新谷藩とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 学問 > 歴史民俗用語 > 新谷藩の意味・解説 

新谷藩

読み方:ニイヤハン(niiyahan)

大洲藩支藩


新谷藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/23 04:16 UTC 版)

新谷陣屋「麟鳳閣」

新谷藩(にいやはん)は、大洲藩支藩である。藩庁として新谷(現・大洲市内)に新谷陣屋が置かれた。

藩史

元和9年(1623年)、大洲藩2代藩主・加藤泰興の弟・直泰が幕府より1万石分知の内諾を得て成立した。内紛の後、寛永16年(1639年)に藩内分知ということで決着し、寛永19年(1642年)に陣屋が新谷に完成した。藩内分知は本来は陪臣の扱いであるが、新谷藩は幕府より大名と認められた全国唯一の例である。

寛永9年(1632年)、中江藤樹は当藩に任地替えとなったが、母への孝養を理由に故郷の近江国へ脱藩した。

江戸時代後期になると、肱川の氾濫による水害や火災に見まわれ、藩財政は困窮を極め、一時は大洲藩が藩政を執行した。明治初頭での実高は9,693石と、表高の1万石を割り込んでいた。

明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県により、旧新谷藩領を管下とする新谷県(草高1万石、現石4890石)が設置された。同年11月15日、第1次府県統合、いわゆる3府72県制の実施により新谷県は廃止され、新たな宇和島県に編入された(本庁・宇和島、支庁・大洲)。その後、神山県を経て愛媛県に編入された。

明治17年(1884年)、新谷加藤家は子爵となり、華族に列した。

なお、陣屋は麟鳳閣として現存し、愛媛県指定文化財となっている。陣屋については明治になり、敷地がいくつかに売却されたため、民家に金蔵が現存している(他に大坂、松本城などに現存)。

新谷藩歴代藩主

加藤家

外様 1万石 (1623年 - 1871年)

  1. 直泰
  2. 泰觚
  3. 泰貫
  4. 泰広
  5. 泰宦
  6. 泰賢
  7. 泰儔
  8. 泰理
  9. 泰令

外部リンク

先代
(伊予国)
行政区の変遷
1623年 - 1871年 (新谷藩→新谷県)
次代
宇和島県


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「新谷藩」の関連用語

新谷藩のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



新谷藩のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの新谷藩 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS