じん‐じゃ【神社】
神 社
じんじゃ 【神社】
神社
神社(2社)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 08:00 UTC 版)
神仏習合の時代より瑞龍寺にあった神社。「昭和・平成の大修理」のため、他所に移設したものを2020年(令和2年)7月に敷地内に戻した。もともと2つの社と鎮守堂があったが、鎮守堂は高岡市内にある赤祖父神社に明治初期に売却、2つの社は瑞龍寺境内に残されていた。再移設にともない、社の修復とともに、2つの社を納める木造の、幅5.5m、奥行き約3.7m、高さ約5mの覆屋(おおいや)を新築した。
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神社(神道)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 22:36 UTC 版)
彦島八幡宮 彦島八幡宮は彦島迫町5丁目にある八幡宮で、かつては県社だった。祭神は主祭神が応神天皇で、配祀神が仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇である。社宝は天文21年(1552年)に大内義長が寄進したとされる雄剣2腰である。寄進物は社宝以外にも明治5年(1872年)に寄進された毛利元敏による雄剣と短冊(元敏の自筆)がある。明治7年(1874年)に郷社、大正12年(1923年)に県社となった。 当八幡宮の沖合を通った船は必ず「半帆」という札をとったため「灘八幡」とも呼ばれる。このことから造船・漁業関係者からは篤い信仰を集め、他にも安産の神としても知られ「子安八幡」とも呼ばれる。 保元2年(1157年)河野通次が海中から裏に「八幡尊像」と刻まれた鏡を得たため平治元年(1159年)11月26日、宇佐神宮から勧請して祀り、永暦元年(1160年)光格殿に納めて移し、のちに通次の子孫である通久が貞和5年(1349年)に神託を受けて社殿を建てたというのが由緒である。また、別の説にはイナの漁師が海底から鉾で八幡尊像を突き上げ、河野通次が舞子島に祠堂を造り、後に現在の場所に移されたという説がある。なお、どちらの説でも登場する舞子島は現在は埋め立てにより存在しない。 元禄5年(1692年)には彦島八幡宮は再建され、費用は当時の藩主(毛利吉就)が負担した。同年、吉就は小門(小瀬戸をはさんで彦島海士郷と反対側)で客を呼んで囲碁で争わせ、それ以来は毎年行われるようになった。この行事は7月6日に行われているが「七夕祭」と呼ばれ、その又の名を「六夕神事」という。 毎年10月21日に行われる例祭、サイ上(あが)り神事では甲冑を着て武者が「サイ上り」と叫びながら御神体を海中から揚げるようにして舞い、祝福する。光格殿が作られた舞子島の由来は光格殿奉納の際に通次らが舞い踊ったことにちなむ。また、このとき通次らが「サァ揚らせ給う」と大声で言ったため「サイ上り」として伝えられた。 他に彦島八幡宮の祭祀としては1月1日に行われる元服祭や例祭前の準備として行われる夏越祭・宵祭がある。元服祭は1月15日に元来行われていた祭りで海士郷の漁業組合の男子が17歳になるときに紋付袴で参拝する祭りである。夏越祭及び宵祭は前述の通り例祭の準備として行われ、夏越祭(7月終わり)では彦島周辺の海に神輿を渡らせ、宵祭(例祭前日)ではその1か月前ごろから仕込んでおいた酒(濁酒(どぶ))を供える。 境内には大歳神社(祭神:大年神、御年神、若年神)、若宮神社(祭神:仁徳天皇)、祖霊社の三社がある。 貴布祢神社 彦島老町に鎮座する貴布祢神社(きふねじんじゃ)は、京都の貴船神社を総本社とする。祭神は高龗神(たかおかみのかみ)、保食神(うけもちのかみ)。鎌倉時代中期にあたる弘安元年(1278年)に創建された神社である。「牛の宮」とも呼ばれ、牛馬安全を祈る社としてかつては大いに繁栄していた。 恵比須神社 彦島海士郷町にある。写真では恵比須の比が美となっているが他にも毘とも綴る。祭神は事代主命(ことしろぬしのかみ)。海の神として信仰され、毎年12月3日に行われるぼら祭りでは豊漁を祈願する。 福浦金刀比羅宮 天保元年(1830年)に忌宮神社から勧請して成立した。祭神は大物主神と崇徳天皇。かつて福浦が港町として栄えたときに大いに賑わった。 現在福浦金刀比羅宮にある福浦富観記碑は文政13年(1830年)9月に当時の眺めを見た小田南陔(小田圭)により書かれた。現在は木々が邪魔していい風景とは言えない。 福浦金刀比羅宮の鳥居までの道は日本で一番急な坂と言われ、その石段の段数は昔から人によって279段だったり281段だったり277段だったりする。これは金比羅狐のしわざだという言い伝えがある。 福浦は港として栄えていたため多くの人々がやってきていろいろな人々がこの段数を突き止めようとした。しかし誰一人として上りのときと下りのときで段数は揃うことがなかった。地元の人でも分からないことなのに彦島に無縁な人々が段数を確かめようとしたので福浦の人々はこれを「よそ者の狐ごかし」として嘲笑っていた。 塩釜神社 塩浜(彦島塩浜町)では江戸時代後期まで塩田が営まれ、塩田の守護神として塩釜神社が祀られていた。祭神の塩土神(しおつちのかみ)は海の神で塩の精製法を伝授したといわれる。 田の首八幡宮 彦島田の首町にある八幡宮。祭神は主祭神が応神天皇、配祀神が仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇。神紋は左三つ巴。明徳2年(1391年)に彦島八幡宮から勧請して祭祀した。昔は牛をこの八幡宮に参拝させる風習があって海で洗っていた。 鳥居は一ノ鳥居、二ノ鳥居があり、狛犬が拝殿の前に一対ある。拝殿奥には幣殿、本殿と続き幣殿の東側には祭具庫がある。拝殿から北西側には孤立して神輿庫がある。 竹ノ子島金刀比羅神社 彦島竹ノ子島町にある神社。竹ノ子島金刀比羅宮ともいうが福浦にも金刀比羅宮があるため本項目では竹ノ子島の方は神社と表記する。祭神は大物主神、金山毘古神(かなやまひこのかみ)、菅原道真公。文政3年(1820年)に創建された。
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神社(じんじゃ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 16:41 UTC 版)
「境界線上のホライゾン」の記事における「神社(じんじゃ)」の解説
人と神道系の神々を仲介する組織。信仰のほかに神奏術や通神の管理など担い、その役目はプロバイダに近い。
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神社
「神社」の例文・使い方・用例・文例
- 根津神社へ行きたいんですが。
- 歴史的な神社やお寺がたくさんある古都です。
- ここです。神社はここから歩いてすぐですよ。
- 伝統行事です。3歳と5歳の男の子と、3歳と7歳の女の子は神社へ行き、健康を祈願します。
- あなたが日光の美しい景色と神社を満喫できたのならとても嬉しいです。
- なぜなら、私の家の周りにはたくさんの有名なお寺や神社があるからです。
- なぜなら、私の故郷にはたくさんの有名なお寺や神社があるからです。
- 私の故郷には神社やお寺がたくさんあるので、それを宣伝するべきだと思います。
- 京都には神社や寺のような古い建物がたくさんあります。
- その神社でお守りを買った。
- この神社の初詣は毎年多くの人で賑わいます。
- あなたはそこで美しい神社と鳥居を見ることができます。
- そして、私は神社でお祈りをしてご飯を食べに行きました。
- それは神社で正月のお守りとして売られている。
- ここの神社では、毎年夏に祭りがあって沢山の子供でにぎわいます。
- この道を行って右に曲がるとその神社の入り口です。
- 私の趣味は音楽を聴くこと、本を読むこと、神社巡りです。
- この神社には狸を祭っています。
- 今日はその神社のお祭りです。
- この本には神社について書いてある。
神社と同じ種類の言葉
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