遣唐使とは?

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けんとう しけんたう- [3] 【遣唐使】

遣隋使のあとをうけ、日本から唐へ派遣された公式使節国書物品などを奉献し、唐の文化摂取する目的で、630年から894年中止されるまで一六回にわたって派遣された。入唐使につとうしもろこし使い

遣唐使 (けんとうし)

日本から中国の唐[とう]に送られた外交使節のことです。630年に1回目の使節が送られました。唐の文化制度輸入することが目的でした。しかし、唐が衰えてきたり、商人による貿易さかんになってきたりしたため894年菅原道真すがわらのみちざね]の提案廃止になりました。


遣唐使

読み方:ケントウシ(kentoushi)

遣隋使から引継がれた唐への朝廷使節


遣唐使

作者内田百閒

収載図書旅順入城式
出版社福武書店
刊行年月1994.3
シリーズ名福武文庫

収載図書内田百閒集成 3 冥途
出版社筑摩書房
刊行年月2002.12
シリーズ名ちくま文庫


遣唐使

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/16 08:48 UTC 版)

遣唐使(けんとうし)とは、日本に派遣した使節である。日本側の史料では唐の皇帝と対等に交易・外交をしていたとされるが、『旧唐書』や『新唐書』の記述においては、「倭国が唐に派遣した朝貢使」とされる。中国では618年が滅びが建ったので、それまで派遣していた遣隋使に替えてこの名称となった。寛平6年(894年)に56年ぶりに再開が計画されたが、遣唐大使の菅原道真の建議により休止され、907年に唐が滅び、そのまま消滅する形となった[1]。遣唐使船には、多くの留学生が同行し往来して、政治家・官僚・僧にも多くの人材を供給した。留学生井真成の墓も中国で発見された。


注釈

  1. ^ 遣隋使の留学生の622年の帰国者の薬師恵日らが、「唐国は法式備定の宝の国だから通交すべきだ」と上奏しており、それも受けた開始とされている[2]
  2. ^ 大使と副使は遣唐使の代表と副代表、判官は一行のまとめ役、知乗船事は4隻の船の責任者、船師はそれぞれの船の責任者、史生と議事は文章の記録と編纂、雑使は船内の雑役係、傔人は大使らの身の回りの世話係、挾杪と柁師は船の舵取りとその責任者、水手は船を漕ぐ係、留学生と学問僧は長期間唐に留まって勉学し傔従が彼らの世話係、請益生は勉学にあたるが遣唐使と共に帰国する[43]
  3. ^ ただし、その根拠としては衛禁律に求める説と賊盗律謀叛に相当するとみる説がある[要出典]
  4. ^ 「年紀制」違反による処分は、滞在中の供給(滞在費用)支給拒否と朝廷との取引停止の効果しかなく、個々の貴族や寺社・商人との取引までを禁じたものではなかった。このため、「年紀制」制定意図を朝廷による唐物交易と財政支出の抑制とみる考えもある(渡邊誠「年紀制の消長と唐人来着定」 [要ページ番号])。
  5. ^ 唐宋商人の中には来航後、長期にわたって博多の唐坊を拠点に貿易・商業活動を行い、次の年紀到来直前に帰国して「年紀法」に違反しない形で再度来航する者もいた[要出典]

出典

  1. ^ 石井正敏 2011, pp. 118-124、以前の菅原道真建議での廃止説を遣唐使・副使後年の使用を指摘して覆し、定説となっている。
  2. ^ 石井正敏他(編) 2011, pp. 38-39、森公章「東アジアの変動と日本外交」
  3. ^ 石井正敏他(編) 2011、森公章「東アジアの変動と日本外交」
  4. ^ 東野治之 2007, p. 120.
  5. ^ 『日本書紀』孝徳天皇 白雉5年7月24日条
  6. ^ 『遺教経』跋語(石山寺蔵)
  7. ^ 唐人の皇甫東朝道璿、波斯(ペルシャ)人の李密翳、林邑国の仏哲インド人の菩提僊那など
  8. ^ 『続日本紀』天平勝宝6年正月30日条)
  9. ^ 『続日本紀』天平宝字6年3月1日条
  10. ^ 『続日本紀』天平宝字6年7月是月条
  11. ^ 『続日本紀』宝亀9年11月13日条
  12. ^ 『続日本紀』宝亀9年11月10日条
  13. ^ 『続日本紀』宝亀11年正月5日条
  14. ^ 『続日本紀』宝亀10年2月13日条
  15. ^ 『続日本紀』宝亀10年7月15日条
  16. ^ 『日本後紀』延暦24年6月8日条
  17. ^ 『日本後紀』延暦23年9月18日条
  18. ^ 『日本後紀』延暦24年7月16日条
  19. ^ 渡辺照宏宮坂宥勝『沙門空海』筑摩叢書 1967年 pp.69、242
  20. ^ 渡辺照宏宮坂宥勝『沙門空海』筑摩叢書 1967年 pp.87-92
  21. ^ 『入唐求法巡礼行記』(唐)開成4年2月24・27日条
  22. ^ 『続日本後紀』承和3年5月18日条
  23. ^ a b 佐伯有清 2007, pp. 14-16、32-34、79-80、出典は旧版の講談社現代新書、1978年
  24. ^ 『続日本後紀』承和6年3月丁酉条
  25. ^ 『入唐求法巡礼行記』(唐)開成4年4月1-4日条
  26. ^ 佐伯有清 2007, pp. 63-66、出典は旧版の講談社現代新書、1978年
  27. ^ 教訓抄
  28. ^ a b c d e f 榎本淳一「遣唐使と通訳」(『唐王朝と古代日本』(原論文:2005年)) [要ページ番号]
  29. ^ a b 森公章「遣唐使の時期区分と大宝度の遣唐使」(初出:『国史学』189号(2006年)/所収:森『遣唐使と古代日本の対外政策』) [要ページ番号]
  30. ^ a b 森公章「大宝度の遣唐使とその意義」(初出:『続日本紀研究』355号(2005年)/所収:森『遣唐使と古代日本の対外政策』) [要ページ番号]
  31. ^ 東野治之「遣唐使の朝貢年期」(『遣唐使と正倉院』、初出:1990年) [要ページ番号]
  32. ^ a b 榎本淳一「遣唐使による漢籍将来」『唐王朝と古代日本[要ページ番号]
  33. ^ a b c 森公章「漂流・遭難、唐の国情変化と遣唐使事業の行方」『遣唐使と古代日本の対外政策』) [要ページ番号]
  34. ^ 森公章「遣唐使と唐文化の移入」『遣唐使と古代日本の対外政策』) [要ページ番号]
  35. ^ 東野治之 2007, p. 64.
  36. ^ 東野治之 2007, pp. 64-65.
  37. ^ 森公章「遣唐使の時期区分と大宝度の遣唐使」『遣唐使と古代日本の対外政策』(原論文:2006年)pp. 54-55.
  38. ^ a b 東野治之 2007.
  39. ^ 佐伯有清 2007, pp. 152-154、157-159、出典は旧版の講談社現代新書、1978年
  40. ^ 石井謙治監修『復元するシリーズ4 日本の船を復元する 古代から近世まで』学習研究社、2002年、P14-15
  41. ^ a b c 森公章「遣唐使が見た唐の賓礼」(初出:『続日本紀研究』343号(2003年)/所収:森『遣唐使と古代日本の対外政策』) [要ページ番号]
  42. ^ 鈴木靖民. “遣唐使(けんとうし)”. 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンク. 2016年4月29日閲覧。 “'...時期によって規模・内容を異にするが...大使(たいし)、副使(ふくし)、判官(はんがん)、録事(ろくじ)、知乗船事(ちじょうせんじ)、訳語(おさ)、請益生(しょうやくしょう)、主神(しゅじん)、医師(いし)、陰陽師(おんみょうじ)、画師(えし)、史生(ししょう)、射手(しゃしゅ)、船師(ふなし)、音声長(おんじょうちょう)、新羅(しらぎ)・奄美訳語(あまみのおさ)、卜部(うらべ)、留学生(りゅうがくしょう)、学問僧(がくもんそう)、※けん従(けんじゅう)、雑使(ぞうし)、音声生(おんじょうしょう)、玉生(ぎょくしょう)、鍛生(たんしょう)、鋳生(ちゅうしょう)、細工生(さいくしょう)、船匠(ふなしょう)、※かじ師(かじし)、※けん人(けんじん)、※カジ杪(かじとり)、水手長(かこちょう)、水手(かこ)...。注:引用元で外字が用いられている漢字を※印とよみがなで表示している。引用文中の「※けん」は記事本文中では「傔」、「※かじ」は「柂」、「※カジ」は「挟」で表示している。
  43. ^ 外国人児童のための小学校社会科教材(小学校6年生 歴史教材) (PDF)”. 愛知教育大学外国人児童生徒支援リソースルーム. 2016年4月29日閲覧。 “p. 8:大使:代表 副使:副代表 判官:まとめ役 録事:記録や文章をまとめる。史生:記録や文章を作る。雑使:船の生活でのさまざまな仕事をする。傔人:大使などの世話をする。 p. 9:1) 知乗船事:4隻の船の責任者。2) 船師:各船の船長。...4) 柁師:船の舵取りの責任者。5) 挾杪:船の舵取りをする。6) 水手長:水夫の責任者。7) 水手 :船をこぐ人。... p. 10:1) 留学生:長期間、唐で勉強する。2) 学問僧:長期間、唐で仏教を学ぶ。3) 傔従:留学生、留学僧の世話をする。...5) 請益生:遣唐使がいる間,唐で勉強する。
  44. ^ a b 石井正敏 2011.
  45. ^ 請令諸公卿議定遣唐使進止状印本”. 菅家文草・菅家後集. 2015年7月17日閲覧。国文学資料館掲載。
  46. ^ 石井正敏 2011, pp. .118-124.
  47. ^ 森公章『遣唐使と古代日本の対外政策』p. 177。ただしこの意識が文献的に確認できるのは10-11世紀の文献である(同書p. 191)
  48. ^ 森公章「菅原道真と寛平度の遣唐使計画」(初出:『続日本紀研究』362号(2006年)/所収:森『遣唐使と古代日本の対外政策』) [要ページ番号]
  49. ^ 渡邊誠「年紀制と中国海商」(『平安時代貿易管理制度史の研究』(原論文:『歴史学研究』856号、2006年)) [要ページ番号]
  50. ^ a b 渡邊誠「年紀制の消長と唐人来着定」(『平安時代貿易管理制度史の研究』(原論文:『ヒストリア』217号、2006年)) [要ページ番号]
  51. ^ a b 榎本淳一「律令国家の対外方針と〈渡海制〉」(『唐王朝と古代日本』(原論文:1991年)) [要ページ番号]
  52. ^ 東野治之 2007, p. 178、資料は、榎本淳一『「小右記」にみる渡海制』
  53. ^ 榎本淳一「〈国風文化〉の成立」(『唐王朝と古代日本』(原論文:1997年)) [要ページ番号]
  54. ^ <上海万博>「遣唐使船」が到着、12日のジャパン・デーにお披露目―上海市”. Record China (2010年6月11日). 2018年1月19日閲覧。
  55. ^ 再現された遣唐使船が中国・上海へ向けて大阪を出港!”. NewsWalker (2010年5月8日). 2018年4月1日閲覧。
  56. ^ 渡辺謙 遣唐使船に乗って上海万博を訪問”. スポニチ (2010年6月13日). 2018年1月19日閲覧。



遣唐使

出典:『Wiktionary』 (2010/01/27 00:37 UTC 版)

名詞

使けんとうし

  1. 歴史平安時代に、朝貢並びに学問仏教及びその他文物取得目的に、日本朝廷皇帝宛に派遣した使節

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