倭の五王とは?

わ の ごおう-ごわう 【倭の五王】

中国六朝時代の「宋書倭国」などに出てくる五人の倭国王。讃・珍・済・興・武と表され、日本古代天皇示したものとされる。讃は応神仁徳履中いずれか、珍は仁徳反正、済は允恭いんぎよう、興は安康、武は雄略の各天皇比定される。

倭の五王

読み方:ワノゴオウ(wanogoou)

5世紀中国南朝交渉を持った5人の倭国王


倭の五王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/31 17:51 UTC 版)

倭の五王(わのごおう)とは、中国の歴史書に記述のある倭国の五人の王、すなわちをいう。倭の五王が誰であるかに関しては諸説ある。


  1. ^ 倭の五王かどうかは不明。ただし、『梁書』諸夷伝には「晋の安帝の時、倭王讃有り」という記述がある。
  2. ^ 鎮東大将軍→征東将軍では進号にならないため、征東大将軍の誤りとされる
  3. ^ 和風諡号『古事記』品陀和氣命、『日本書紀』譽田天皇。『日本書紀』一伝に笥飯大神と交換して得た名である譽田別天皇、『播磨国風土記』品太天皇、『上宮記逸文凡牟都和希王
  4. ^ 和風諡号『日本書紀』多遅比瑞歯別尊、『古事記』水歯別命
  5. ^ 和風諡号『日本書紀』雄朝津間稚子宿禰尊、『古事記』男淺津間若子宿禰王
  6. ^ 和風諡号『日本書紀』穴穂天皇。穴穂皇子
  7. ^ 『日本書紀』の応神天皇紀三十七年二月条「遣阿知使主都加使主於呉令求縫工女」、四十一年二月条「阿知使主等自呉至筑紫」、仁徳天皇紀五十八年十月条「呉国高麗国並朝貢」、雄略天皇紀五年条「呉国遣使貢献」、八年二月条「遣身狭村主青檜隈民使博徳使於呉国」十年九月条「身狭村主青等将呉所献二鵝」などに見られる「呉」「呉国」を南朝の諸国家と見る意見がある。
  8. ^ 通説通り「済=允恭」とすると「珍=反正」なるが、反正天皇は437年に没しておりちんは438年に朝貢している。
  9. ^ 本居宣長『馭戎概言』、鶴峯戊申『襲国偽僣考』、近藤芳樹『征韓起源』、古田武彦『失われた九州王朝説』他)。
  10. ^ なお、倭の五王と南朝との交流が、東晋の南燕征服による山東半島領有(410年)以後、北魏の南進が本格化する470年代にかけての時期に集中しているのは、山東半島の南朝支配によって倭及び三韓からの南朝への航海に対する安全性が増す一方で、東晋の東方諸国に対する政治的・軍事的圧力を無視できなくなったからである、という見解を大庭脩川本芳昭は取っている。
  11. ^ 平林章仁『神々と肉食の古代史』吉川弘文館、2007年,44頁


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