藤原季範とは? わかりやすく解説

藤原季範

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/18 02:06 UTC 版)

 
藤原 季範
時代 平安時代後期
生誕 寛治4年(1090年
死没 久寿2年12月2日1155年12月27日
別名 額田冠者
官位 従四位下
氏族 藤原南家貞嗣流
父母 父:藤原季兼、母:尾張職子尾張員職の娘)
源行遠の娘
範忠、範信 、範雅、範綱、範智、長暹、千秋尼、大進局、由良御前祐範、源師経室
養女:足利義康
特記
事項
源頼朝の外祖父
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誓願寺門前にある「右大将頼朝公誕生舊地」の碑。季範の別邸跡ともされ、季範女由良御前がここで頼朝を出産したという。

藤原 季範(ふじわら の すえのり)は、平安時代後期の貴族神官熱田神宮大宮司藤原南家貞嗣流、藤原季兼の子。位階従四位下。額田冠者(ぬかたかじゃ)を名乗る。

経歴

父が尾張国目代として赴任していた尾張国に生まれる。幼少期は三河国額田に居住しており、この地に因んで額田冠者と号した。出生時、父・季兼は当時としては高齢の47歳であり、季範が12歳のとき死去すると[1][2]外祖父尾張員職の下で育てられた[3]

季範の母の実家である尾張氏は、国司と対立していたが、国司の代官である藤原氏と尾張氏の婚姻の結果、尾張氏と国衙の関係は和解した[4]。尾張氏は、代々熱田神宮の大宮司職を務めていたが、員職の代に至り、霊夢の託宣と称して永久2年(1114年)外孫の季範に同職を譲る[5][6]。これ以降、熱田大宮司は季範の子孫である千秋家の世襲となり、尾張氏はその副官である権宮司に退いている。

保延3年(1137年)8月、夢想により五男・範雅に大宮司職を譲る[7]が、季範が死去した久寿2年(1155年)に季範の長男・範忠が大宮司職に就任する[7]。以後、大宮司職は藤原氏(千秋家)の世襲となり、尾張氏から完全に離れた[2]

季範自身は主に都で生活することが多く[8]従四位下の位階も受けている。従姉妹に鳥羽院乳母藤原悦子(藤原顕隆室)がおり、またその甥が信西(諸説あり)であるなど、中央政界との繋がりも多かった。

また子女を経由した人脈も幅広く、待賢門院上西門院に女房として仕えた娘がいた他、娘の由良御前は源義朝と結婚し、頼朝希義坊門姫一条能保室)らを生んだことで有名である。さらに、養女となった孫娘(実父は範忠)は足利義康と結婚して義兼を生み、後世の足利将軍家にも季範の血統を伝えている[9]。また由良御前が産んだ孫の坊門姫の血筋は鎌倉幕府将軍の藤原頼経頼嗣の他、後嵯峨亀山両天皇にも伝わっている。

系譜

源頼朝の系譜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
16. 源義家
 
 
 
 
 
 
 
8. 源義親
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
17. 源隆長の娘
 
 
 
 
 
 
 
4. 源為義
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2. 源義朝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
10. 藤原忠清
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5. 藤原忠清の娘
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1. 鎌倉幕府初代将軍
源頼朝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
24. 藤原実範
 
 
 
 
 
 
 
12. 藤原季兼
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
25. 小野資通の娘
 
 
 
 
 
 
 
6. 藤原季範
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
26. 尾張員職
 
 
 
 
 
 
 
13. 尾張職子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3. 由良御前
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

※以降の系図については下記の参考文献を参照のこと。電子版はこちらから。

脚注

  1. ^ 「浄瑠璃姫と岡崎 〜桜と姫に守られて〜」岡崎商工会議所
  2. ^ a b 『日本大百科全書(ニッポニカ)』「熱田大宮司季範」
  3. ^ 岡崎市の歴史的風致形成の背景”. 岡崎市. 2023年12月10日閲覧。
  4. ^ 藤本元啓『中世熱田社の構造と展開』続群書類従完成会、2003年、12頁。ISBN 4797107391 
  5. ^ 『張州雑志』巻三十四所収「大宮司系譜」
  6. ^ 『熱田神宮文書 千秋家文書』熱田神宮宮庁、1983年、299頁。 
  7. ^ a b 『熱田大宮司千秋家譜』
  8. ^ 角田文衛「頼朝の母」『王朝の明暗』所収
  9. ^ 男系子孫についても、範忠が八条院女房を室に迎え、範信の子に八条院と上西門院に仕えた者がいた他、多くの男子が後白河上皇の北面になるなど、中央に人脈を持つ者が多かった。
  10. ^ 『世界大百科事典』「藤原季範」

関連項目





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