崇徳天皇とは?

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すとく てんのう -てんわう 【崇徳天皇】 ○

1119~1164第七五代天皇在位1123~1141)。名は顕仁(あきひと)。鳥羽天皇第一皇子鳥羽上皇圧力異腹近衛天皇譲位新院と称した。のち保元の乱起こし讃岐さぬき)に配流され、同地で没した。墓を白峰しらみね)陵という。讃岐院

崇徳天皇

鳥羽天皇第一皇子で、母は藤原璋子
鳥羽天皇譲位を受けて五歳にして即位した。
幼少曾祖父白河法皇実権を握っていたが、1129年白河法皇が崩じ鳥羽上皇実権を握ると情勢一変した。
異母弟にあたる鳥羽上皇の第8皇子体仁親王(近衛天皇)が皇太弟となり、二年後には鳥羽上皇から譲位強要されて退位して、わずか2歳の鳥羽上皇の第8皇子体仁親王近衛天皇となってが即位した。
古事談によれば、これは鳥羽上皇が崇徳天皇を実子ではなく白河法皇ご落胤だと信じていたためだという。
1155年近衛天皇17歳崩じると、崇徳皇子重仁親王を即位させようと画策したが、鳥羽上皇によって崇徳同母雅仁親王後白河天皇として即位した。
破れ崇徳は、1156年鳥羽法皇崩御すると摂関家藤原頼長源為義平忠正らと語らい後白河天皇から皇位取り返すべく蜂起した。
しかし、備えをしていた後白河天皇側に源義朝平清盛らが参集し、源義朝献策により素早く夜襲をかけた(「保元の乱」という)。
これにより藤原頼長は矢に当たり戦死
崇徳天皇は捕らえられ讃岐国配流され失意のうちに1164年崩御した。


崇徳天皇 白峯陵
(すとくてんのう しらみねのみささぎ)

御陵写真 陵印
代   数 :第75
天 皇 名 :崇徳天皇
すとくてんのう
御   父 羽天皇
御   母 皇后璋子
御 陵 名 白峯
(しらみねのみささぎ
陵   形 :方丘
所 在 地 香川県坂出市青海町
交通機関等 JR坂出」からバス高屋下車  東へ6白峯寺よこ
陵印保管場所 :同陵隣接白峯寺

崇徳天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/30 04:20 UTC 版)

崇徳天皇(すとくてんのう、1119年7月7日元永2年5月28日〉- 1164年9月14日長寛2年8月26日〉)は日本の第75代天皇(在位: 1123年2月25日保安4年1月28日〉- 1142年1月5日永治元年12月7日〉)。顕仁(あきひと)。




注釈

  1. ^ 重仁親王の生母である兵衛佐殿は身分が低すぎ、かつ体仁親王の立太子後の誕生であったために、重仁親王は崇徳天皇在位中は皇位継承の候補者には成りえなかった。また、保延年間以降、崇徳天皇が政務に参加するとともに人事などを巡って父院と対立が生じたとされる(佐伯智広「鳥羽院政期の王家と皇位継承」)。
  2. ^ ただし、『本朝続文粋』に所収されている藤原頼長の左近衛大将上表文の文中から頼長が「皇太子傅」を兼任していたのことが判明することから、体仁親王の地位を確定する立太子の宣命には「皇太子」と明記されていたと推定され、譲位の宣命の表現にどれだけ有効性があるか疑問視する見方もある(佐伯智広「鳥羽院政期の王家と皇位継承」)。
  3. ^ 佐伯智広は近衛天皇が崇徳上皇との父子関係を維持しなければならない理由として、待賢門院流所領の継承問題があるとする。これは藤原璋子(待賢門院)から長男である崇徳上皇に継承された御願寺とその所領、崇徳上皇自身の御願寺である成勝寺とその所領などから成り、近衛天皇より先に崇徳上皇が没していればそれらの所領は「子」とみなされる近衛天皇が相続し得たとする。同様に近衛天皇没後に守仁親王ではなく父親で崇徳上皇とは同母弟であった雅仁親王が即位した理由も守仁親王に待賢門院流所領の継承資格を保持させるために雅仁からの父子継承を必要とし、別に近衛天皇の同母妹である姝子内親王との婚姻や同母姉である八条院の准母待遇を設定する事で彼女達の権利を相続する形で美福門流所領に対する継承権も与えようとしたと説く(佐伯智広「鳥羽院政期の王家と皇位継承」)。
  4. ^ 滋賀県大津市弘文天皇長等山前陵京都府京都市右京区京北(旧丹波国)の後花園天皇後山國陵は畿外であるが、いずれも都の至近に位置している。

出典

  1. ^ 今鏡』第八、腹々の御子
  2. ^ a b c 佐伯智広「鳥羽院政期の王家と皇位継承」『日本史研究』598号(2012年)/所収:佐伯『中世前期の政治構造と王家』(東京大学出版会、2015年) ISBN 978-4-13-026238-5
  3. ^ 栗山圭子「中世王家の存在形態と院政」(初出:『ヒストリア』193号(2005年)/所収:栗山『中世王家の成立と院政』(吉川弘文館、2012年)
  4. ^ 元木 pp.113-115
  5. ^ 元木 pp.115-116
  6. ^ 山内益次郎「崇徳院慰霊」『今鏡の周辺』和泉書院、1993年
  7. ^ 樋口健太郎「「保安元年の政変」と鳥羽天皇の後宮」(初出:『龍谷大学古代史論集』創刊号(2018年)/所収:樋口『中世王権の形成と摂関家』(吉川弘文館、2018年) ISBN 978-4-642-02948-3


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