吉田家との地位逆転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 06:22 UTC 版)
室町時代になると、代々神祇大副(神祇官の次官)を世襲していた卜部氏の吉田兼倶が吉田神道を確立し、神祇管領長上を称して吉田家が全国の神社の大部分を支配するようになり、白川家の権威は衰退した。江戸時代に白川家は伯家神道を称して吉田家に対抗するも、寺社法度の制定以降は吉田家の優位が続いた。 家格は半家、代々の当主は近衛中将を経て神祇伯になった。 江戸時代の家禄は200石。他に神祇領・神事料100石。
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