尾張職子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/17 10:36 UTC 版)
尾張 職子(おわり の もとこ、1059年(康平2年) - 1130年(大治5年))は、平安時代後期の女性。松御前(まつごぜん)の名で知られ、熱田神宮大宮司・尾張員職の娘で、源頼朝の曾祖母にあたる[1]。
生涯
出自と結婚
1059年(康平2年)、尾張氏の一族で熱田大宮司・尾張員職の娘として生まれる[2]。当時、大宮司家は国司との連携を深めており、員職は娘・職子を尾張国目代藤原季兼に嫁がせた[3]。この婚姻により、大宮司職は尾張氏から藤原氏(のちの千秋家)に移行した[3]。
新城での生活
職子は夫の季兼と共に三河国野田城(現在の愛知県新城市稲木)で暮らし、1130年(大治5年)に同地で没した[2]。塚は稲木地区の境界にある雁峰山系の城ヶ峰山山頂あり、2019年(令和元年)には地元陶芸家・加藤夢堂作の源頼朝坐像が設置された[4][2][5]。
伝承と顕彰

系譜
源頼朝の系譜 |
---|
脚注
- ^ “松御前之碑 壮大なロマン知る”. 毎日新聞. (2021年7月14日) 2024年7月12日閲覧。
- ^ a b c d “新城ゆかりの人:松御前”. 新城市. 2024年7月12日閲覧。
- ^ a b c “源頼朝と熱田”. 名古屋市. 2024年7月12日閲覧。
- ^ “松御前の墓に源頼朝公坐像設置”. 東日新聞. (2019年5月25日) 2024年7月12日閲覧。
- ^ a b “新 城 市 教 育 委 員 会 12 月 定 例 会 会 議 録置”. 新城市. (2019年5月25日) 2024年7月12日閲覧。
- ^ “松御前之碑が熱田神宮へ献納”. 東日新聞. (2021年6月23日) 2024年7月12日閲覧。
- ^ “色あせぬ刀剣の輝き”. 中日新聞. (2021年7月7日) 2024年7月12日閲覧。
- 尾張職子のページへのリンク