埴科藩とは? わかりやすく解説

埴科藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/17 09:55 UTC 版)

埴科藩(はにしなはん)は、信濃国埴科郡に存在した

概要

松代藩主・真田信之の次男の真田信政が、江戸時代前期の慶長 - 元和年間に1万7000石を内分分知されたことから立藩した。寛永16年(1639年)6月、信政が上野国沼田藩へ移封されると、信政の所領は弟の真田信重が継いだ。しかし信重は正保4年(1647年)2月、嗣子なくして松代にて死去し、埴科の所領は父・信之に返上され、埴科藩は廃藩となった[1]

歴代藩主

真田家

1万7000石。外様

  1. 真田信政(のぶまさ)
  2. 真田信重(のぶしげ)

脚注

  1. ^ 藩史総覧』新人物往来社、1977年、195頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12281079/102 




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