こう‐りょう〔‐リヤウ〕【後梁】
読み方:こうりょう
中国、五代最初の王朝。907年、唐の節度使朱全忠(しゅぜんちゅう)が唐を滅ぼして建国。都は汴京(べんけい)(開封)、のち洛陽。923年、後唐の李存勗(りそんきょく)に滅ぼされた。ごりょう。
ご‐りょう〔‐リヤウ〕【後梁】
読み方:ごりょう
⇒こうりょう(後梁)
後梁
後梁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:50 UTC 版)
1. 太祖(朱全忠、在位907年 - 912年) 907年に唐の哀帝に迫って譲位をさせ、帝位についた。912年に領内の節度使の反乱を鎮定したが、これに介入した晋(後唐の前身)軍に敗れ、病を得たため仮父子の関係にあった朱友文を後継者に指名しようとした。これを不満とした実子朱友珪により朱友文とともに殺害された。 2. 郢王(朱友珪、在位912年 - 913年) 912年6月に太祖朱全忠を殺害し即位したが、913年2月に弟の朱友貞により殺害された。 3. 末帝(朱友貞、在位913年 - 923年) 913年に兄の朱友珪を殺害し、帝位についた。923年10月後唐軍の攻撃を受け、開封府城内で自害した。
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後梁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 00:21 UTC 版)
後梁の元号 開平(907年 - 911年) 乾化(911年 - 915年) 鳳暦(913年)913年朱友珪により改元。2月、朱友貞が乾化を復活。 貞明(915年 - 921年) 龍徳(921年 - 923年)
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