ハワイ石鎚神社とは? わかりやすく解説

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ハワイ石鎚神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/14 06:32 UTC 版)

ハワイ石鎚神社
Hawaii Ishizuchi Shrine Shinto Rituals

所在地 2020 S.King St. Honolulu Hawaii
位置 北緯21度17分41.8秒 西経157度49分46秒 / 北緯21.294944度 西経157.82944度 / 21.294944; -157.82944座標: 北緯21度17分41.8秒 西経157度49分46秒 / 北緯21.294944度 西経157.82944度 / 21.294944; -157.82944
主祭神 石鎚毘古命
創建 1913年(大正2年)
地図
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ハワイ石鎚神社(ハワイいしづちじんじゃ、Hawaii Ishizuchi Shrine Shinto Rituals)は、アメリカ合衆国ハワイ州に属する、オアフ島ホノルル市南キング街に鎮座する神社石鎚神社)。1913年大正2年)創祀[1]

祭神

歴史

  • 1913年(大正2年)2月17日、三宅志奈に「タカヤマノタカガミ」が憑依したことから、愛媛県西条市石鎚神社の石土毘古神を祭神として鎮斎する。
  • 1917年(大正6年)
    • 10月22日、ハワイの神社の中で初めてハワイ県政府が非営利法人として認められる。
    • 11月24日、現在地に遷座。
  • 1927年昭和2年)6月13日、三宅志奈が日本に帰国し、愛媛の本社と松山の多賀神社で修業した木村富次が2代宮司となり、ホノルル神道連盟に加盟。
  • 1941年(昭和16年)12月7日、FBI憲兵隊により木村宮司は拘束。
  • 1942年(昭和17年)2月17日、第1回船で木村宮司はアメリカ本土に移送される。
  • 1945年(昭和20年)11月13日、第2回配船で木村宮司は戻り自宅で再開す。
  • 1954年(昭和29年)5月3日、敵国財産管理局に没収されていた社殿が返還され、社殿での祭祀が再開される。
  • 1960年(昭和35年)9月、1階ホールに「葵幼稚園」を開設。
  • 1963年(昭和38年)、広島より宮大工を招き、本格的な社殿を建築。
  • 1965年(昭和40年)、加藤神社を合祀。[2] 
  • 1981年(昭和56年)、幼児減少で幼稚園を閉鎖し、貸事務所とす。

交通アクセス

アラモアナセンターから6番・19番のTheBusで19〜22分

出典

  1. ^ ハワイ石鎚神社”. 神奈川大学非文字資料研究センター. 2017年8月27日閲覧。
  2. ^ 前田孝和著『ハワイの神社史』ISBN 4-470-20047-6 全国書誌番号:20004485

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