尾張藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/06 17:19 UTC 版)
尾張藩(おわりはん)は、愛知県西部にあって尾張一国と美濃、三河及び信濃(木曽の山林)の各一部を治めた親藩。徳川御三家中の筆頭格であり、諸大名の中で最高の格式(家格)を有した。尾張国名古屋城(愛知県名古屋市)に居城したので、明治の初めには「名古屋藩」とも呼ばれた。藩主は尾張徳川家。表石高は61万9500石。
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- ^ 尾張藩『角川日本地名大辞典(旧地名編)』
- ^ ただし明治維新後に、稲葉騒動が起きている
- ^ 『圓覺院様御伝二十五箇条』近松茂矩記
- ^ 『圓覺院様御伝二十五箇条』近松茂矩記
- ^ 吉宗から三か条の詰問を受けたにも関わらず、宗春は無視して政策を推し進めたとする説もあるが、吉宗から咎めを受けたという公式記録は存在していない。
- ^ 『徳川実紀』
- ^ 徳川義直『軍書合鑑』
- ^ 『一条兼香公記』には、紀州藩を批判し、尾張藩を持ち上げる記述が散見される。
- ^ 第4代藩主吉通の長女信受院千姫は、五摂家の九条家に嫁ぎ、その血筋は多くの家に繋がっていった。現在の皇室にも繋がっている。また、御附家老竹腰家にも第2代藩主光友の血筋は伝わっている。
- ^ [1]
- ^ 梶川勇作「尾張藩における「給人領」とその給人(後編)」(『金沢大学文学部論集 史学・考古学・地理学篇』18号、1998年)P.44
- ^ 梶川勇作「尾張藩における「給人領」とその給人(前編)」(『金沢大学文学部論集 史学科篇』10号、1990年)P.44
- ^ 梶川勇作「近世の尾張藩における尾張衆とその知行地(後編)」(『金沢大学文学部 地理学報告』8号、1997年)P.40、P.50
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