みなもと‐の‐とおる〔‐とほる〕【源融】
源融
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 21:02 UTC 版)
源 融(みなもと の とおる)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。嵯峨天皇の第十二皇子 [1](嵯峨第十二源氏)。嵯峨源氏融流初代。河原院、河原大臣と呼ばれた[2]。
注釈
出典
- ^ …棲霞寺は嵯峨天皇の第12皇子、左大臣源融(とおる)(822―895)…|清涼寺 コトバンク
- ^ a b c d e f g h 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第5巻』岩波書店、1984年12月、630頁。
- ^ 『日本三代実録』貞観10年閏12月28日条
- ^ 『日本三代実録』及び『中右記』
- ^ 『日本三代実録』仁和三年八月廿五日丙寅・八月廿六日丁卯両条
- ^ 『勅撰作者部類』[要文献特定詳細情報]
- ^ 吉元昭治 『不老長寿への旅:ニッポン神仙伝』 集英社 1998 ISBN 4-08-781139-5 pp.124-125.
- ^ a b c d e f g h i j k l 『公卿補任』
- 1 源融とは
- 2 源融の概要
- 3 源融と塩竈の関連
- 4 脚注
源融(みなもと の とおる)
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「応天の門」の記事における「源融(みなもと の とおる)」の解説
嵯峨帝の子で、信の弟。耽美趣味で、また藤原氏の台頭を快く思っておらず、源氏の財力にあかせて広大な庭園を造成するなどした。
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