禁軍とは? わかりやすく解説

きん‐ぐん【禁軍】

読み方:きんぐん

天子護衛する軍隊


禁軍(きんぐん)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 17:24 UTC 版)

彩雲国物語の用語」の記事における「禁軍(きんぐん)」の解説

兵部管轄羽林軍(うりんぐん) 大将軍白雷炎(右)、黒燿世(左)、藍楸瑛(『骸骨』より、「冬の華」では死去)、皐韓升(右、「冬の華」) 将軍皇子竜(右)、藍楸瑛(左、『青嵐』にて辞任)、皐韓升(左、遅くとも『紫闇』より、「冬の華」では大将軍昇格)、茈静蘭(「冬の華」にて茈将軍呼ばれている。大将軍可能性もあり。同作では死去) 王の近衛で、左右に二分される。貴族の出の者も多いが、実力主義宮中警備仕事だが、場合によっては城下警備地方への災害救援にも出される派遣には王と尚書令承認が必要。年末今年女の子モテなかったと士気が下がる問題抱えていたが、恋愛指南争奪戦経て解消され模様十六衛じゅうろくえい) ピンキリの軍で、上部組織羽林軍にも引けを取らないが、下部組織ごろつき上がりの者も多く買収され易い。米倉門番中部組織属し、入殿できる範囲制限され官給品の剣も飾り程度茈静蘭定時帰宅できる(=秀麗夕飯食べられる)という理由でこの職を好んでいた。

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禁軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 23:41 UTC 版)

大水滸シリーズの登場人物」の記事における「禁軍」の解説

史実の宋軍(原典の『水滸伝』とも別である歴史的事実との比較)と異なり徴兵制施行されている。また史実の宋軍では禁軍は「戦闘部隊」という程度の意味であり全国駐屯していたが、本作では開封府守備する部隊のみが禁軍と呼ばれ後は地方軍呼ばれている。史実の宋軍でも廂軍などと呼ばれる地方軍存在したが、これは実態としては犯罪者収容公共事業執行のための部隊であり、戦闘能力を持つ軍ではなかった。 同じく史実ではこの時期指揮官将軍という呼称用いていなかったが本作世界では将軍呼称使用されている。また兵士私兵化を防ぐために兵士任地一定期間変更し特定の指揮官と近づけないようにするという制度があったが、本作ではこれは見られず、童貫軍や秦明青州軍などで私兵化の傾向見られる童貫水滸伝)禁軍元帥宦官であり、性欲代償のためか精強な軍をつくることに情熱を燃やす。小柄甲高い声原典同様に宦官ながら髭を生やしている。また、腐れ者と蔑まれる事を嫌い、自らを鍛え、剣の使い手でもある(王進師事した時期もあった)。原典では小人物だが、本作では宋軍最強の軍を率い軍人である。強敵戦いたいとの願望から梁山泊軍強力になるのを楽しみにしていた。勤皇の志は篤いが国を思う気持ちはさほど強くはなく純粋な職業軍人である。 終盤でついに梁山泊軍激突双頭山攻略し激闘繰り広げ、ついに宋江頭領とした初代梁山泊壊滅させる梁山泊軍破り歩兵全軍撤退した後も騎馬隊で、残存楊令軍と野戦続け最終局面にて楊令馳せ違い吹毛剣に兜を切り飛ばされ負傷。それでも動きの裏をかいて楊令包囲成功するが、索超捨て身介入より取り逃がしてしまう。 (楊令伝六十過ぎて退役してもおかしくない年となったが、再び梁山泊軍まみえるため、元帥として変わらず禁軍を掌握する老いてもなお指揮能力卓抜しており、麾下二の百騎は梁山泊軍の黒騎兵や赤騎兵匹敵する前作最終決戦自分手傷を負わせた楊令との再戦望んでおり、それが生涯最後の戦い思い定めている。畢勝趙安といった部下たちをどこへ出して恥ずかしくない軍人評価する一方で物足りなさ感じていた。だが、従者として拾った岳飛才能見抜き息子のように思いつつ鍛え上げる勅命により方臘の乱鎮圧するため江南出兵数十民衆殺戮した末に勝利する。だが、悪化一途を辿る政治腐敗見て国の行く末絶望軍人としての自分生涯全うするべく梁山泊軍決戦挑む決戦において梁山泊叛徒ではなく一つ国家として認識し純粋無垢歓喜包まれながら戦う。 寇亮劉譲を喪いながら最終局面で黒騎兵弱点楊令の馬が他の馬と力が違いすぎ、楊令孤立する傾向にあることだと考え楊令単騎孤立させ、麾下二百騎で楊令押し包むことに成功しかけるも、後方より単騎での史進突撃を受け失敗最後楊令吹毛剣により首を斬られた。童貫死に楊令は涙を零し全軍敬意表した遺骸岳飛引き渡され埋葬される梁山泊との戦い勝利していれば退役し過去戦い振り返りつつ隠棲することを考えていた。『岳飛伝』では岳飛童貫無様さとは無縁戦い全うしたこと、自分のためだけに戦い続けた分析し自分童貫とは違うことを認識している。 史実では北宋軍人であり、西夏チベットの軍を大破し禁軍の総帥となる。方臘戦いこれを殺し本作では趙安担当した耶律大石との戦い担当する破れた。なお、史実よりも一年早く死去しており、養子もいない。 高俅水滸伝)禁軍将軍儀仗兵指揮原典史実同様に皇帝取り入り権力牛耳る悪人林冲楊志梁山泊参加する一因作り出した元凶でもあり、青蓮寺童貫にとってもある意味目障りな存在となる(最終決戦に際して童貫高俅斬る脅しをかけて行動牽制したほどである)異常なまでに猜疑心強く保身においては驚異的な才覚発揮するが、それを梁山泊利用されることもあった。公式サイト不人気投票では圧倒的な票を集めて第1位となった。 (楊令伝梁山泊壊滅後も相変わらず帝に媚を売り、宋を衰退へ引きずり込む前作両親惨殺され侯真には仇と憎まれている。燕国崩壊し耶律大石去った燕京攻略乗り出すも、唯一残っていた蕭珪材大敗して負傷したため、金国燕京攻略依頼するという大失態犯す戦傷による病に加えて王黼との権力争い敗北したため、乞食同然に追放されて惨めなまでに落ちぶれる。それでも権力欲望へのおぞましいまでの執念燃やし続けていたが、金軍開封府に迫る中とうとう行き倒れ餓死、彼を監視していた侯真目の前で犬猫死骸と共に汚物として処理された。 趙安趙安撫) (水滸伝童貫子飼いの禁軍将軍童貫から高く評価される禁軍の若き俊英国家歴史を自らの力で動かしてみたいという野望持っているそのような意識から聞煥章李富からは同志として扱われ呼延灼達とも親交がある。特に聞煥章とは馬が合う天性ひらめき持ち野戦上手い1年数ヶ月をかけた二竜山攻撃でそれに加え非常に強い粘り腰獲得し、そのひらめき眼力はさらに磨きがかかり極僅かな期間で流花塞の防御看破し効果的な攻撃加えた驚異的とも言えるほどのタフさと強運持ち幾度も死地抜ける。 梁山泊との死闘戦い抜き二竜山流花寨陥落させ、梁山泊多くメンバー討ち取るなど梁山泊多大な損害与えた。安撫だった父を持つ故に若い頃趙安撫と呼ばれからかわれていたこともあった。 (楊令伝軍人命令に応じて戦えそれでいい考えながらも、腐敗極める宋を見限り始める。前作二度重傷負ったせいか身体の老い早く訪れている。そのためか天性ひらめき柔軟さ失われつつある。若い頃歴史動かしたいという野望も失なわれつつあり、水滸伝時代から片鱗見せていた軍人という職業対する「古臭い感性剥き出しになりつつあり、聞煥章との関係は離れてゆく。 そういった変化にともない若いころには得手だった野戦不得手になってゆく。そのような自身変化にはあまり自覚的ではなく、それを自身才能問題であると考えるようになり、堅実狡猾な戦い方をする。その堅実さ狡猾さ将軍として決し高齢ではないにもかかわらず童貫老練評される程である。 原典での趙安撫は梁山泊の遼攻撃後詰として活躍するが、本作では燕京攻略軍の主将担当し葉超劉譲指揮下に入れ二十一万大軍耶律大石達と戦い激戦の末に耶律披機討ち取るものの決定的な勝利得られなかった。畢勝死後名実ともに禁軍第二位将軍となる童貫後の禁軍元帥目され梁山泊戦では北部戦線及び対金戦線担当陳翥指揮し呼延灼隊・花飛麟隊・史遊撃隊と戦う。かつての友、呼延灼との戦い喜び充実感を得るものの、柔軟性を失なったためか終始劣勢陳翥失い自身麾下騎馬隊分断されところへ穆凌の攻撃を受け、討ち取られた。その直後呼延灼戦死しており、ほぼ相討ちといっていい状況戦死している。生涯独身貫き通した史実では耶律大石との戦い方臘戦の後のことであり、童貫指揮した。『岳飛伝』では岳飛敗北しながらも生き残っている自分を、幾度も死線潜り抜けた趙安重ね合わせている。 宿元景水滸伝)禁軍将軍、主に騎馬隊率いる。趙安地方軍と共に梁山泊攻略活躍するが、禁軍が叛徒敗れることにプライドを傷つけられる。禁軍地方軍二十万一侵攻の際に、高俅出した勅命によりあと一息のところで流花寨攻め断念納得いかず突撃し朱武討ち取るも、花栄射た矢に斃れる原典異なり梁山泊終始敵対した楊戩水滸伝)禁軍将軍原典では高俅蔡京童貫と共に四大奸臣として描かれ史実では無理な徴税梁山泊叛乱引き起こした張本人だが、本編ではごく普通の軍人とされており、活躍少ない。宿元景死後、軍を鍛えなおした童貫評価低かった。「楊令伝」での童貫回想から、「楊令伝」の開始時点までに軍を退役して間もなく病死した事が判明した周信水滸伝)禁軍将軍宿元景後釜として昇格、その戦力引き継ぐ。若いながら見所があり、童貫厳しく鍛え上げられる。主に童貫趙安援護担当双頭山陥落後は双頭山駐留趙安二竜山攻撃軍の援兵として楊春指揮下の趙安攻撃軍を攻撃するが、楊令発案による急襲を受け、楊令に斬られ敗死する。 許貫忠水滸伝)禁軍将校周信軍師。かつて見識才能童貫評価されたが、母親介護のため軍を辞して隠遁していた。梁山泊との決戦準備を行う禁軍に復帰し周信補佐務める。周信戦死後捕虜となり梁山泊捕らえられるが、毅然とした態度から宋江呉用敬意をもって接される。「楊令伝」で梁山泊陥落直前解放された事が判明した。 (楊令伝)金の幕僚解放後女真の地で戦う楊令の下につこうとしたが必要とされず、半独立状態だった唐昇軍師となる。やがて金国編入され唐昇蔡福と共に梁山泊と金パイプ役務める。後に金の文官不足により、 阿骨打命令唐昇軍師離れて民政担当するうになる偏狭な老人装いつつも政情分析し続け河北統治における撻懶傀儡擁立計画察知自分拾ってくれた阿骨打への恩義から、蔡福らに計画横取り実行させ金の内部分裂食い止めた傀儡国家『斉』の成立後病死したが、蔡福などは撻懶報復による殺害だと考えた鄷美水滸伝)禁軍将校童貫副官。元東平府将校だったが、童貫見出されて禁軍入りする。双頭山攻めで元部下董平と戦うことになる。童貫梁山泊攻撃先鋒となり、牽制出てきた梁山泊軍壊滅させようとするが、扈三娘守ろう驚異的な突撃をかけてきた林冲討ち取られた。 畢勝水滸伝)禁軍将校童貫副官同僚鄷美と共に童貫補佐する地方軍経て童貫部下となった過去がある。童貫前線に立つことには何度懸念を表すが、悉く却下されている。原典にも登場するが、こちらでは官軍となった梁山泊支援する役回りである。 (楊令伝)禁軍将軍昇格童貫に次ぐ第二位位置に就く。死んだ鄷美担当していた部分含めて引き続き童貫補佐する方臘の乱惰弱な地方軍鍛え直し活躍するが、呉用の策に嵌り石宝許定奇襲受けて敗死指揮下の地方軍将校だった張俊才能評価し方臘戦後に彼が童貫抜擢されきっかけを遺した。 侯蒙水滸伝)禁軍の参謀童貫腹心で主に宮中での政治工作担当予算獲得などで青蓮寺駆け引きを行う。 (楊令伝引き続き童貫補佐し遠征する童貫代わり開封府監視役務める。童貫戦死後宮廷出仕していたが、彼の死が原因精神破綻する馬万里水滸伝童貫幕僚上級将校統轄する関勝一騎討ち挑み討ち取られる関勝致命傷負わせる韓天麟水滸伝童貫幕僚上級将校統轄する地方軍から抜擢された。梁山泊軍連環馬による攻撃戦死王義水滸伝童貫幕僚上級将校統轄する歩兵指揮長け緩急のある攻撃をしかける。最終決戦では別動隊率いる。半ば童貫見捨てられる形で梁山泊軍本隊総攻撃を受け敗死段鵬挙水滸伝童貫幕僚上級将校統轄する。禁軍生え抜きで他の幕僚より年配王義戦死後宋江の首を懸けた戦いで史進突撃受けた童貫身を挺して守り戦死陳翥水滸伝童貫幕僚上級将校統轄する韓天麟同じく地方軍から抜擢された。梁山泊軍本隊梁山泊撤退した後は歩兵全軍水軍指揮し梁山泊上陸作戦指揮執り梁山泊壊滅させ、宋江介錯をした直後楊令降伏勧告をするも拒絶される。 (楊令伝)禁軍将軍昇格童貫指揮下で方臘の乱従軍李明劉光世と共に殲滅戦実行した梁山泊戦では趙安の下で北部戦線呼延灼史進と戦う。緒戦楊令軍の攻撃損害受けたためか、焦り見せ幾度か失敗をする。騎馬隊同士戦闘中史進突撃を受け戦死李明水滸伝童貫幕僚上級将校統轄する騎馬隊指揮が得意。韓天麟戦死後後任として上級将校から昇格。若いためか少し気負いすぎる面がある史進に対して正面から挑むなど勇猛果敢でもある。 (楊令伝畢勝陳翥と同様、禁軍将軍昇格方臘の乱では通常の指揮以外に、度人の殺戮狂った味方の兵を斬る役目担当し、心に大きな傷を負った趙安死後には禁軍第二位将軍となり趙安陳翥の軍を引き継いで梁山泊北部戦線および対金戦線指揮執る童貫戦死後は禁軍第一位将軍となり、金軍との戦い優勢に進める。しかし梁山泊水軍奇襲を受け、狄成首級奪われ戦死。 なお鄷美畢勝馬万里韓天麟王義段鵬挙陳翥李明原典でも童貫幕僚であり、原典ではやられ役であるが本作童貫キャラクター変更に共ない各々梁山泊将帥勝るとも劣らない優秀な軍人であるという設定変更されている。 公順水滸伝趙安副官最終決戦時に趙安により下級将校から抜擢される。年若いが、よく趙安支える。流花寨陥落後は童貫本隊参加。 (楊令伝引き続き趙安副官務め彼の意を汲み取った動きができる。趙安危機に際しては自らがになろうとするなど、趙安命を懸けて支える。戦死した葉超後釜として一軍指揮官異動南北での戦の後の再編趙安副官に戻る。副官歴が長いため、軍内では陳翥李明次ぎ劉譲には並ぶ将軍として扱い受けている。梁山泊戦でも趙安指揮下で戦い野戦時には騎馬隊指揮趙安戦死後乱戦の中で討死何信水滸伝趙安軍の騎馬隊隊長梁山泊に勝つために自らの命も顧みず奮戦する趙安の身を案じ何度趙安危機を救う。二竜山陥落寸前に、解珍の籠に乗って滑り降りてくるという奇襲を受け討たれる梅展水滸伝)宋の水軍部隊将軍梁山泊水軍と戦う。 (楊令伝水軍総司令官務めていたが、宋を見限った行動をとる。靖康の変では流花寨跡に拠った旧知韓世忠連携して金軍兵糧を奪う。引退決意し韓世忠水軍知識叩き込んだうえで彼に水軍託すことを選ぶ。高齢だが少年じみた面もあり、韓世忠には好かれていた。韓家軍では巴蜀戦線物流担当する。 (岳飛伝直接登場はせず、韓世忠回想病死したことが明らかになる死後になって韓世忠梅展に対して実父にも感じたことが無かった父親への愛着があったことに気づく王丘水滸伝)宋の水軍部隊将軍梅展と共に梁山泊水軍と戦う。 (楊令伝引き続き水軍将軍務めるが、国庫破綻により軍を維持できなくなる。そのため、商人結託して水軍運搬業に使うなど宋軍から離れた行動をとる。 葉春水滸伝)宋水軍造船担当優秀な船大工で、優れた中型船を建造し、さらに高俅肝煎り超大型海鰍船建造する。これは巨大であるだけでなく、多重船体構造とっているため容易に沈まない船で、梁山泊水軍大い苦しめることになる。 (楊令伝梅展部下務め同僚の段貞と共に彼から水軍受け継ぐ韓世忠部下となる。前作同様に図面作りなどの設計関係が得意。 (岳飛伝)病に倒れ半身麻痺言葉思うよう喋れなくなったため退役し故郷無為軍へ戻る。漁船造船業手掛けており、生活は裕福水軍立て直しを図る韓世忠訪問を受け、弟子陳武紹介する男勝りだ甘やかされ育った姪の梁紅玉には手を焼いている。

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禁軍

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大水滸シリーズの登場人物」の記事における「禁軍」の解説

宗沢楊令伝)禁軍元帥南京応天府留守だったが、金侵攻による宋崩壊後李富画策により康王趙構迎え宋を再建新生宋軍の元帥となる。趙構が南に逃げた後も南京応天府残留系譜図偽造見抜き趙昚偽者であることに気づいていた。崩壊した後の開封府入り義勇軍募るが病に倒れ、抗金を叫びつつも死去した史実でも義勇軍組織して金軍戦っている。 劉光世楊令伝)禁軍元帥。元は地方軍将校任地用心棒をしていた岳飛出会い理解者として便宜図っていた。各地巡検していた童貫認められ禁軍将軍となる方臘の乱後、戦死した畢勝に代わって童貫副官務める。趙安戦死後李明抜けた暦亭戦線張俊と共に入るが大敗。殿を務めるも扈三娘重傷を負わされて戦線離脱する童貫李明らの戦死後開封府防衛担当北宋崩壊後宗沢らの宋再興に劉家軍を率いて軍閥として参加青蓮寺計画に基づき兀朮相手に帝を守り逃げまわりつつ時間を稼ぐという困難な作戦完遂し南宋建国貢献する転戦経て用兵の腕は兀朮圧倒する程にまで成長している。 作中タイミング明記されないが、劉家軍を基礎南宋禁軍を纏めあげ、その元帥就任した岳飛張俊軍閥軍制組み込み国家防衛体制を整えるが、梁山泊戦では敗戦苦戦重ねる。そのこと心理的に追い詰められつつあり、酒量増えている。岳飛などはそういった状態の劉光世を心配し気付かっている。宰相秦檜との中は表面上は友好的であると述懐している。 戦術戦略能力は確かであり、梁山泊劉光世岳飛南宋軍の柱石であると見做している。指揮は地味であり、特に防衛戦を得意とするまた、南宋建国時の流転経験から帝の信頼は厚い。 史実では南宋軍閥首領。禁軍の総帥たる立場就任したことはない。史実上の劉光世軽薄な人格であったとされ、金軍相手にした戦でも敗戦重ねている。名前を借りているだけで、史実上の劉光世本作劉光世はほぼ別人であるが、酒に浸っている点などに類似点見られる父親劉延慶も宋の軍人であり、本作にも登場する耶律大石とも戦い一時追い詰めた軍人だが、本作では登場しない。 (岳飛伝徐々に秦檜に軍削られ飾り物総帥祭り上げられている。肥満加えて酒毒にも犯されており、本作オリジナル要素強かった前作はうってかわって史実似た立場追い遣られている。軍人としての牙を抜かれたことは自他ともに認めているが、軍閥立場拘る岳飛への忠告秦檜から意見諮問されるなど、往年の才覚が完全に失われたわけではなかった。 南宋水軍による沙門島陥落報復として実施され梁山泊軍臨安府奇襲において防衛のために出撃史進一騎討ち行い討ち取られる史進劉光世最期を男の死として敬意抱いた陸碩楊令伝)禁軍の上将校。若いが劉光世副官務める。 徐覇楊令伝)禁軍将軍騎馬隊総指揮官を務める。劉光世の命を受け、岳家軍梁山泊軍決戦では于楷と共に援軍として岳飛指揮下に入る。金軍梁山泊軍交戦中に仕掛けようとしたため岳飛叱責された。岳飛許し得て指揮下に戻り呼延凌と拮抗する戦いぶり見せた于楷戦死後はその戦力編入し最後まで生き残る于楷楊令伝)禁軍将軍徐覇よりも年下岳家軍梁山泊軍決戦では徐覇と共に援軍として岳飛指揮下に入る。徐覇二人で金軍交戦中の梁山泊軍背後を衝こうとしたため、岳飛叱責される。指揮下に戻り梁山泊軍と戦うが、終盤乱戦戦死する馬平楊令伝)禁軍将軍徐覇于楷同じく劉光世部下

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禁軍

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AKABOSHI -異聞水滸伝-」の記事における「禁軍」の解説

王進おうしん八十万禁軍武術師範中華最強の男と呼ばれる皇帝のため最強の軍を作り上げる事を自らの使命としており、将校から賄賂受け取らず訓練の手緩めないため、将校達からは嫌われており、また国の政治やり方に異を唱えたことから、"三本の絲"等上層部からも忌み嫌われている。しかし王進本人は、みなしごであった林冲の手前もあり、絶対的な忠誠を国に誓っている。無駄な殺生避け主義何度となく刺客狙われており王進の行くところには不幸が舞い込むとまで言われているが、本人いたって気にしていない戴宗替天行道に入るようスカウトされる拒絶その後関勝逮捕されそうになる本人は国を裏切れないため大人しく連行されるつもりだったが、戴宗の邪魔と林冲熱意に心を動かされ時遷案内で母と共に都を去る。現在は史家史進の家に匿われている。 関勝かんしょう)/大刀だいとう八十万禁軍将軍三国時代豪傑関羽嫡流の子孫を自称し見事な顎鬚たくわえた長身の男。国のする事に黙って従うのが武人あるべき姿という、王進とは逆の考え方を持つ。青龍偃月刀武器とし、上空から一気突き繰り出す戦法を得意とするまた、自分の血を額に塗ることで関帝憑依(トランスモード)になり、普段の倍以上の実力発揮できる高俅の命を受け、王進を「謀反」という名目上捕えに来た。戴宗林冲連携前に敗れる。月光刃(げっこうじん) 三日月型の軌道描き前方広範囲攻撃する関帝憑依状態の時は真・月光刃となる。

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禁軍

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十二国」の記事における「禁軍」の解説

王直属の軍であり、王以外の者が統帥権持ち命令を下す事はない。また、その国で一番の強兵集まった精鋭部隊であり、その軍の指揮官である将軍優秀な人物であることが多い。旗の色は紫。

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禁軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 04:03 UTC 版)

中国の官職」の記事における「禁軍」の解説

秦前漢前漢武帝後漢魏晋隋唐宋元明清民国主な職務衛尉衛尉/南衛尉 金吾衛(羽林騎/虎賁騎) 八校尉 武衛営(虎豹騎) 宿衛軍(殿中軍/牙門軍) 十二衛(十六衛) 北衙十軍/南衙十六衛 侍衛親軍(殿前司) 怯薛軍 守備京師十二営/上直二十六衛親軍 御前侍衛/兵衛(九門提督) 禁衛軍/京師憲兵 京師守備と保衛、暴乱取締り

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