王 (皇族)
王号
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クシャーナ朝はユーラシア大陸の中央部の広い領域を支配したため、各地の文化の大きな影響を受けた。その文化は包容的、融合的性格を持ったといわれており、特にその特徴は王の称号に現れている。 例えばカニシカ王の残した碑文の中には「シャーヒ、ムローダ、マハーラージャ、ラージャティラージャ、デーヴァプトラ、カイサラなるカニシカ」と記す物がある。これはカニシカが使用した称号を羅列したものであるが、 シャーヒ(Shahi)は月氏で昔から用いられた王の称号である。 ムローダ(Muroda)はサカ人たちの首長を表す語である。 マハーラージャ(Maharaja)はインドで広く使われた称号であり大王を意味する。 ラージャティラージャ(Rajatiraja)は「諸王の王」(シャーハンシャー)というイラン地方の伝統的な帝王の称号をサンスクリット語に訳したものである。 デーヴァプトラ(Devaputra)はデーヴァ(神、漢訳では天と訳される)とプトラ(子)の合成語であって中華皇帝が用いた称号「天子」をサンスクリット語に訳したものである。 カイサラ(Kaisara)はラテン語のカエサル(Caesar)から来たもので、ローマ皇帝の称号の一つである。 カニシカ王に限らず、クシャーナ朝の王たちは世界各地の王の称号を合わせて名乗ることを好んだ。 近年、アフガニスタンで発見されたダシュテ・ナーウル碑文やラバータク碑文などのバクトリア語資料において、ヴィマ・タクトやカニシカは ÞΑΟΝΑΝΟ ÞΑΟ (シャーウナーヌ・シャーウ)と称しており、アケメネス朝やアルサケス朝・サーサーン朝など他のイラン系の王朝と同じく、「諸王(ÞΑΟΝΑΝΟ シャーウナーヌ)」の「王(ÞΑΟ シャーウ)」(シャーハーン・シャー)を名乗っていたことも判明している。
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王号
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歴代の王については朝鮮の君主一覧#百済も参照 『周書』百済伝によれば、王は「於羅瑕」を号しており、これを民衆は「鞬吉支」と呼んでいた。また、王妃は「於陸」と呼ばれていたという。『釈日本紀』の秘訓では君「キシ」、王「コキシ」、大王「コニキシ」という訓みが伝えられており、「鞬吉支」はこの「コニキシ」に対応するかもしれない。また、同じく『釈日本紀』秘訓には高句麗の王に対して「ヲリコケ」、夫人に「オリクク」の訓みがあてられており、於羅瑕、於陸と関係がある可能性がある。李基文は、於羅瑕に「*eraka」、鞬吉支に「*kenkilci」の推定音を与えている。
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