崇徳可汗
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崇徳可汗(すうとくかがん、拼音:Chóngdé Kĕhàn、? - 824年)は、回鶻可汗国の第10代可汗[1]。名は不明。可汗号はキュン・テングリデ・ウルグ・ボルミシュ・キュチュリュグ・ビルゲ・カガン(Kün täŋridä uluγ bolmiš küčlüg bilgä qaγan)[2]といい、唐より崇徳可汗の称号(美称)を加えられた。
- ^ 資料によっては第9代となっている。
- ^ 「日天の聖霊より福を授かりし有力にして賢明なるカガン」の意。
- ^ いわゆる「絹馬貿易」によって唐が馬と引き換えに回鶻へ渡す絹織物。回鶻はここで得た絹織物をさらにソグド人を介してシルクロード貿易に使い、西方のガラス製品や絨毯(じゅうたん)・壁掛け・香辛料などを手に入れていた。
- ^ 回紇軍が東京(洛陽)に来ると、彼らは賊が平定されたことを理由に、ほしいままに残忍な振る舞いをしたので、男女はこれを恐れて、みな洛陽の聖善寺と白馬寺の2閣へ登って避難した。回紇軍は火を放って2つの寺を焼き払ったので、死者は1万人を数え、数10日間も火焔はやまなかった。こういうことがあったが、このときに回紇は朝賀して、思うままに官吏を侮辱して痛めつけた。そこで朝廷は陝州節度使の郭英乂を臨時に東都の留守番に任命した。そのときに東都は再び賊(史朝義軍)の侵略を受けたが、朔方軍および郭英乂・魚朝恩らの軍隊は暴動を禁止することができず、回紇軍とともにほしいままに城中および汝州・鄭州などを掠奪し、立ち並ぶ家屋は焼き尽くされ、その結果、人々はことごとく紙で衣服を作り、なかには経典の紙を衣服にする者もあったという。
- ^ 特勤(テギン、Tägin)とは、突厥や回紇における皇太子もしくは王子に与えられる称号。
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- 2 崇徳可汗の概要
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