王号返上と家系断絶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 06:22 UTC 版)
明治時代になると王号を返上し、白川家の当主の資訓は子爵に叙せられた。資訓の後を継いだ資長には実子がなく、伯爵上野正雄(北白川宮能久親王の庶子)の男子の久雄を養子に迎えたが、後にこの養子縁組は解消となり、白川家は断絶となる。
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