り‐こくよう【李克用】
李克用
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李 克用(り こくよう、大中10年9月22日(856年10月24日) - 天祐5年1月20日(908年2月24日))は、中国の唐末の軍閥指導者。突厥沙陀部出身。後唐の太祖武帝と追号された。荘宗李存勗の父で、明宗李嗣源の仮父。唐末期に鴉軍と呼ばれる精鋭兵を率いて黄巣の乱鎮定に功績を挙げ、朱全忠と激しい権力争いを繰り広げたが、中途で病死した。独眼龍の異名を持つ猛将であった。
- ^ a b 駒田 & 常石 1997, p. 244.
- ^ a b c d e f g h 駒田 & 常石 1997, p. 245.
- ^ a b 駒田 & 常石 1997, p. 209.
- ^ a b c d 駒田 & 常石 1997, p. 246.
- ^ 駒田 & 常石 1997, p. 247.
- ^ a b c 駒田 & 常石 1997, p. 258.
- ^ 駒田 & 常石 1997, p. 249.
李克用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 10:14 UTC 版)
李仁が義兄弟の契りを結んだ叔父。鎮江針子橋の下で生薬店を営む。
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李克用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 16:16 UTC 版)
李克用は唐に仕えた武将で、後に後唐の皇帝になった李存勗の父である。15歳の若年時に、龐勛(ホウクン)討伐に従軍し目覚しい働きをして「飛虎子」とあだなされた。一時、父とともに賊とされて北方に逃げたが、中和元年(881年)に赦されて黄巣討伐を命じられ、3年(884年)に長安を奪回する功績をあげた。その時、軍勢は甚だ雄で諸侯の軍は皆おそれた。李克用の率いる軍団は鴉軍(あぐん)と呼ばれ黒色に統一された漆黒の軍装であった。片目が小さい、または見えなかったという。時の人は李克用を「独眼龍」と呼んだ。李克用が独眼龍と呼ばれたことは、『旧五代史』の他、『資治通鑑』、『十八史略』のようなよく読まれる史書に記されている。
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