内分分知
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/07 15:18 UTC 版)
内分分知(ないぶんぶんち)は、江戸時代における武家(特に大名、旗本)の分家形態の一つである。分家の創設の際に、主君から与えられた領知の表高を減らすことなく、新規に分家を興す形態をいう。新田分知は内分分知の形態の一つである。
- ^ また、老中就任に必要な最低家禄が2万5000石と、禄高が役職就任に大きく関わることもあった。
- ^ 石高表示の場合、形式上は領知を分与したことになる
- ^ 蔵米知行を参照
- ^ 1万石のうち、1809年(文化6年)に分与された6000石
- ^ 1万1000石のうち、1819年(文政2年)に分与された6000石
- ^ 1万3000石のうち、1780年(安永9年)に分与された廩米1万俵
- ^ 廩米3万5000俵
- 内分分知のページへのリンク