後唐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/13 07:36 UTC 版)
後唐(こうとう、923年[2] - 936年[3])は、中国の王朝で、五代の一つである[4]。李淵の唐の後継者を自認して国号を唐とした[2]ので、区別するため後唐と呼び習わす[5]。都は洛陽[2]。
注釈
出典
- ^ a b 廟号も諡号もなし
- ^ a b c d e f 愛宕他 (1997)、p.15
- ^ 愛宕他 (1997)、p.16
- ^ 愛宕他 (1997)、p.3
- ^ 愛宕他 (1997)、p.69
- ^ 愛宕他 (1997)、pp.14-15
- ^ a b c 愛宕他 (1997)、p.14
- ^ 愛宕他 (1997)、pp.11-13
- ^ 愛宕他 (1997)、p.10
- ^ a b c d 周藤、中嶋 (2004)、p.39
- ^ 愛宕他 (1997)、p.30
- ^ a b c 愛宕他 (1997)、p.66
後唐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:16 UTC 版)
陳鎧(演:范雨林) 第一話の冒頭の解説シーンで登場。作中において最初に登場する人物である。 禁軍殿帥。西暦926年、李嗣源を皇帝に擁立し、李存勗(後唐荘宗)に対して反乱を起こした。李存勗を絶体絶命の窮地に追い込んだが、禁軍将校の趙弘殷に射撃され、討ち死に。自身の起こした反乱も鎮圧された。史実では西暦926年に反乱を起こしたのだが、作中では「趙匡胤が生まれた日(西暦927年3月21日)に反乱を起こした」と確かに言及されており、史実と1年程の誤差・矛盾が生じてしまっている。 郭従謙(中国語版)(演:杜従海) 第一話の冒頭の解説シーンで登場。李存勗(後唐荘宗)の近臣。禁軍将校。陳鎧の反乱崩壊からまもなく、私怨から皇帝・李存勗に対して反乱を起こし、最後は李存勗を射殺した。
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後唐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:50 UTC 版)
895年 - 908年、李克用は、唐に封ぜられた晋王だった。ただし、907年に唐は滅亡している。 908年 - 923年、李存勗は、唐の晋王を自称した。 李国昌は、李存勗によって、献祖文帝と追号された。 李克用は、李存勗によって、太祖武帝と追号された。 荘宗(李存勗、在位923年 - 926年) 明宗(李嗣源、在位926年 - 933年) 閔帝(李従厚、在位933年 - 934年) 末帝(李従珂、在位934年 - 936年)
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