唐とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 言葉 > 表現 > > の意味・解説 

から【唐/韓/漢】

読み方:から

朝鮮半島にあった国名から》

朝鮮中国古称多く中国をさす。また、中世以降広く外国のこと。「—天竺(てんじく)」

その夜の歌ども、—のも倭(やまと)のも、心ばへ深うおもしろくのみなむ」〈源・鈴虫

日本の事は申すに及ばず、—南蛮まで参りたりとも」〈虎明狂・賽の目

名詞の上に付いて朝鮮中国、さらに、外国から渡来したことを表す。「—歌」「—衣」「—錦(にしき)」

唐織(からお)り」の略。


とう【唐】

読み方:とう

常用漢字] [音]トウタウ)(漢) [訓]から もろこし

[一]トウ

中国の王朝の名。「唐詩盛唐入唐(にっとう)・晩唐李唐遣唐使

中国のこと。「唐音唐人唐土唐本

でたらめ。「荒唐無稽(こうとうむけい)」

だしぬけ。「唐突

[二]〈から〉中国。「唐草唐手(からて)・唐様(からよう)」

難読唐棣花(はねず)・唐土(もろこし)・唐黍(もろこしとうきび)


とう〔タウ〕【唐】


もろ‐こし【唐土/唐】

読み方:もろこし

昔、日本から中国呼んだ名。から。とうど。

昔、中国から伝来したものにつけた語。

[補説] 中国南方の越(えつ)(浙江(せっこう)省付近)の諸国・諸族の「諸越」の訓読みから起こり最初その地方をさしていたのが、しだいに中国全土をさすようになったという。一説に、その地方から諸物渡来した意とも。


読み方:カラkara

中国古称


Tang

トウ
タウ

【県侯】王季

長吏

県人


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/25 00:28 UTC 版)

(とう、拼音: Táng618年 - 907年)は、中国王朝である。李淵を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、中央アジアや、東南アジア北東アジア諸国(朝鮮半島渤海日本など)に、政制・文化などの面で多大な影響を与えた。首都は長安に置かれた。


注釈

  1. ^ 即位後わずか54日で廃位された。
  2. ^ 「曌」は「照」の則天文字
  3. ^ 705年、中宗に譲位して唐が復活。武周は一代15年で終わった。
  4. ^ 中宗に代わり韋皇后によって皇帝に擁立されたが1ヶ月で睿宗に譲位させられた。
  5. ^ 病気が元で即位後7ヶ月で譲位。
  6. ^ 宦官勢力によって父・昭宗が失脚させられた際に皇帝として擁立されたが、2ヶ月足らずで昭宗が返り咲いたため李裕の即位の事実は否定された。通例として歴代皇帝には数えられていない。

出典

  1. ^ Turchin, Peter; Adams, Jonathan M.; Hall, Thomas D (December 2006). “East-West Orientation of Historical Empires”. Journal of world-systems research 12 (2): 222. ISSN 1076-156X. http://jwsr.pitt.edu/ojs/index.php/jwsr/article/view/369/381. 
  2. ^ Taagepera, Rein (1997). “Expansion and Contraction Patterns of Large Polities: Context for Russia”. International Studies Quarterly 41 (3): 475–504. doi:10.1111/0020-8833.00053. JSTOR 2600793.  p. 492.
  3. ^ a b 松浦友久 『李白伝記論』研文出版、1994年9月、75頁。ISBN 978-4876361205 
  4. ^ 日本大百科全書』 - コトバンク「唐室の李氏は隴西を本貫とし、西涼の王室の裔を称するが、北魏時代モンゴリアと接する北辺の軍鎮に駐屯していた軍人の家柄で、北周の宇文氏・隋の楊氏と姻戚関係にあり、鮮卑族と通婚して北族的要素も受け継いでいた。…彼らは6世紀を通じ陝西・甘粛地方の土着勢力と融合した鮮卑・漢混血貴族グループで、武勇に優れ、漢代以来の華北の伝統文化を吸収していた。」
  5. ^ 桂小蘭 『古代中国の犬文化―食用と祭祀を中心に』大阪大学出版会、2005年3月1日、315頁。ISBN 978-4872591880。"唐の王朝は北方遊牧民族の血を引いて、食生活に「胡食」の影響を色濃く受けたことがわかる。しかし後の北宋王朝はまったくの漢民族であるが、やはり羊肉優位の状況が続いていた。"。 
  6. ^ 加藤徹 『貝と羊の中国人』新潮社新潮新書169〉、2006年6月16日、112-113頁。ISBN 978-4106101694。"隋の楊氏も唐の李氏も、遊牧民族である鮮卑族の血を、濃厚に引いていた。そのため、唐の皇室のランクは、漢民族の貴族の家柄より格下であると、世間では見なされていた。唐の第二代皇帝太宗は、臣下に命じて『貞観氏族志』という本を編纂させた。この本では、天下第一の名門を唐の皇室とし、漢民族の名門である崔氏や盧氏の上に置いていた。このような涙ぐましい宣伝にもかかわらず、唐一代を通じて、唐の皇室の血筋は、高貴とは見なされなかった。"。 
  7. ^ 伊達宗義 『民族性から見た日本と中国』拓殖大学海外事情研究所〈海外事情〉、1998年4月、80頁。 NAID 40000356369NCID AN00035090。"秦王朝のあとを受けた漢王朝は漢民族でありましたが、後漢のあとの五胡十六国は異民族でありますし、隋も唐も異民族の血が濃厚に入っております。"。 
  8. ^ 梅原猛 『日本冒険(下)』小学館〈梅原猛著作集8〉、2001年7月25日、326頁。ISBN 4096771082。"少なくとも漢以後の中国は、遊牧民の絶えざる侵入の歴史であるが、漢の前のあの「秦」「周」以後の分裂した中国を一つの国家に統一した秦もまた、その位置からいっても、遊牧民の血を多分にもった民族であったと考えられる。とすれば、中国の歴史は、北方からやってきた胡族の国家であった。その多くの胡族の国家の中で、鮮卑族の王朝「北魏」が台頭し、その北魏を倒した「隋」が二百年分裂した南北朝を統一したが、隋もまた鮮卑族の血を引く王朝であった。隋を滅ぽした「唐」も、自ら漢族と名告ったが、最近の研究では、北魏や隋と同じく、やはり鮮卑族の血を引いているといわれている。"。 
  9. ^ 陳寅恪 『唐代政治史述論稿』商務印書館、1998年、1頁。ISBN 9789570509342https://books.google.co.jp/books?id=L8Y4H1aGZbkC&pg=PA1&pg=PA1&dg#v=onepage&q&f=false 
  10. ^ [翻訳]陳寅恪『唐代政治史述論稿』, p. 288.
  11. ^ 銭穆 『國史大綱』商務印書館、1996年6月、第五編第27章頁。ISBN 978-7-100-01766-4。"近人有主李唐為蕃姓者,其事信否,無確據。然唐高祖李淵母獨孤氏,太宗母竇氏,外祖母宇文氏,高宗母長孫氏,玄宗母竇氏,皆胡族也。則李唐世系之深染胡化,不容諍論。"。 
  12. ^ 薩孟武 『西遊記與中國古代政治』三民書局、2018年7月13日。ISBN 9789571464183。"隋唐統一華夏,而隋唐皇室皆是虜漢相雜。……唐高祖李淵,祖虎在周賜大野氏,官至柱國大將軍,遷太尉。高祖后竇氏雖為華人,然東漢靈帝時,亡奔匈奴。遂為部落大人,其血統似屬漢胡雜種。太宗娶長孫氏為后,長孫氏乃是鮮卑種族。隋唐皇室雖然是漢胡雜種,而卻自居為華人。"。 
  13. ^ 岑仲勉 『隋唐史』商務印書館、2015年7月1日。ISBN 9787100085410。"渉李唐世系,近人曾提出兩項問題:其一為繆鳳林漢胡混合之北統。茲列舉李氏之血統如下:除獨孤、長孫都屬鮮卑無疑外,竇氏之先,相傳自後漢奔匈奴,故説者亦視如漠北之族。吾人對上古史能深入研究,此等問題,已覺不甚重要。萊忙脱氏言:『德人自誇為優越人種,且是純粹的諾曼種,實際上則彼輩已是最複雜的混血,此種現象,世界上各民族殆莫不皆然。』劉盼遂曾著《李唐為蕃姓考》三篇,最後又自取消其説,然猶有深信不疑者。"。 
  14. ^ 宮崎忍勝「密教と道教の周辺」『密教文化』第1987巻第159号、密教研究会、1987年、 87-102頁、 doi:10.11168/jeb1947.1987.159_87ISSN 02869837NAID 130003716036
  15. ^ a b c 河上麻由子「新刊紹介 礪波護著『隋唐佛教文物史論考』 (PDF) 」 『仏教史学研究』第59巻第1号、仏教史学会、2016年、 64頁、 ISSN 02886472NAID 40021231695
  16. ^ ブリタニカ国際大百科事典法琳』 - コトバンク
  17. ^ 彦悰 『唐護法沙門法琳別傳 卷三』。"琳聞,拓跋達闍,唐言李氏。陛下之李,斯即其苗,非柱下隴西之流也。"。 
  18. ^ a b c 張偉「『教行信証』における『弁正論』の引用と法琳の人生」『同朋大学仏教文化研究所紀要』第31巻、同朋大学仏教文化研究所、2012年、 13-30頁、 ISSN 1341-2191NAID 120006018043 p.28 より
  19. ^ 劉志強 『唐代文明發生論──以《貞觀政要》為中心』 第十六期、世新大學中國文學系〈世新中文研究集刊〉、2020年7月、59頁。 
  20. ^ 彦悰 『唐護法沙門法琳別傳』。"帝時大怒豎目,問法師曰:朕聞周之宗盟異姓為後,尊祖重親寔由先古,何為追逐其短禽鼠両端。広引形似之言,備陳不遜之喩。擢發数罪比此猶軽,尽竹書愆方斯未擬。爬毀朕之祖禰。謗黷朕之先人。如此要君理有不恕!"。 
  21. ^ 中西久味「法琳雑記」『比較宗教思想研究』第2巻、新潟大学大学院現代社会文化研究科比較宗教思想研究プロジェクト、2002年4月、 1頁、 ISSN 13480057NAID 110000094392
  22. ^ 中西久味「法琳雑記(続)」『比較宗教思想研究』第4巻、新潟大学大学院現代社会文化研究科比較宗教思想研究プロジェクト、2004年4月、 1-29頁、 ISSN 13480057NAID 110001021830
  23. ^ 劉盼遂 『李唐為蕃姓考』女師大學術季刊一卷四期、1930年。 
  24. ^ a b 陳俊偉 (2019年7月3日). “【春秋雜論】李唐王朝的草原夢”. 人間福報中国語版. オリジナルの2022年1月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220105214429/https://www.merit-times.com/NewsPage.aspx?unid=555536 
  25. ^
    唐源流於夷狄、故閨門失禮之事、不以為異。
    — 朱熹、朱子語類
  26. ^ [翻訳]陳寅恪『唐代政治史述論稿』, p. 287.
  27. ^
    李唐為晋載記涼武昭王李暠七世孫、實夷狄之裔、況其諸君家法甚繆戾、特以其並包天下頗久、貞觀開元太平氣象、東漢而下未之有也、姑列之於中國、特不可以正統言。
    — 鄭思肖、心史、巻下
  28. ^
    唐一・一・乃夷狄、非中国人。
    — 楊慎、升菴集、李姓非一
  29. ^ a b 馮承鈞 『唐代華化蕃胡考』東方雜誌 27卷17號、1930年。"唐高祖李渊来历,亦甚不明。《新唐书·宗室世系表》,列举李氏人名甚夥,余以为多出伪造依托。渊祖李虎,兄名起头,弟名乞豆,起头之子名达磨,达磨即梵文Dhama之对音,此言法也。当时人名梵化者甚多,起头,乞豆,与印度似无关系,与鲜卑必大有渊源。可疑一也。唐室自以系出凉王李暠。按历代君主依托古代帝王神明,几成通例。……“其先陇西成纪人”之李渊,欲求氏族较显之所谓同姓,当然近宗李暠,远祖李广,而托始于颛顼。可疑二也。考《史记》《汉书·李广传》,广有子三人:曰当户、曰椒,皆先广死;曰敢,为霍去病射杀;未闻有弟有子。《宗室世系表》谓广有子二人,长曰当户,次曰敢;而无椒。敢生禹,禹生丞公云云,凭空杜撰。可疑三也。……则虎之为李虎,为大野虎,大野为本姓,为赐姓,尚属疑问也。"。 
  30. ^ a b Shao-yun Yang (2014年). “Reinventing the Barbarian: Rhetorical and Philosophical Uses of the Yi-Di in Mid-Imperial China, 600-1300” (PDF). カリフォルニア大学バークレー校. p. 78-79. オリジナルの2021年2月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210223193205/https://digitalassets.lib.berkeley.edu/etd/ucb/text/Yang_berkeley_0028E_14471.pdf 
  31. ^ a b c 陳三平 『木蘭與麒麟:中古中國的突厥 伊朗元素』八旗文化、2019年5月15日、16-17頁。ISBN 9789578654372https://www.google.co.jp/books/edition/木蘭與麒麟/AnMWEAAAQBAJ?hl=ja&gbpv=1&pg=PT16&printsec=frontcover 
  32. ^ a b 王桐齢 『楊隋李唐先世系統考』女師大學術季刊、1932年https://web.archive.org/web/20211211224645/http://photoapps.yd.chaoxing.com/MobileApp/GDSL/pdf/mgsk/11jh010167_001.pdf 
  33. ^ 向達 『唐代長安與西域文明』学林出版社中国語版、2017年7月1日。ISBN 9787548612766。"李唐氏族,據最近各家考證,出于蕃姓,似有可信。"。 
  34. ^ 陳三平 『木蘭與麒麟:中古中國的突厥 伊朗元素』八旗文化、2019年5月15日、14頁。ISBN 9789578654372https://www.google.co.jp/books/edition/木蘭與麒麟/AnMWEAAAQBAJ?hl=ja&gbpv=1&pg=PT14&printsec=frontcover 
  35. ^ Qin Zhi Lau (2011年). “Identity and Ideology : Religion and Ethnicity in State Formation during the Northern Dynasties” (PDF). The Department of East Asian Studies at Princeton University. p. 68-69. オリジナルの2021年12月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211227070816/https://www.history.ucsb.edu/wp-content/uploads/Thesis_Lau_Final.pdf 
  36. ^ 孟二冬 『中唐诗歌之开拓与新变』中華書局、2019年7月31日、24頁。ISBN 7101116523https://www.google.co.jp/books/edition/中唐诗歌之开拓与新变/K7XUDwAAQBAJ?hl=ja&gbpv=1&pg=PT24&printsec=frontcover。"唐代儒学的衰微,与道教及佛教的兴盛有着直接关系。而道教与佛教的兴盛,与统治阶级的大力提倡密不可分。李唐宗室,系出胡族,故其入主中原,需显宗耀族,光大门楣。高宗乾封元年(666),追封老子李耳为“太上玄元皇帝”;上元二年(674),令王公以下皆习《老子》;玄宗开元二十四年(736),诏令道士女冠隶正宗寺,次年置玄学博士,士人习《老子》、《庄子》、《文子》、《列子》者可以应科举,作为明经科的一项,亦曰“道举”。至中唐时期,道教的地位更加牢固,其影响亦更深入人心。"。 
  37. ^ 銭仲聯 『梦苕盦专著二种』中国社会科学出版社、1984年4月、4-5頁https://web.archive.org/web/20220227153944/http://ishare.iask.sina.com.cn/f/6699490.html。"唐室自以系出李暠,故贺亦自云陇西成纪人。实则李唐系出胡族,当时人已言之,近人考订亦言之。沈曾植《海日楼札丛》卷二《唐为北魏达阇之裔》条:《法琳别传》云:“琳闻拓拔达阇,唐言为李。陛下之李,斯即其苗,非柱下陇西之裔也……。"。 
  38. ^ a b c [翻訳]陳寅恪『唐代政治史述論稿』, p. 284-285.
  39. ^ 姚薇元 『北朝胡姓考』中華書局、2007年7月1日。 
  40. ^ 陳寅恪 (1931) (PDF). 李唐氏族之推測. 中央研究院歴史語言研究所集刊. 中央研究院歴史語言研究所. p. 39-48. オリジナルの2022-02-15時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220215081610/http://www2.ihp.sinica.edu.tw/file/4998feQZJiG.pdf. 
  41. ^ 陳寅恪 (1933) (PDF). 李唐氏族之推測後記. 中央研究院歴史語言研究所集刊. 中央研究院歴史語言研究所. p. 511-516. オリジナルの2022-02-15時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220215082148/http://www2.ihp.sinica.edu.tw/file/5021SLaVTjd.pdf. 
  42. ^ 石見清裕講演録 唐王朝成立史の研究をふりかえって (唐建国1400年 2018年度秋期シンポジウム特集)」『唐代史研究』第22号、唐代史研究会、2019年、 113-126頁、 ISSN 13443100
  43. ^ 日本大百科全書李淵』 - コトバンク「隴西の李氏といわれ、五胡十六国時代の西涼の武昭王李暠の子孫と称しているが、それには疑問がある。鮮卑系の出自であろう。」
  44. ^ 布目潮渢栗原益男 『隋唐帝国』講談社講談社学術文庫〉、1997年10月9日、29頁。ISBN 4061593005。"隋室の楊震以来の系譜に信頼がおけず、また唐室の系譜も、故陳寅恪氏の研究によって、正史の系譜記載の偽りが証明された。すなわち、隋室の普六茹姓、唐室の大野姓は、それらの本来の鮮卑姓であるということは、ほぼまちがいなかろう。"。 
  45. ^ 布目潮渢栗原益男 『隋唐帝国』講談社講談社学術文庫〉、1997年10月9日、68頁。ISBN 4061593005。"李淵は、西涼の武昭王となった李暠の七代の孫といっているが、しかしその系図に疑点のあることを陳寅恪は詳細に考証した。さきにも触れたが、李淵の家は、あるいは西魏の八柱国の家がほとんどそうであるように、北魏の帝室と同じく鮮卑系で、その胡姓として賜与されたといわれる大野氏が、本来の姓であるかもしれない。"。 
  46. ^ 古松崇志 『中國的歷史3:草原的稱霸』聯經出版中国語版、2021年11月4日、39頁。ISBN 9789570860511https://www.google.co.jp/books/edition/岩波新書_中國的歷史3_草原的/R-ROEAAAQBAJ?hl=ja&gbpv=1&pg=PT39&printsec=frontcover。"唐朝開國者李淵(唐高祖,六一八年-六二六年在位)的祖先來自鮮卑族,原本使用胡姓大野氏,北魏時代為生活於武川鎮一帶的遊牧民。在建立唐朝後並稱漢人名門望族隴西李氏,隠去自己北方遊牧民的出身,藉此宣揚自身乃是中華的正統統治者。建立隋朝的楊氏也與李氏有類似的出身。"。 
  47. ^ 向井佑介「學界展望 北魏の考古資料と鮮卑の漢化」『東洋史研究』第68巻第3号、東洋史研究会、2009年12月、 138頁、 doi:10.14989/167620ISSN 03869059NAID 40016974934
  48. ^ 楊海英 『逆転の大中国史 ユーラシアの視点から』文藝春秋、2019年3月8日、25-26頁。ISBN 416791252X。"それは、歴史とのむきあい方にもあらわれている。つまり、事実にむきあうのではなく、自分たちの都合のいいところだけとりこむのだ。だから、異民族による征服王朝であることがわかっていながら、「偉大な漢民族にとって隋唐時代がもっとも華やかな王朝であった」とか、「元朝は、中国がもっとも強大な領土を保有した時代だ」と平気で噓をつく。そればかりか、「チベットやモンゴルは清朝の一部だったのだから、いまも自分たちの領土のはずだ」と、現在の侵略的支配や搾取を肯定する論理に利用するのである。"。 
  49. ^ 楊海英 『逆転の大中国史 ユーラシアの視点から』文藝春秋、2019年3月8日、16頁。ISBN 416791252X。"事実、シナ地域の歴史をたどれば、ユーラシアにまたがって交易をおこない、国際的な文化が花開いた時期がある。たとえば日本との交流もさかんだった隋・唐、世界最大の帝国とされるモンゴル帝国(元)、清などの繁栄は、まさにアジアの大帝国とよばれるにふさわしい。だが、これらはいずれも非漢民族による征服王朝なのだ。端的にいえば、遊牧民が建立した王朝であった。たとえば、六世紀の終わり、三百年ぶりにシナ地域を統一した隋は北方遊牧民のひとつ、鮮卑拓跋系の王朝だった。第四章でもふれるが、それが漢人編纂の後の史書では、後漢の名臣の楊震の子孫であると「シナ化」されてつたえられてきたのである。隋につづく唐も鮮卑拓跋系で、首都長安には東アジアだけでなく、いわゆるシルクロードを介して西方からさまざまな人々がおとずれ、商業活動や文化活動が展開された。"。 
  50. ^ 楊海英 『逆転の大中国史 ユーラシアの視点から』文藝春秋、2016年8月11日、169頁。ISBN 4163905065。"チュルクも、唐をシナ人の王朝とはみなしておらず、嘎仙洞に源流を有する拓跋鮮卑人だと認識していた。唐の羈縻下、服属下にあったときも、チュルクは唐の皇帝をシナ風に「皇帝」とはよばず、草原のしきたりに則して「テンゲル・カガン」(天可汗)と称していた。鮮卑系の可汗であるのだから、呼称はカガン(可寒)がふさわしいと考えていたのである。"。 
  51. ^ 宮脇淳子 『モンゴルの歴史―遊牧民の誕生からモンゴル国まで』刀水書房〈刀水歴史全書〉、2002年10月1日、29頁。ISBN 978-4887082441。"中国王朝の隋も唐も、王朝の祖は、この西魏に仕えた軍人である。西魏で実権を握った宇文泰は鮮卑人で、自分に従った鮮人と漢人の軍人たちを、遊牧騎馬民の伝説の三十六部族・九十九氏族に再編成した。そして漢人には鮮卑の姓を与えた。漢姓と鮮卑姓はどちらを使ってもよく、簡潔に書きたいときは漢名、正式に名乗るときは鮮卑名を使ったらしい。こうして、鮮卑人と鮮卑化した漢人の連合体が陝西省と甘粛省にできたが、この連合体が、宇文泰の息子が皇帝となった北周、これを乗っ取った隋、そのあとの唐の政権の基盤となった。"。 
  52. ^ 宮脇淳子 『世界史のなかの満洲帝国』PHP研究所PHP新書〉、2006年2月1日、39頁。ISBN 4569648800。"六一八年、隋の楊帝は反乱で殺され、唐が建国された。ちなみに隋も唐も、帝室の祖先は、もともと大興安嶺出身の鮮卑族である。後漢末の一八四年、宗教秘密結社が決起した「黄巾の乱」と、これを鎮圧した政府軍の内戦である一八九年の「董卓の乱」のせいで、漢人人口は激減した。三国時代を通じて、周辺の夷狄が大量に内地に移住していたのである。中国史で「五胡十六国の乱」といわれるものは、華北に移住した異民族が、つぎつぎに十六国を建国したもので、そののち華北を統一した北魏も鮮卑族出身で、隋と唐の支配層は、この北魏の系統である。"。 
  53. ^ 宮脇淳子 『世界史のなかの蒙古襲来』扶桑社扶桑社新書〉、2021年12月22日、33頁。ISBN 4594090435。"唐の皇帝は鮮卑の出身で、唐は鮮卑族の国です。決して、漢人の国ではありません。北アジアの遊牧騎馬民たちはそれを承知していました。それゆえ、突厥が滅びたとき、それまで突厥のカガンに臣属していた北アジアの遊牧騎馬民たちは、唐の太宗を自分たちのカガンに選び、唐の皇帝の配下に入りました。かれらにしてみれば、唐の皇帝は自分たちと同じ遊牧騎馬民だから、自分たちのカガンとして選んだというわけです。"。 
  54. ^ 岡田英弘宮脇淳子 『滅亡の歴史を理解するために もう騙されない これが中国史の正体だ』文藝春秋、2016年7月、67頁。"この隋も鮮卑族の国ですから、シナは完全にアルタイ化してしまうわけです。…隋・唐ともに鮮卑人のつくった王朝です。"。 
  55. ^ 岡田英弘 『中国文明の歴史』講談社講談社現代新書〉、2004年12月18日、102頁。ISBN 978-4061497610。"この時代の王朝である隋も唐も、その帝室は鮮卑系の王朝であった北魏・西魏・北周のもとで実現した、鮮卑族と、鮮卑化した漢族の結合した集団の中から出てきたものである。"。 
  56. ^ 岡田英弘 『だれが中国をつくったか』PHP研究所PHP新書〉、2005年9月16日、70頁。ISBN 978-4569646190。"隋・唐の帝室は、ともに西魏の宇文泰とともに興った。宇文泰は鮮卑人だったが、五三四年、北魏が東西に分裂すると、西魏の文帝を奉じて長安に独立し、東魏の高歓(やはり鮮卑)と対立した。五五〇年、宇文泰は自分と同じ立場の鮮卑人を八柱国とし、その下に二人ずつの大将軍を置いたが、八柱国の一人は隴西郡開国公李虎であり、もう一人の柱国の独孤信の下の大将軍の一人は陳留郡開国公楊忠である。そして楊忠の息子の楊堅は、隋の初代の皇帝・高祖文帝であり、李虎の孫の李淵は、唐の初代の皇帝・高祖である。これでわかるように、隋も唐も、鮮卑出身だったのである。さて、唐の朝廷は、南北朝時代の「正史」として、宋・南斉・梁・陳を『南史』で、北魏・東魏・西魏・北斉・北周・隋を『北史』で、それぞれ「本紀」を立てて扱った。これは二つの系列の皇帝を認めたことで、「天命」にも二つ、「正統」にも二つがあることになる。自分が鮮卑系である唐の政治的な立場では、北朝も「正統」であると主張するほかに道はなかったのである。おもしろいことに、『北史』の冒頭には、北魏の帝室の出自を述べて、「祖先は黄帝であり、黄帝の息子の昌意の末子が北方に国を建て、そこに大鮮卑山があったので、鮮卑と号するようになった」といっている。これは司馬遷の『史記』をまねて、鮮卑系の北朝にも歴史のはじまりにさかのぼる、中国人の南朝と対等の「正統」の資格がある、と主張しているのである。"。 
  57. ^ a b 日本大百科全書鮮卑』 - コトバンク「その後の北朝王朝(北魏・東魏・西魏・北斉・北周)および隋・唐王朝の宗室も祖先は鮮卑系である。」
  58. ^ 稲畑耕一郎 『隋 楊堅 繁栄の基礎を築いた「開皇の治」--分裂時代に終止符を打ち、その施政は唐へ受け継がれた』新人物往来社歴史読本〉、2009年10月、97頁。"李淵・李世民は、漢族の名門貴族、隴西郡の李氏と称しているが、実際は鮮卑族の拓跋達闍の後裔であったらしい。"。 
  59. ^ 袴田郁一 著、渡邉義浩 編 『マンガでわかる三国志』池田書店、2016年11月24日、127頁。ISBN 4262155595。"のちに西晋が滅亡し、異民族が中国を席巻した五胡十六国時代には、鮮卑による王朝が次々誕生した。のちに中国を統一する唐も鮮卑系である。"。 
  60. ^ 田中英道 『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』扶桑社、2013年6月1日、80頁。ISBN 4594068294。"聖武天皇のご冥福を祈って、生前好まれていた物、御帯、剣笏、刀剣、楽器などといったさまざまな工芸品が珍宝帳には記されており、それらが正倉院に収められているのです。それらは、鋳造、鍛造、鎚金、彫金、象嵌、七宝細工といった、さまざまな技術を要する美術工芸品ですが、中国でつくられたものはあまり多くありません。普通、唐から渡ったといわれるわけですが、実はペルシアやさらにシリアなどの西域でつくられた物が多いのです。それは、唐という国が、鮮卑族の皇帝が治めた国だったということに理由があるといえます。鮮卑族はもともと中央アジアから来ているのです。ですから、唐には、中央アジアのルートを通った西方の文化が入ってきたわけです。"。 
  61. ^ 越野明 『教科書とはひと味違う世界史のだいごみ』秀和システム、2006年2月20日、41-42頁。ISBN 4798012440。"五胡十六国時代、長江の北を支配したのは漢民族ではなかった。唐の皇帝も、鮮卑族の末だ。この時代、漢民族以外を差別する思想は、力を持っていなかった。"。 
  62. ^ 塚本靑史 『四字熟語で愉しむ中国史』PHP研究所PHP新書〉、2010年7月16日、141-142頁。ISBN 4569779565。"ところで、煬帝と李淵は、武川鎮軍閥出身だった母親同士(鮮卑系の独孤氏)が姉妹である。つまり、彼らは従兄弟(李淵が年長)の関係だ。また、それぞれ楊氏と李氏を姓としているが、もとは普六茹氏と大野氏であったと言われ、漢化した鮮卑系と思しい。それは、煬帝が父の文帝の姫妾(陳氏)を、高宗(李治)が父の太宗(李世民)の姫妾の武照(後の則天武后)を、自らの後宮に入れたりするところに見られる。このレビラト婚は、明らかに遊牧民族の風習であるからだ。"。 
  63. ^ 村山秀太郎 『東大の世界史ワークブック』かんき出版、2016年6月15日、222頁。ISBN 4761271817。"漢人は柔然を蠕と呼んで蔑視しました。鮮卑族の北魏はその柔然対策として、六鎮という軍団を国境警備隊として配置しました。この六鎮の乱により、北魏は西魏と東魏に分かれました。西魏は宇文泰という人がつくりましたが、この宇文泰の直接の家来であったと言われるのが楊氏・李氏、これらが隋(581年-618年)と唐(618年-907年)をつくったのです。ですから隋や唐というのは間違いなく、鮮卑系の王朝、あるいは胡人の王朝であると言えます。"。 
  64. ^ 古田博司 『東アジア・イデオロギーを超えて』新書館、2003年8月1日、22頁。ISBN 978-4403230974。"北狄の鮮卑族の王朝が次々と交替した。北魏、東魏、西魏、北斉、北周、隋、唐がそれであり、唐の太宗も鮮卑族であった。"。 
  65. ^ a b 堀井裕之 『隋代弘農楊氏の研究 : 隋唐政権形成期の「門閥」』 19巻、学習院大学東洋文化研究所〈東洋文化研究〉、2017年3月、406-407頁https://hdl.handle.net/10959/00004298。"最近では会田大輔氏が、隋朝創業前夜、北周の宣帝が「天元皇帝」を自称し、胡漢を超越した「中華皇帝」の道を模索して挫折したことを論じ、本来、北族であった隋室楊氏・唐室李氏が漢人門閥を標榜して、「漢人」皇帝として中華を統べた背景も視野に入れて、当該時代を理解すべきことを提唱した。…北族系氏族が漢人門閥を標榜して王朝を立てた隋朝の先達として北斉があり、その継承者として唐朝がある。今後の課題として、北斉・隋・唐の皇室がどのような時代背景のもとに漢人門閥を標榜したのかを明らかにしたうえで、それが隋唐政権の性格にどのような影響を与えたのか考えて行きたい。"。 
  66. ^ 片山剛「第1章 漢族と非漢族をめぐる史実と言説 : 広東省を中心に」『OUFCブックレット』第1巻、大阪大学中国文化フォーラム、2013年3月、 3-25頁、 ISSN 2187-6487NAID 120005248967。“歴史の実際に照らせば、たとえば五胡十六国時代以降は鮮卑などの民族が黄河流域の統治者となり、のちには隋・唐といった王朝を立てます。”
  67. ^ 宇山卓栄 『「民族」で読み解く世界史』日本実業出版社、2018年1月25日、44-45頁。ISBN 4534055587。"隋の建国者の楊氏も唐の建国者の李氏も、北魏と同じ鮮卑族というモンゴル人の出身とされています。隋や唐という中国を代表する王朝が漢人の王朝ではないということに対し、中国人史家のなかにはこれを否定する見解をもつ人もいるようですが、日本の中国史家の宮崎市定氏が隋・唐が鮮卑系であるとの見解を戦時中に発表して以降、この見解が世界の学界の定説となっています。高校の世界史教科書でも、この見解を取り上げています。そうすると、中国の主要統一王朝『秦→漢→晋→隋→唐→宋→元→明→清』のうち、いわゆる漢人がつくった統一王朝は秦、漢、晋、明の4つしかありません。中国はその歴史上、長期にわたり、異民族王朝によって支配されていたのです。"。 
  68. ^ 斉藤茂雄 『古代トルコ系遊牧民の広域秩序』CCCメディアハウス〈アステイオン (84)〉、2016年5月19日、122-123頁。ISBN 4484162164。"七五五年から七六三年という長期に渡って唐を揺るがした安史の乱では、上述した突厥遺民集団を含め、滞留する遊牧民が結集して中核のひとつとなっていた。また、そもそも唐を立てた鮮卑系の人々も、境界地帯で力をつけ中国を制圧する勢力へと成長したとされる。"。 
  69. ^ 吉田一彦『日本書紀』仏教伝来記事と末法思想(その3)」『名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (10)』、名古屋市立大学、2008年12月、 366頁。“やがて華北には、鮮卑拓跋部によって北魏が建国され、それは東魏、西魏、そして北斉、北周、隋へと継承され、南北朝が統一されて隋から唐へと変遷していった。それらはすべて非漢人による王朝であり、今日ではこれら一連の王朝を「拓跋国家」と呼ぶ見解が提起されている。そうした非漢人の国家によって仏教は大いに宣揚され、華やかな仏教文化が隆盛した。”
  70. ^ 森安孝夫 (2006年). “世界史上のシルクロードと唐帝国 森安講義への質問に対する回答(全面的に補足)” (PDF). 大阪大学大学院文学研究科東洋史学研究室 第4回全国高等学校歴史教育研究会. オリジナルの2021年8月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210803113546/http://www.let.osaka-u.ac.jp/toyosi/main/seminar/2006/moriyasu_qa.pdf 
  71. ^ a b 布目潮渢栗原益男 『隋唐帝国』講談社講談社学術文庫〉、1997年10月9日、28-29頁。ISBN 4061593005 
  72. ^ 陳寅恪 (1931) (PDF). 李唐氏族之推測. 中央研究院歴史語言研究所集刊. 中央研究院歴史語言研究所. p. 44. オリジナルの2022-02-15時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220215081610/http://www2.ihp.sinica.edu.tw/file/4998feQZJiG.pdf. 
  73. ^ a b 朴漢濟 『大唐帝國的遺產:胡漢統合及多民族國家的形成』八旗文化、2020年9月9日、199頁。ISBN 9789865524234https://books.google.co.jp/books?id=2Nz7DwAAQBAJ&pg=PT199#v=onepage&q&f=false。"西魏的「胡姓再行」,不只讓唐室始祖李氏被賜以胡姓大野氏,隋室始祖楊氏也被賜姓普六茹。雖然多數的中國學者稱呼他們為漢族或是沒落的漢族,但這是他們本姓的可能性很高;就算並非如此,他們是漢族的可能性也非常低。"。 
  74. ^ 阎步克 (2000年11月6日). “阎步克:南北朝的不同道路与历史出口”. 爱思想. オリジナルの2019年12月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20191228013434/https://www.aisixiang.com/data/2250.html. "在北方的六个军镇,保留着众多的鲜卑传统,而洛阳的鲜卑人却高度汉化了,昔日高度团结的拓拔氏一分为二,六镇起义就是胡化对汉化的反动,政坛上顿时昌出了众多的鲜卑姓氏,东西魏都是由大镇势力建立,都重新实行胡化,重新实行鲜卑语,恢复鲜卑姓氏,甚至对汉人赐以鲜卑姓,如杨忠之父赐姓“普六茹”,李渊祖父李虎赐姓“大野”。" 
  75. ^ 卓鴻澤 (2007年). “塞種源流及李唐氏族問題與老子之瓜葛──漢文佛教文獻所見中、北亞胡族族姓疑案” (PDF). 中央研究院歷史語言研究所集刊 第七十八本 第一分 (中央研究院歴史語言研究所). オリジナルの2020年7月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200725154958/http://www2.ihp.sinica.edu.tw/file/2890CIrTMww.pdf 
  76. ^ 趙振華 (2011年8月). “唐代少府監鄭巌とそのソグド人祖先” (PDF). 中央ユーラシア学研究会. p. 188. オリジナルの2021年12月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211221044113/https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/50612/sial26-177.pdf 
  77. ^ 馬馳 『論仕唐蕃人之漢化』陝西師範大学出版社中国語版〈陝西師範大学民族学論文集〉、2001年、46頁。 
  78. ^ 厳耕望 『治史經驗談』台湾商務印書館中国語版、2008年9月1日。ISBN 9789570523089。"《新修本草》十七〈蒲陶條〉云:『蒲陶……生隴西、五原、燉煌山谷。』本註:『魏國使人多賚來。……此國人多肥健耐寒、蓋食斯乎?』……這條材料顯示北朝人、或許指鮮卑人、多肥健。……北朝鮮卑人體肥健似無其他史料可考、你想這條史料多麼重要。閻立本繪歷代帝王圖、好像把唐太宗畫得很肥胖、大概因為他本有胡人血統?"。 
  79. ^ 劉学銚 (2020年6月1日). “李唐族源蠡測”. 中國邊政 (中國邊政協會). オリジナルの2021年12月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211206120507/https://www.airitilibrary.com/Publication/alDetailedMesh?DocID=a0000197-202006-202007010012-202007010012-1-34 
  80. ^ 劉学銚 『突厥汗國:狼的子孫』風格司藝術創作坊、2011年12月23日、4-5頁https://books.google.co.jp/books?id=EadeDwAAQBAJ&pg=PT4&lpg=PT4#v=onepage&q&f=false 
  81. ^ 蘇日巴達拉哈 『蒙古族族源新考』民族出版社、1986年。 
  82. ^ 劉志強 『唐代文明發生論──以《貞觀政要》為中心』 第十六期、世新大學中國文學系〈世新中文研究集刊〉、2020年7月、60頁。 
  83. ^ 黄大受 『中國通史』五南文化中国語版、1989年、391頁。ISBN 9789571106175https://www.google.co.jp/books/edition/中國通史/hR1gH_a16yMC?hl=ja&gbpv=1&pg=PA391&printsec=frontcover。"近人考證,李氏祖籍在趙郡(河北省趙縣) ,但李氏久處西北,與胡人世代相處,胡化甚深。如李淵之母獨孤氏,其妻賣氏和次媳長孫氏,均為鮮卑族的後人。故有人認為李淵,乃漢化的胡人。"。 
  84. ^ 向正樹. “モンゴル帝国と火薬兵器―明治と現代の「元寇」イメージ―” (PDF). 第57回SGRAフォーラム 第2回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性. p. 2-3. オリジナルの2018年9月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180920170018/http://www.aisf.or.jp/sgra/wp-content/uploads/2017/03/[J]Kokushi2_fullpaper_MukaiMasaki(向正樹)ed.pdf 
  85. ^ 堀井裕之 『唐初の氏族政策と「門閥」勢力 : 隋唐政権形成史の研究』 明治大学〈博士論文(史学) 乙第539号〉、2018年、3頁。 NAID 500001086359https://hdl.handle.net/10291/19587 
  86. ^ 齊藤(2015), p. 96.
  87. ^ 羅新 『論拓跋鮮卑之得名』北京大学出版社中国語版〈中古北族名号研究〉、2009年3月、51-57頁。 
  88. ^ 劉志強 『唐代文明發生論──以《貞觀政要》為中心』 第十六期、世新大學中國文學系〈世新中文研究集刊〉、2020年7月、43頁。 
  89. ^ 齊藤(2015), p. 93.
  90. ^ 杉山正明 『蒙古帝國的漫長遺緒:後蒙古時代與世界史的重新構圖』八旗文化、2019年4月17日、39頁。ISBN 9789578654556https://www.google.co.jp/books/edition/蒙古帝國的漫長遺緒/iEVQEAAAQBAJ?hl=ja&gbpv=1&pg=PT39&printsec=frontcover 
  91. ^ 杉山正明 『蒙古帝國的漫長遺緒:後蒙古時代與世界史的重新構圖』八旗文化、2019年4月17日、59頁。ISBN 9789578654556https://www.google.co.jp/books/edition/蒙古帝國的漫長遺緒/iEVQEAAAQBAJ?hl=ja&gbpv=1&pg=PT59&printsec=frontcover 
  92. ^ 古松崇志 (2021年12月12日). “何謂歐亞大陸東方史? 遊牧王朝給中國王朝帶來的巨大衝撃”. 関鍵評論網. オリジナルの2021年12月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211213170415/https://www.thenewslens.com/article/159834 
  93. ^ 古松崇志 『中國的歷史3:草原的稱霸』聯經出版中国語版、2021年11月4日、12頁。ISBN 9789570860511https://www.google.co.jp/books/edition/岩波新書_中國的歷史3_草原的/R-ROEAAAQBAJ?hl=ja&gbpv=1&pg=PT12&printsec=frontcover 
  94. ^ 鈴木宏節 (2015年7月25日). “唐の羈縻支配と九姓鉄勒の思結部” (PDF). 内陸アジア言語の研究 (30) (中央ユーラシア学研究会): p. 223. オリジナルの2021年12月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211214193114/https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/70120/sial30_223.pdf 
  95. ^ 渡辺信一郎 (2021年12月12日). “大唐帝國的「天可汗」稱號,象徴著第二次中華帝國的誕生”. 関鍵評論網. オリジナルの2021年12月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211213201031/https://www.thenewslens.com/article/159832 
  96. ^ 森安孝夫 (2018年4月26日). “唐朝不是漢族王朝,強盛的原因和後來的蒙古帝國或現代美國是相通的”. 関鍵評論網. オリジナルの2021年1月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210105013144/https://www.thenewslens.com/article/94003 
  97. ^ 森安孝夫 『絲路、遊牧民與唐帝國:從中央歐亞出發,遊牧民眼中的拓跋國家』八旗文化、2018年4月3日、35頁。ISBN 9789578654037https://www.google.co.jp/books/edition/絲路_遊牧民與唐帝國/bkVQEAAAQBAJ?hl=ja&gbpv=1&pg=PT35&printsec=frontcover 
  98. ^ 森安孝夫 『絲路、遊牧民與唐帝國:從中央歐亞出發,遊牧民眼中的拓跋國家』八旗文化、2018年4月3日、41頁。ISBN 9789578654037https://www.google.co.jp/books/edition/絲路_遊牧民與唐帝國/bkVQEAAAQBAJ?hl=ja&gbpv=1&pg=PT41&printsec=frontcover 
  99. ^ a b 林惠祥 『中國民族史』台湾商務印書館中国語版〈中國文化史叢書〉、1965年、52-53頁https://www.google.co.jp/books/edition/中國民族史/BkVjqOB2OH8C?hl=ja&gbpv=1&pg=PP52&printsec=frontcover 
  100. ^ “高等学校 世界史A 新訂版”. 清水書院. p. 12. オリジナルの2020年8月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200803120158/http://www.shimizushoin.co.jp/support/contents/tabid/112/Default.aspx 
  101. ^ “中國歷史新世界” (PDF). 導師出版社有限公司. p. 136. オリジナルの2021年12月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211225024632/http://www.i-ppc.com/new/chist/junior/homepage/File/Chist1B_stu.pdf. "唐朝皇族自北魏時期興起,他們擁有鮮卑血統,繼承了北朝的文化習俗。由於胡族的婚姻関係比較原始。" 
  102. ^ “中國歷史新世界”. 導師出版社有限公司. p. 127. オリジナルの2021年12月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211215080045/http://www.i-ppc.com/new/chist/junior/homepage/File/BK1B/index.html. "唐朝皇族自北魏時期興起,他們擁有鮮卑血統,繼承了北朝的文化習俗。由於胡族的婚姻関係比較原始。" 
  103. ^ “中共是否真的繼承了大唐帝國的遺產?”. 聯合新聞網中国語版. (2021年2月23日). オリジナルの2021年3月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210302180604/https://udn.com/umedia/story/12760/5269887 
  104. ^ 布目潮渢栗原益男 『隋唐帝国』講談社講談社学術文庫〉、1997年10月9日、29頁。ISBN 4061593005 
  105. ^ 古松崇志 『中國的歷史3:草原的稱霸』聯經出版中国語版、2021年11月4日、39頁。ISBN 9789570860511https://www.google.co.jp/books/edition/岩波新書_中國的歷史3_草原的/R-ROEAAAQBAJ?hl=ja&gbpv=1&pg=PT39&printsec=frontcover 
  106. ^ 楊海英 『逆転の大中国史 ユーラシアの視点から』文藝春秋、2019年3月8日、25-26頁。ISBN 416791252X 
  107. ^ 楊海英 『逆転の大中国史 ユーラシアの視点から』文藝春秋、2019年3月8日、16頁。ISBN 416791252X 
  108. ^ 宮脇淳子 『世界史のなかの満洲帝国』PHP研究所PHP新書〉、2006年2月1日、39頁。ISBN 4569648800 
  109. ^ 岡田英弘宮脇淳子 『滅亡の歴史を理解するために もう騙されない これが中国史の正体だ』文藝春秋、2016年7月、67頁。 
  110. ^ 岡田英弘 『だれが中国をつくったか』PHP研究所PHP新書〉、2005年9月16日、70頁。ISBN 978-4569646190 
  111. ^ 塚本靑史 『四字熟語で愉しむ中国史』PHP研究所PHP新書〉、2010年7月16日、141-142頁。ISBN 4569779565 
  112. ^ 村山秀太郎 『東大の世界史ワークブック』かんき出版、2016年6月15日、222頁。ISBN 4761271817 
  113. ^ 古田博司 『東アジア・イデオロギーを超えて』新書館、2003年8月1日、22頁。ISBN 978-4403230974 
  114. ^ 堀井裕之「隋代弘農楊氏の研究 : 隋唐政権形成期の「門閥」」『東洋文化研究』第19号、学習院大学東洋文化研究所、2017年3月、 428-399頁、 ISSN 1344-9850NAID 120006371408
  115. ^ 片山剛. “漢族と非漢族をめぐる史実と言説” (PDF). 大阪大学中国文化フォーラム. p. 5. オリジナルの2017年6月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170628183938/http://www.law.osaka-u.ac.jp/~c-forum/box5/katayama.pdf 
  116. ^ 宇山卓栄 『「民族」で読み解く世界史』日本実業出版社、2018年1月25日、44-45頁。ISBN 4534055587 
  117. ^ 吉田一彦『日本書紀』仏教伝来記事と末法思想(その3)」『名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究』第10巻、名古屋市立大学、2008年12月、 366頁、 ISSN 13480308
  118. ^ 杉山正明(『世界の歴史 大モンゴルの時代』)、西尾幹二(『決定版国民の歴史』)らの説。
  119. ^ 窪添 et al. 1996, p. 365.
  120. ^ 窪添 et al. 1996, pp. 365–366.
  121. ^ a b c d 窪添 et al. 1996, p. 366.
  122. ^ 布目 & 栗原 1997, pp. 187.
  123. ^ 布目 & 栗原 1997, pp. 194–195.
  124. ^ 布目 & 栗原 1997, pp. 201–202.
  125. ^ a b c d 窪添 et al. 1996, p. 487.
  126. ^ 布目 & 栗原 1997, pp. 182.
  127. ^ a b c 窪添 et al. 1996, p. 368.
  128. ^ a b c 氣賀澤 2005, p. 144.
  129. ^ a b c d e 窪添 et al. 1996, p. 369.
  130. ^ 氣賀澤 2005, pp. 144–146.
  131. ^ 窪添 et al. 1996, pp. 371.
  132. ^ 窪添 et al. 1996, p. 375.
  133. ^ a b c d e f 窪添 et al. 1996, p. 376.
  134. ^ 氣賀澤 2005, pp. 146–147.
  135. ^ 窪添 et al. 1996, pp. 444–448.
  136. ^ a b c 窪添 et al. 1996, p. 444.
  137. ^ 窪添 et al. 1996, p. 445.
  138. ^ 窪添 et al. 1996, pp. 444–445.
  139. ^ 窪添 et al. 1996, p. 447.
  140. ^ 窪添 et al. 1996, p. 488.
  141. ^ a b 氣賀澤(2020)pp.157-159
  142. ^ 渡邊信一郎「唐代後半期の中央財政―戸部曹財政を中心に―」(初出:『京都府立大学学術報告』人文・第40号(1988年)/所収:『中國古代の財政と國家』(汲古書院、2010年)第14章)
  143. ^ 『中国史2』、p460
  144. ^ 『絢爛たる世界帝国 : 隋唐時代』、331p
  145. ^ 榎本淳一「唐代の朝貢と貿易」(初出:平川南 他編『文字と古代日本2 文字による交流』(吉川弘文館、2005年)/所収:榎本『唐王朝と古代日本』、吉川弘文館、2008年)



唐(とう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 06:56 UTC 版)

蒼天の拳」の記事における「唐(とう)」の解説

回想登場。毒入りワインブルゴーニュ産の年代物らしい)で潘を殺そうとするが拳志郎見抜かれ早撃ち殺される

※この「唐(とう)」の解説は、「蒼天の拳」の解説の一部です。
「唐(とう)」を含む「蒼天の拳」の記事については、「蒼天の拳」の概要を参照ください。


唐(とう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/12 07:41 UTC 版)

三獣士」の記事における「唐(とう)」の解説

玄奘故郷シャラマーの手によって壊滅した

※この「唐(とう)」の解説は、「三獣士」の解説の一部です。
「唐(とう)」を含む「三獣士」の記事については、「三獣士」の概要を参照ください。


唐(とう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:18 UTC 版)

灼熱カバディ」の記事における「唐(とう)」の解説

背番号は4。切れ長の眼が特徴

※この「唐(とう)」の解説は、「灼熱カバディ」の解説の一部です。
「唐(とう)」を含む「灼熱カバディ」の記事については、「灼熱カバディ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「唐」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

出典:『Wiktionary』 (2021/08/12 00:38 UTC 版)

発音(?)

固有名詞

  1. 中国の王朝名、一般に618年から907年まで存在した統一王朝

名詞

  1. から朝鮮及び中国
  2. から日本から見て外国海外
  3. から唐織の略。

接頭辞 

  1. トウ・から)朝鮮及び中国から渡来物品文物であるこを示す
  2. トウ・から)日本から見て外国から渡来物品文物であるこを示す

熟語


※ご利用のPCやブラウザにより、漢字が正常に表示されない場合がございます。
Copyright © KANJIDIC2 - the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group(EDRDG), used in conformance with the Group's licence. Copyright © 1991-2010 Unicode, Inc. All rights reserved. Stroke Order Diagrams(SODs) licensed from © Kanji Cafe.

「唐」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



唐と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

「唐」に関係したコラム

  • CFDで取り扱う株式の一覧

    CFDで取り扱う株式には、日経平均株価(日経225)採用銘柄をはじめ、アメリカ合衆国、欧州圏、中国などの証券市場に上場している銘柄があります。CFDで取り扱われている株式はCFD業者によりさまざまで、...

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

唐のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



唐のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
むじん書院むじん書院
Copyright (C) 2022 mujin. All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの唐 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの蒼天の拳 (改訂履歴)、三獣士 (改訂履歴)、灼熱カバディ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike (CC-BY-SA) and/or GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblioに掲載されている「Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ)」の記事は、Wiktionaryの (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、Creative Commons Attribution-ShareAlike (CC-BY-SA)もしくはGNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
漢字辞典
Copyright © KANJIDIC2 - the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group(EDRDG), used in conformance with the Group's licence.
Copyright © 1991-2010 Unicode, Inc. All rights reserved. Distributed under the Terms of Use in http://www.unicode.org/copyright.html.
Stroke Order Diagrams(SODs) licensed from © Kanji Cafe.
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2022 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2022 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2022 GRAS Group, Inc.RSS