藩
姓 | 読み方 |
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藩 | はん |
藩 | ばん |
藩 | まがき |
藩
藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 04:58 UTC 版)
藩財政の窮乏を打開するために商品生産を藩が保護・奨励し、藩営の国産会所(物産会所)を設けて、買い上げと販売を請負商人などに独占させ、その利潤を藩の収入に充当した。江戸時代の初期から行われた。仙台藩・加賀藩の塩、盛岡藩の紫根、会津藩・米沢藩の漆蝋(漆の実を原料にした蝋)などがある。 江戸時代中期以降になると、藩政改革の一環として採用された。大坂・江戸などの中央市場での米価の低下が深刻化し、新田開発による耕地の増大や年貢増徴による収入の増加も頭打ちとなった。そのために年貢米以外の収入源の開発・育成が急務となったからである。最も多いのは紙の専売である。長州藩・岩国藩・徳山藩・津和野藩・松江藩、広島藩・宇和島藩・土佐藩・水戸藩などで実施された。東北地方の諸藩の漆・漆蝋、西南諸藩の櫨(染料・用材)・櫨蝋(櫨の実を原料にした蝋)、姫路藩の木綿、徳島藩の藍、薩摩藩の砂糖などがある。この他、鉄・銅・真鍮などの金属や石炭、繰綿(綿花から綿実を除去したもの)・木綿・生糸などの衣料原料、青莚(せいえん・あおむしろ、七島藺で作る畳)、茶・タバコなどの嗜好品も対象となる場合もあった。 しかし、多くの場合領民への作物の強制的な生産割当や安価な価格による強制買上につながった事から、専売制に反対する一揆も各地で起こっている。
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藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 13:42 UTC 版)
「藩」というと「幕藩体制」の語にみられるように江戸幕府の下での制度だと思われがちであるが、実際には江戸時代には公式には「藩」という語で大名の領地を呼ぶことはなかった。「藩」は一部の学者などが書物などで使用するのみの語だったのである。 幕末になると大名のことを中国式に「諸侯」と呼ぶことが一般化する。それとともに大名の領地も中国式に「藩」と俗称することが増えていった。それでも「藩」という語が行政区の名称として公式に使用されたのは明治維新後のことで、廃藩置県で藩が消滅するまでのわずか2年程度のことだった。
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藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 01:51 UTC 版)
山川藩 - 下野国足利郡山川(現在の栃木県足利市山川町)にあった藩。 下総山川藩 - 下総国(現在の茨城県結城市)にあった藩。
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藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 07:24 UTC 版)
諸藩にも勘定所は存在し、幕府の勘定所と同じく、藩の財政や租税徴収などの職務を担当していた。勘定所の最高責任者は勘定奉行であり、藩の財政に関わる重職のため、藩内でも比較的家格の高い上士が任じられた。また、奉行の配下には勘定方の役人がおり、実務に当たっていた。 昭和期の実業家・工学者である団琢磨の養父である団尚静は福岡藩の勘定奉行であった。
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藩
藩
「藩」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は土佐藩の出身だ。
- 江戸時代に、各藩の奨励策によって、全国各地に地場産業が興った。
- 藩を廃し県を置く
- 華族は皇室の藩屏なり
- 藩主
- 藩士
- 藩閥内閣
- 諸侯は藩籍を奉還した
- 彼は藩中では客分に取扱われた
- 旧藩主
- 脱藩者は筑波山に立てこもった
- 江戸時代,幕府や藩が売買に関与した米
- 御触れ書きという,幕府や藩主が一般人民に公布した文書
- 藩士の次男以下が親元から独立して臣下になること
- 江戸時代において,幕府や藩直轄の山林
- 江戸時代,諸藩が藩士から借りたことにしておこなった事実上の減俸
- 江戸時代にあった藩
- 江戸時代,藩主が江戸にいる間,領国の政務をあずかる家老
- 江戸時代,大阪の蔵屋敷という,諸大名が年貢米などを販売するたの倉庫兼取引所に諸藩の新米が運ばれること
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