正二位、没後追贈)
  • 桂太郎 1913年(大正2年)10月10日 (正二位、没後追贈)
  • 伊東祐亨 1914年(大正3年)1月16日(正二位、没後追贈)
  • 香川敬三 1915年(大正4年)3月18日(正二位、没後追贈)
  • 井上馨 1915年(大正4年)9月1日(正二位、没後追贈)
  • 三条西実隆 1915年(大正4年)11月10日 (正二位、没後追贈)
  • 山科言継 1915年(大正4年)11月10日 (正二位、没後追贈)
  • 津軽承昭 1916年(大正5年)7月19日(没後追贈)
  • 大山巌 1916年(大正5年)12月10日 (正二位、没後追贈)
  • 蜂須賀茂韶 1918年(大正7年)2月10日 (正二位、没後追贈)
  • 鷹司熙通 1918年(大正7年)5月17日(正二位、没後追贈)
  • 板垣退助 1919年(大正8年)7月16日(正二位、没後追贈[10]
  • 鍋島直大 1921年(大正10年)6月18日(正二位、没後追贈)
  • 大隈重信 1922年(大正11年)1月10日(正二位、没後追贈)
  • 山縣有朋 1922年(大正11年)2月1日 (正二位、没後追贈)
  • 松方正義 1924年(大正13年)7月2日(正二位、没後追贈)
  • 大谷光尊 1927年(昭和2年)4月30日 (正五位、没後追贈)
  • 葉室光親(藤原光親) 1928年(昭和3年)11月10日 (正二位、没後追贈)
  • 葉室宗行(藤原宗行) 1928年(昭和3年)11月10日 (正三位、没後追贈)[11]
  • 源有雅 1928年(昭和3年)11月10日 (正三位、没後追贈)
  • 井上良馨 1929年(昭和4年)3月22日 (正二位、没後追贈)
  • 上原勇作 1933年(昭和8年)6月8日 (正二位、没後追贈)
  • 山本権兵衛 1933年(昭和8年)12月9日 (正二位、没後追贈)
  • 東郷平八郎 1934年(昭和9年)5月30日 (正二位、没後追贈)
  • 名和長年 1935年(昭和10年)5月8日 (没後追贈)
  • 斎藤実 1936年(昭和11年)2月26日(正二位、没後追贈)
  • 浅野長勲 1937年(昭和12年)2月1日(正二位、没後追贈)
  • 田中光顕 1939年(昭和14年)3月28日(正二位、没後追贈)
  • 徳川家達 1940年(昭和15年)6月5日(正二位、没後追贈)
  • 西園寺公望 1940年(昭和]5年)11月24日 (正二位、没後追贈)
  • 清浦奎吾 1942年(昭和17年)11月7日 (正三位、没後追贈)
  • 大谷光勝 1943年(昭和18年)4月9日 (正五位、没後追贈)
  • 柳原愛子 1943年(昭和18年)10月16日 (正二位、没後追贈)

日本国憲法施行後

死没日追叙が慣例となっているが、鈴木貫太郎は死没後12年経った終戦記念日に叙されている。

氏名 主な役職 従一位に叙位された年月日 備考
牧野伸顕 外務大臣農商務大臣文部大臣内大臣 1949年昭和24年)1月25日 正二位、伯爵勲一等旭日桐花大綬章
松平恆雄 参議院議長(初代)、宮内大臣枢密顧問官駐米大使、駐英大使 1949年昭和24年)11月14日 正二位、勲一等旭日大綬章
幣原喜重郎 内閣総理大臣(第44代)、衆議院議長(第40代)、復員庁総裁、外務大臣 1951年昭和26年)3月10日 従二位、男爵、勲一等旭日桐花大綬章
鈴木貫太郎 内閣総理大臣(第42代)、枢密院議長侍従長海軍大将、海軍軍令部 1960年昭和35年)8月15日 正二位、男爵、勲一等旭日桐花大綬章、功三級金鵄勲章
吉田茂 内閣総理大臣(第45・48-51代)、外務大臣、農林大臣 1967年昭和42年)10月20日 正四位、大勲位菊花章頸飾大勲位菊花大綬章
佐藤榮作 内閣総理大臣(第61-63代)、大蔵大臣通商産業大臣ノーベル平和賞受賞者 1975年昭和50年)6月3日 従四位、大勲位菊花章頸飾、大勲位菊花大綬章
中曽根康弘[12] 内閣総理大臣(第71-73代)、運輸大臣、通商産業大臣 2019年令和元年)11月29日 従六位、大勲位菊花章頸飾、大勲位菊花大綬章
安倍晋三[13] 内閣総理大臣(第90・96-98代)、内閣官房長官 2022年(令和4年)7月8日 大勲位菊花章頸飾、大勲位菊花大綬章

脚注

出典

  1. ^ 藤井讓治 1990, p. 134.
  2. ^ 藤井讓治 1990, p. 138.
  3. ^ 藤井讓治 1990, p. 139-140.
  4. ^ “中曽根氏に従一位、大勲位菊花章頸飾を授与”. 産経ニュース. 産業経済新聞社. 27 December 2019. p. 1. 2019年12月27日閲覧.
  5. ^ 「安倍氏叙された「従一位」とは? 1400年続く日本の位階制度【政界Web】」『時事ドットコムニュース』2022年9月9日。
  6. ^ 宝台院の由来”. 宝台院. 2023年7月1日閲覧。
  7. ^ 芳賀ほか 1993, p. 431.
  8. ^ 贈権中納言従三位源斉彬ヲ追褒シ更ニ従一位ヲ贈ル」 アジア歴史資料センター Ref.A15070279100 
  9. ^ a b 贈正二位勲一等木戸孝允贈右大臣正二位勲一等大久保利通従一位追陞ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10110076000 
  10. ^ 『板垣精神 : 明治維新百五十年・板垣退助先生薨去百回忌記念』”. 一般社団法人 板垣退助先生顕彰会 (2019年2月11日). 2019年8月30日閲覧。
  11. ^ 『官報』號外「授爵,叙任及辞令」1928年11月10日. (1928/11). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957025/5 
  12. ^ 『官報』第168号7頁 令和2年1月14日号
  13. ^ 『官報』第776号8頁 令和4年7月14日号 (2022年7月14日). “叙位・叙勲”. 官報. 2022年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月14日閲覧。

参考文献

外部リンク





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