熱田神宮とは? わかりやすく解説

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あつた‐じんぐう【熱田神宮】

読み方:あつたじんぐう

名古屋市熱田区にある神社主祭神は、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を神体とする熱田大神。他に五神を祭る。熱田の宮。熱田神社


あつたじんぐう 【熱田神宮】


熱田神宮

読み方:アツタジングウ(atsutajinguu)

教団 神社本庁

所在 愛知県名古屋市熱田区

祭神 熱田大神 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

熱田神宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 05:07 UTC 版)

熱田神宮(あつたじんぐう)は、愛知県名古屋市熱田区神宮にある神社式内社名神大社)、尾張国三宮旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。宮中の四方拝で遥拝される一社。神紋は「五七桐竹紋」。古くから「熱田さん」と呼ばれて親しまれている。


  1. ^ 「神宮御造営は同天皇(仲哀天皇)の元年頃なるへし、」(『熱田神宮略記』[3]
  2. ^ 「御神(熱田大明神)被入-座王城御詫宣コタクセンイハ、我スデカノ国愛智郡衛崎ヱサキ松炬嶋マツコノシマ機綾ハタヤノ大化タイクハ二年丁未(マヽ)歳五月一日、天下座著マシマス神也、」(『朱鳥官符』[4]
  3. ^ 「倩尋レハ旧典ヲ、彼ノムラ雲釼天照大神ノ御正躰、今ノ大宮権現是也(つらつら旧典を尋ぬれば、かの叢雲釼は、天照大神の御正体、今の大宮権現これなり。)」(『熱田明神講式』[15]
  4. ^ 「卽ち宮簀媛にりたまひしく、此の劔は神のあり。いはまつりて、吾が形影みかげよ、とのりたまひき。りてやしろを立て、さと(熱田郷のこと)にりて名としき。」((『尾張国風土記』逸文(『釈日本紀』巻七述議三神代上)[16]
  5. ^ 「伊勢太神宮ト申ハ熱田太神宮也、一躰分身ノ神、御在処ニ随テ伊勢トモ熱田トモ申也、日本二ハシラノ神ニテ、天ヲ伝テ土地也ヲ得テ、三国ノ主ニテ、日本ヲ神国ト号シ、衆生ヲ利益ノ為ニ、南閻扶提ニ跡ヲ垂テ、神明ト号シ給、仏出世シテ此一大事ヲ為説カン也、」(『熱田宮秘釈見聞』[19]
  6. ^ 「天武天皇ノ御宇ニ、宮古(都)ヨリ還座ノ時、改テ土用御殿ヲ建立シ玉ヒテ、神剣ハ石ノ辛櫃ニ入御ナシ奉リ、土中ニ安鎮シ奉ル」(『尾州神宮秘伝』[24]
  7. ^ 「そさのをの尊すなはちはかせる十つかの劔をぬいて、ずたずた〱にそのおろちをきる。にいたつて、つるぎすこしかけぬ。故、その尾をさいてみそなはすれば、中に一の劔あり。是いはゆる草薙くさなぎのつるぎなり。」(『日本書紀』(巻第一神代上第八段)[27]
  8. ^ 「此神剣ハ、天照大御神の天岩屋にコモり坐しとき、招出し奉らむ祈の礼代と榊に取懸て、神鏡・神剣・神玉と此三神器を奉られたりと聞ゆるを、…」(『熱田神宮略記』[29]
  9. ^ 「もと、天照大御神あまてらすおほミかミの御物なるを、出雲国にすめ八俣大蛇やまたをろちといふ邪神まがゝミの盗みもてるを、この八俣大蛇が住る上に、雲と立たりし故に、村雲の御剣といふ、大御神の御弟健速須佐乃男尊たけはやすさのをのみこと取り得て、大御神に奉り給へるなり、」(『熱田神宮御神徳略記』[30]
  10. ^ 『熱田神宮略記』[29]
  11. ^ 天照太神あまてらすおほんかみ和大國魂やまとのおほくにたま、二はしらの神を、天皇すへらみこと大殿みあらかの内に、ならべいはひまつる。」(『日本書紀』(巻第五崇神天皇)[31]
  12. ^ 「しかれどもその神のみいきほひをおそれて、ともに住給ふことやすからず。かれ天照太神あまてらすおほんかみをもては、豐鍬入姬命とよすきいりひめのみことをつけまつりて、やまとの笠縫かさぬひむらにいはひまつる。よて磯堅城神籬しかたきのひもろきをたつ。亦日本大國魂神やまとのおほくにたまのかみをもては、渟名城入姬命ぬなきいりひめのみことつけて、いはひまつる。…」(『日本書紀』(巻第五崇神天皇)[31]
  13. ^ 「垂仁天皇廿五年丙辰春三月。伊勢百船度會國。玉撥伊蘇國仁入座。(中略)然後。隨神誨。造建神籬。取丁巳年冬十月甲子。奉。於五十鈴川上之後。覔清麗膏地。和妙之機殿乎。同與于五十鈴川上側。令倭姫命居焉。于時。天棚機姫神。令織太神和妙御衣倍利。是名號礒宮矣。…」(『倭姫命世記』[32]
  14. ^ 「冬十月壬子朔癸丑。日本武尊發路之。」(『尾張国熱田太神宮縁記』[35]
  15. ^ 「戊午。抂道奉拜伊勢大神宮。啓齋王倭姬命。…(中略)…日本武尊拜-領劔嚢行。」(『尾張国熱田太神宮縁記』[35]
  16. ^ 「道路到尾張國愛智郡。時稻種公啓曰。當郡氷上邑有桑梓之地。伏請大王税駕息之。」(『尾張国熱田太神宮縁記』[36]
  17. ^ 「(日本武尊、)側見一佳麗之娘。問其姓字。知稻種公之妹。名宮酢媛。」(『尾張国熱田太神宮縁記』[37]
  18. ^ 「即命稻種公。聘-納佳娘。合卺之後。寵幸固厚。數日淹留。不手。」(『尾張国熱田太神宮縁記』[37]
  19. ^ 「(日本武尊、)即解劔授曰。寳-持此劔。爲我床守。」(『尾張国熱田太神宮縁記』[38])。
  20. ^ 「時近習之人大伴建日臣諫曰。此不留。何者。承-聞前程氣吹山有暴惡神。若非劔氣。何除毒害。日本武尊高言曰。縱有彼暴神。擧足蹴殺。遂留劔上道。」(『尾張国熱田太神宮縁記』[38])。
  21. ^ 「暴風吹淫雨。山谷杳冥。之棲遑不其所。跋渉冐雨强行。僅得山脚。失意如醉。」(『尾張国熱田太神宮縁記』[38])。
  22. ^ 「自後日本武尊體中不豫。欲尾張。…(中略)…逮于能褒野。異常委惙。…(中略)…既而過鈴鹿山。病痛危迫。」(『尾張国熱田太神宮縁記』[39])。
  23. ^ 「渡鈴鹿河中瀨。忽隨逝水。」(『尾張国熱田太神宮縁記』[40])。
  24. ^ 「天皇聞之。寢不安。食無味。晝夜嗚咽。…(中略)…即勅群卿百寮。仍葬伊勢國能褒野。」(『尾張国熱田太神宮縁記』[40]
  25. ^ 「時日本武尊化白鳥。從陵墓出。指大和國而飛去。群臣等開其棺槨而視之。明衣空留。不骸骨。於是馳使追尋。白鳥集於大和國琴驒原。仍於其處造陵。白鳥更飛至河内國志紀郡。留舊市邑。亦其處造陵。故時人號是三陵白鳥陵。然遂騫翥昇天。徒葬衣冠而已。」(『尾張国熱田太神宮縁記』[40]
  26. ^ 「宮酢媛不平日之約。獨守御床置神劔。」(『尾張国熱田太神宮縁記』[41]
  27. ^ 「宮酢媛會集親舊。相議曰。我身衰耄。昏曉難期。事須瞑之前。占社奉神劔。衆議感之。定其社地。」(『尾張国熱田太神宮縁記』[41]
  28. ^ 「有楓樹一株。自然炎燒。倒水田中。光㷔不銷。水田尚熱。仍號熱田社。」(『尾張国熱田太神宮縁記』[41]
  29. ^ 「宮酢媛下世之後。建祠崇-祭之。號氷上姊子天神。」(『尾張国熱田太神宮縁記』[42]
  30. ^ 「四十三年、一云四十九年未己、至経営大宮、」(『熱田大神宮御鎮座次第本紀』[47]
  31. ^ 「人皇一十二代景行天皇四十一辛亥年、始鎮坐、」(『熱田宮旧記』[48]
  32. ^ 「崩日ハ四十一年四月八日なりとて、今にその日御陵の祭典を行ふ也、」(『熱田神宮略記』[3]
  33. ^ 「(景行天皇)御宇四十九年己未、一説ニ四十一年ト云ハ非ナリ、草薙剣、蔵尾張国愛智郡熱田郷而、即為神璽也、」(『熱田本社末社神体尊命記集説』[49]
  34. ^ 「此宝剣ハ、武尊東征ニ因テ、倭姫命是ヲ授ケ、速ニ朝敵ヲ伐シメントノ意也、然ルニ今東夷既ニ王化ニ伏シヌレハ、宝剣ヲ天照大神ニ返シ給フ事、実ニ利ノ当然也、(中略)然レハ即、一度ハ伊勢ニ返シ給フ説ヲ取ヘキ矣、後ニ熱田神祠(ママ)奉納ハ、疑ラクハ、是勅命ニシテ、当時尾張国造等ノ所謂ナラン、猶後賢ノ補ヲ俟爾已(ママ)、」(『熱田本社末社神体尊命記集説』[50]
  35. ^ 「神宮御造営は同天皇(仲哀天皇)の元年頃なるへし、…(中略)…今の神宮の御鎮座を景行天皇四十一年なる由書等に記せるは、事実を考へず甚あらき記ざまにて誤なり、」(『熱田神宮略記』[3]
  36. ^ ツイニ足仲彦タラシナカツヒコノ天皇スベラギ四年ヨトセ霊運アツジレ当遷タマフ矣、スナハチカクレマシキ霊根嶋タマ子ジマ、」(『尾張国氷上宮開始正伝本起』[51]
  37. ^ 「彼比賣命の倭建命にはしめて御合給へる年をかりに十五バカリと定めて數ふるに仲哀天皇四年に至りて九十六許なり」(『尾張志』[52]
  38. ^ 「神剣ハ是ヨリ凡八十年余リ国造邸ナル神床ニ坐リ、」(『熱田神宮記』[53]
  39. ^ 「右朱鳥元年三月廿一日宣旨センジ廿八日到来シテイハク、以白鳳廿一年十二月一日、被熱田大明神之由、御神被入-座王城御詫宣コタクセンイハク、我スデカノ国愛智郡衛崎ヱサキ松姖嶋マツコノシマ機綾ハタヤノ大化タイクハ二年丁未(マヽ)歳五月一日、天下座著マシマスナリ也、」(『朱鳥官符』[4]
  40. ^ 「熱田正縁記云、景行天皇四十一年、草薙劔氷上村に留る、其後宮簀媛、老後松姖島に社を建て納む。孝徳天皇大化二年尾張忠ナガ等、託宣に依て愛知郡會崎ヱサキ棧綾村に遷座なさしむ、則今の大宮是なり。熱田本記亦同し、右木下宇左衛門説。」(『厚覧草』[54]
  41. ^ 高座結御子神社、氷上姉子神社の境内にある末社も、すべて熱田神宮の境外末社である。
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熱田神宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 05:54 UTC 版)

天叢雲剣」の記事における「熱田神宮」の解説

草薙剣は、日本神話記述通りであれば、熱田神宮の奥深く神体として安置されている。 この剣は盗難遭ったことがあり、天智天皇7年668年)に新羅の僧・道行どうぎょう)が熱田神宮から草薙剣盗み新羅持ち帰ろうとした(『日本書紀』二十七巻、天智天皇)。『尾張国熱田太神宮縁起』では、一度目は神剣が自ら神宮戻って失敗二度目は船が難破して失敗神剣日本側に回収された(草薙剣盗難事件参照)。 その後草薙剣宮中保管されていた。『平家物語』では、天武天皇草薙剣内裏移した伝える。朱鳥元年686年6月天武天皇が病に倒れる。病気の原因は「宮中神剣置いたままにし、熱田戻さない為の神剣祟り」と判明した陰陽師により御祓行い、あるいは恩赦仏教による功徳期待して病の回復を祈るが、それでも神剣祟り解けなかったという。草薙剣は熱田神宮に戻されたが、天皇9月崩御した。 鎌倉時代に熱田神宮が炎上した際、幅一尺長さ四尺の漆塗り箱に収められ神剣は、直接被害を受けることはなかった。神宮神職確認すると、赤地の錦袋があったため、神剣判断して八剣殿(やつるぎのみや、708年創建)に収めたという。御記文によればヤマトタケル前世素戔嗚尊であったとしている。『熱田太神宮御託宣記』でも、久子内親王(後深草天皇皇女)関連同様の伝承伝えている。 戦国時代、熱田神宮も神領奪われ困窮する安土桃山時代になると織田信長豊臣秀吉徳川家康によって保護されるが、江戸時代になって荒廃松尾芭蕉が『野ざらし紀行』で1684年貞享元年当時惨状を「かしこに縄を張り小社の跡をしるし、爰に石を据ゑて其神と名のる。」と記述している。1686年貞享3年)、江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉により社殿造営再建された熱田神宮を訪れた芭蕉は「磨(とぎ)なをす鏡も清し雪の花」と詠んだ綱吉時代に熱田神宮の改修工事があった時(前述)、神剣入った古くなったので、神剣新しに移す際、4~5人の熱田大宮司社家神官神剣盗み見たとの記録がある。天野信景名古屋藩士、国学者)の随筆塩尻によれば神剣取り出した関係者数年のうちに咎め受けたという。梅宮大社神職者で垂加神道学者玉木正英(1671-1736年)の『玉籤集裏書にある記載は、明治31年の『神器考証』(栗田寛著)や『三種の神器考古学的検討』(後藤守一著)で、世に知られるようになった上述著作によれば神剣祀られ土用殿内部雲霧たちこめていた。木製長さ五尺)を見つけてを開けると、石の置かれていて間に赤土詰めてあり、それを開けると更に赤土詰まっていて、真ん中にくり抜かれ丸木があり黄金敷かれていて、その上に布に包まれた剣があった。箱毎に錠があり、大宮司秘伝一つの鍵で全てが開くという。布をほどいて剣を見ると、長さは2尺78寸(およそ85センチメートル)ほどで、刃先菖蒲似ており、剣の中ほど盛り上がっていて元から6寸(およそ18センチメートル)ほどは節立っての脊骨のようであり、全体的に白っぽく、錆はなかったとある。この証言記述)が正しければ草薙剣両刃白銅剣となる。一方で後藤守一は、(皇国史観束縛なくなった太平洋戦争終戦翌年1946年)に明治大学専門部地理歴史科夜学)の講義で、神官盗み見た剣は青黒かったとの伝承紹介し、それが事実なら、赤く錆び鉄製でなくおそらく青銅製で、弥生時代九州文化圏関連する可能性があるとの推測述べた聴講した考古学者大塚初重による回想)。 なお神剣見た大宮司流罪となり、ほかの神官祟りの病でことごとく亡くなり、幸い一人だけ難を免れた松岡直という者が相伝したとの逸話伝わっている。 明治時代初期には、草薙剣調査するため勅使派遣された。最後の箱を開こうとした時に三条実美当時太政大臣)から中止命令届き調査行われなかったという。川口陟『定本日本刀剣全史』には、「熱田大宮司尾張連家の秘伝」として、神剣形状および御樋代みひしろ)の想像図記載されている。 昭和天皇侍従長であった入江相政著書によると、太平洋戦争当時空襲避けるために長野県木曾山中疎開させようとするも、大きすぎて運ぶのに難儀したため、入江長剣用と短剣用の2種類の箱を用意し昭和天皇勅封携えて熱田神宮に赴き唐櫃開けたところ、明治時代侍従長山岡鉄舟侍従封(1881年5月25日)があり、それを解いたところで明治天皇勅封があったという。実物検分ていないが、短剣用の納めたという。

※この「熱田神宮」の解説は、「天叢雲剣」の解説の一部です。
「熱田神宮」を含む「天叢雲剣」の記事については、「天叢雲剣」の概要を参照ください。

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