こっか‐しんとう〔コクカシンタウ〕【国家神道】
国家神道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/01 16:38 UTC 版)
国家神道(こっかしんとう、旧字体: 國家神道)は、近代天皇制下の日本において作られた一種の国教制度[1][2]、あるいは祭祀の形態の歴史学的概念である。 皇室の祖先神とされる天照大神を祀る伊勢神宮を全国の神社の頂点に立つ総本山とし、国家が他の神道と区別して管理した「神社神道(じんじゃしんとう)」(神社を中心とする神道)を指す語である[3]。
注釈
- ^ 具体的には「安寧秩序ヲ妨ケス」は主として刑法犯に抵触しない事を指し、「臣民タルノ義務ニ背カサル」は20条・21条に明記された兵役と納税の義務は宗教上の理由で拒否することが出来ない、という見解であった。
- ^ 美濃部達吉や筧克彦は「神社を格別として、神道を国教としたのは不文憲法に基づくものであるとの学説を主張した。」(葦津珍彦 1987, p. 132)
- ^ 神社局は「国民カ神社ニ参拝シマスノハ我カ国体ノ本義ニ基ク当然ノ責務」(1939年1月、帝国議会用資料「宗教団体法案ニ関スル質疑応答資料」)としている。
- ^ 神社が保有する森林(鎮守の森)を材木として財源にする狙いがあったといわれる。
- ^ アーサー・ポンソンビーによれば、これは戦争遂行のためのプロパガンダに用いられる要素の一つでもある[50]。
出典
- ^ a b 『日本大百科全書』(小学館)”国家神道" コトバンク
- ^ a b 佐木秋夫 (25 April 1972). "国家神道". 世界大百科事典. 11 (初 ed.). 平凡社. p. 270.
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も指定してください。 (説明) コトバンク 世界大百科事典「国家神道」 - ^ a b c 岩井洋『知恵蔵』(朝日新聞社)”国家神道" コトバンク
- ^ a b c d 國學院大學日本文化研究所編「国家神道」『神道事典』弘文堂(1999年)129頁
- ^ a b c d e f g h i j 新田均「最近の動向を踏まえた「国家神道」研究の再整理 (第30回 宗教法制研究会・第64回 宗教法学会)」『宗教法』第32巻、宗教法学会、2013年10月、21-44頁、ISSN 0288-6820、NAID 120006779224。
- ^ a b 井上順孝 2006, p. 134.
- ^ a b プレステップ神道学, p. 79.
- ^ 国家神道とは何だったのか(1987), p. 132.
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- ^ 国家神道とは何だったのか(2006), p. 40-41.
- ^ a b 神社本庁編『神社のいろは 続』扶桑社(2006年)153頁
- ^ 国家神道とは何だったのか(2006), p. 109,114-115.
- ^ 国家神道とは何だったのか(2006), p. 109,114-115頁.
- ^ 国家神道とは何だったのか(2006), p. 136.
- ^ 井上順孝 2006, p. 136.
- ^ プレステップ神道学, p. 75.
- ^ a b c プレステップ神道学, p. 77.
- ^ a b c プレステップ神道学, p. 80.
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- ^ 神社本庁編『神社のいろは 続』扶桑社(2006年)151頁
- ^ 神社本庁編『神社のいろは 続』扶桑社(2006年)150頁
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- ^ 神社本庁編『神社のいろは 続』扶桑社(2006年)156-157頁
- ^ プレステップ神道学, p. 155.
- ^ a b 神社本庁編『神社のいろは 続』扶桑社(2006年)155頁
- ^ a b c d e f 沼部春友・茂木貞純編『神道祭祀の伝統と祭式』戎光祥出版(2018)62-67頁
- ^ a b c d e 山崎雅弘 2015.
- ^ a b c 岡田莊司『日本神道史』吉川弘文館(2010)270-271頁
- ^ 『戦後宗教回想録』新日本宗教団体連合会調査室、1963
- ^ 島薗進「天皇と神道思想」、慶應義塾大学出版会『日本は「右傾化」したのか』 ISBN 978-4-7664-2694-6 収録
- ^ 阪本是丸『国家神道形成過程の研究』p.305-306、岩波書店、1994年
- ^ 加藤玄智『東西思想比較研究』明治聖徳記念学会、1924年
- ^ a b 桂島 宣弘 民衆宗教の宗教化・神道化過程 ――国家神道と民衆宗教――
- ^ 宮地直一『神祇史大系』明治書院、1941年。
- ^ 阪本是丸「内務省の「神社非宗教論」に関する一考察」「國學院雑誌」2003年11月p310。
- ^ 宮沢俊義 『憲法講話』(第2版)岩波書店〈岩波新書〉、1967年6月1日 (原著1967年4月20日)、pp. 28-29頁。
- ^ 「国家神道」研究の四〇年
- ^ 島薗進 2010.
- ^ 山口, pp. 54–55.
- ^ 山口, p. 55.
- ^ 『増補改訂 近代神社神道史』神社新報社、1986年12月1日、89-95頁。 NCID BN0105426X。
- ^ 國學院大学日本文化研究所 『縮刷版 神道事典』弘文堂、1999年5月15日、779頁。ISBN 433516033X。 NCID BA41363654。
- ^ 山口, p. 56.
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- ^ 山口, p. 59.
- ^ 山口, pp. 59–60.
- ^ 山口, p. 61.
- ^ “【論評】靖国参拝を可能にするカトリックの理論(田口芳五郎『カトリック的国家観:神社参拝問題を繞りて』改訂増補第3版, カトリック中央出版部, 1933) | 論壇.net”. rondan.net. 2018年10月19日閲覧。
- ^ 菱木 1994, pp. 35–37.
- ^ ポンソンビー「戦時の嘘」、1941年、東晃社。
- ^ 『国史大辞典・第五巻』吉川弘文館、1984年、P889「国家神道」の項。
- ^ 新田均『現人神「国家神道」という幻想』参照
- ^ 『国史大辞典』吉川弘文館
- ^ 安丸良夫・宮地正人編『日本近代思想大系5 宗教と国家』431ページ
国家神道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 22:56 UTC 版)
椿井文書の需要が高まった時代背景には、国学の隆盛から国家神道へという流れの中での社格制定があるという。椿井文書の作者と推定される椿井政隆には皇国史観につながるような思想があるという。 明治4年(1871年)、太政官布告第二百三十四で神社が国の宗教機関と宣言され国家神道の体制が始まり、神職の人事権が国家に握られる。興福寺僧侶は復飾願いを提出し春日社の神官となり、旧来の春日社家社寺領は没収、廃寺の指令を受けた。春日社家、新神司、新社司も解職され野田の社家町は全滅、興福寺の院坊の多くも廃寺となり、仏像、仏具は破壊、売却され、経典古書類は売却、焼却、反古紙、包装紙となった。[独自研究?] 神社の儀は国家の宗祀にて一人一家の私有にすへきに非さるは勿論の事に候処中古以来大道の陵夷に随ひ神官社家の輩中には神世相伝由緒の向も有之候へ共多くは一時補任の社職其儘沿襲致し或は領家地頭世変に因り終に一社の執務致し居り其今村邑小祠の社家等に至る迄総て世襲と相成社入を以て家禄と為し一己の私有と相心得候儀天下一般の積習にて神官は自然士民の別種と相成祭政一致の御政体に相悖り其弊害不尠候に付今般御改正被為在伊勢両宮世襲の神官を始め天下大小の神官社家に至る迄精拱補任可致旨被 仰出候事 —明治四年(1871年)五月十四日太政官布告第二百三十四、
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国家神道
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特に近代(明治維新より第二次世界大戦終結まで)において国家の支援のもとに行われた神道を指す名称であり、事実上の国家宗教となっていた。(国家神道#「国家神道」の語の用例を参照)
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