白川伯王家とは? わかりやすく解説

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白川伯王家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/20 02:51 UTC 版)

白川伯王家(しらかわはくおうけ)、又は白川家(しらかわけ)とは花山天皇の皇孫の延信王清仁親王の王子)から始まり、古代からの神祇官に伝えられた伝統を受け継いだ公家華族だった家である。公家としての家格は半家、華族としての家格は子爵家だった[1]皇室祭祀を司っていた伯家神道(白川流神道)の家元


注釈

  1. ^ 詳しくは皇族を参照。
  2. ^ ただし顕康王に関しては確証がないとの見方がある。
  3. ^ ただし顕広王は神祇伯就任以前から王氏であった可能性も指摘されている。
  4. ^ 13世紀初頭の資宗王によって成立したという見解もある。
  5. ^ 国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』によれば幕末期の万里小路家領は、山城国葛野郡松尾谷村のうち34石1斗5升6合9勺、山城国葛野郡松室村のうち20石7斗2升9合8勺、山城国葛野郡上山田村のうち11石1斗8升8合、山城国乙訓郡下植野村のうち50石、山城国乙訓郡石見上里村のうち37石7斗、山城国紀伊郡下三栖村のうち8石7斗5升7合、山城国紀伊郡吉祥院村のうち31石3斗、山城国紀伊郡深草村のうち6石2斗9升7合であり合計8村・200石1斗2升8合7勺。
  6. ^ 中納言からそのまま大納言になることを直任といい、中納言を一度辞してから大納言になるより格上の扱いと見なされていた。叙爵内規は歴代当主の中にこの大納言直任の例があるか否かで平堂上家を伯爵家か子爵家かに分けていた[5]
  7. ^ 祖父・清仁親王の養子とも。
  8. ^ 村上源氏源顕房の猶子。
  9. ^ 中院通為の2男。
  10. ^ 高倉永孝の子。
  11. ^ 加賀藩士となる。
  12. ^ 梅溪通条の子。
  13. ^ 梅溪行通の子。
  14. ^ 冷泉為起の子。
  15. ^ 上野正雄の子。

出典

  1. ^ a b 小田部雄次 2006, p. 332.
  2. ^ 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典第11巻』(吉川弘文館1983年昭和59年))617頁参照。
  3. ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
  4. ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
  5. ^ 浅見雅男 1994, p. 118.
  6. ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成 上巻』(霞会館1996年平成9年)) 763頁参照。


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