船大工
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/22 15:33 UTC 版)
統五郎 竹町河岸の船大工の棟梁。造船場は竹町ノ渡しの下流にある。明神丸を造ったのは先代の統五郎と、当時まだ浜吉という名だった頃の今の統五郎。 箕之吉 統五郎の弟子。大黒丸の建造に携わる。大黒丸の造船前に鳶沢一族の新造と正吉と一緒に長崎に遊学、最新の異国の船の構造を勉強し、色々な用具を買いこんできた。その体験を考慮されて、大黒丸の試し航海から最初の航海にも乗り組んできた。 大黒丸がカディス号との戦いで大破した際には、南海の孤島で材料を調達して大黒丸の修復・改良を行なった。 與助 品川宿で名人といわれた大工の棟梁・参五郎の倅。統五郎の弟子。箕之吉が働き始めて3年後に弟子入りしてきた。箕之吉より5歳上だが、箕之吉と違い腕前の進歩は遅く、性格が暗く口が重いため仲間にも疎んじられていた。統五郎に腕を認められ、大黒丸に乗るよう命じられるが、女郎に売られた妹のおつやを隆円寺に人質にとられ、大黒屋を裏切る。 父の参五郎は、事故で体が不自由になり、弟子が去った後、同業の棟梁に頭を下げることを良しとせず、船大工の統五郎親方に弟子入りさせた。
※この「船大工」の解説は、「古着屋総兵衛影始末」の解説の一部です。
「船大工」を含む「古着屋総兵衛影始末」の記事については、「古着屋総兵衛影始末」の概要を参照ください。
船大工
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 19:34 UTC 版)
「大航海時代IV PORTO ESTADO」の記事における「船大工」の解説
航海中に船を修理したり、造船所での作業を手伝ってくれたりする。配置には船に材木室が必要。
※この「船大工」の解説は、「大航海時代IV PORTO ESTADO」の解説の一部です。
「船大工」を含む「大航海時代IV PORTO ESTADO」の記事については、「大航海時代IV PORTO ESTADO」の概要を参照ください。
船大工
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 00:45 UTC 版)
船大工(ふなだいく)は、木造船(和船、帆掛け舟、屋形船)の建造などを行う大工。船番匠とも言われる。日本でも1965年(昭和40年)頃までは、各地の商業港の近郊河川でだるま船(運搬船)を改装して水上生活をする者が多数見られ、木造船は身近な存在であったが、現在、純木造船は少なく、技術を伝える者もほとんどいない。 漁師町では大工と船大工を兼業する者も多く、社会的な役割も町大工に近かった。また非常に稀であるが日本各地の漁師町では、洒落なのか、軸組みの技術が無い者が造ったのか、材料の入手の問題であったのか、いずれかは解らないが、船大工の工法を使った家屋が見受けられ、現代の建築基準法や工法に当てはまらないシェル構造に近い家があり、極端にいえば船底のない船が建っているといえる。 長崎県の精霊流しで使われる精霊船を作る技工も船大工と呼ばれる。
※この「船大工」の解説は、「大工」の解説の一部です。
「船大工」を含む「大工」の記事については、「大工」の概要を参照ください。
船大工
「船大工」の例文・使い方・用例・文例
船大工と同じ種類の言葉
- 船大工のページへのリンク