か‐りゅう〔‐リウ〕【下流】
しも‐りゅう〔‐リウ〕【下流】
下流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/15 06:07 UTC 版)
下流(遠江国)
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下流域では天竜川を麁玉河(あらたまがわ)ないし荒玉河と呼んでいた。『続日本紀』において霊亀元年(715年)5月20日に「遠江国地震。山崩れて麁玉河を塞ぎ水これがために流れず、数十日を経て敷地、長下、石田三郡の民家百七十余区を壊没する」と記載されている。さらに、761年(天平宝字5年)7月19日条には「遠江国荒玉河の堤決すること三百余丈、単功三十万三千七百余人を役し、糧を充てて修築せしむ。」とあり、761年以前から堤が造成されていたことを示している。平安時代の『日本文徳天皇実録』仁寿3年(853年)条では、「広瀬河」と称されている。度重なる洪水で河道が変化していた事が推測できる。麁玉川は浜松平野の西側(三方原台地側)を流れていた。そして鎌倉時代の頃には東側(磐田原台地側)に本流が移ったと推測されている。西側の河道も残っていて、1572年頃の河道の様子が甲陽軍鑑に記録されている。それには麁玉川ではなく「小天竜」と記載されている。ちなみに、小天竜の河道の名残は現在、馬込川となっている。 元亀・天正年間の1573年、当時浜松城主であった徳川家康が遠江を領有していたが、天竜川流域を境にして激しく争っていた武田信玄・武田勝頼から本拠地である浜松城や三河を防衛するため、また新田開発を実施して収穫高を増やして国力を高める目的で天竜川の整備を始めた。第一次小天竜(現・馬込川)の締め切り。及び右岸堤防、寺谷用水取入口に伴う左岸堤防構築を計画。1588年(天正16年)には「伊奈流」治水事業で名高い伊奈忠次に治水事業を命じる。1590年(天正18年)に家康が豊臣秀吉の命で関東に転封された後も天竜川の治水事業は後任の浜松城主・堀尾吉晴に引き継がれ、翌1591年に一応の治水事業は終了した。 江戸時代における下流域の治水事業では彦助堤の築造が代表的である。一応1573年家康により西側の河道(小天竜)が締め切られたが、天竜川の流れに対して耐えられる工事内容ではなかった。従って、それ以後も大雨の度に小天竜の河道に水が乱入して洪水被害が発生していた。1656年に彦助堤は、小天竜の完全な締め切りを目的に築造された。松野彦助は新原村(現浜北区)の庄屋で大地主であった。しかし、1674年の大洪水で彦助堤は崩壊してしまった。翌年1675年に復旧した。そして1745年に彦助堤が切れた時に発生する被害予測を「天竜川通水工附帳」として、浜松藩および幕府にさしだした。(その後、藩・幕府の対応記録は無い。) 同時期、天竜川の支流である二俣川でも大規模な治水事業が計画された。二俣川は地形の関係で、大雨の時には通常より約10m近く天竜川の水位が上昇する地点で合流している為、被害は甚大であった。そこで、当時の二俣村名主袴田甚右衛門により河道の附替工事を行った。この工事には代官所の許可が費用の問題等でなかなか得られず、完成したのは1798年で20年以上の歳月を要した。 下って明治時代に入り、下流域の治水事業は明治初期に金原明善(株式会社丸運・創業者)により始まった。金原明善は、天竜川が原因による浜松市(当時は浜松県)の洪水災害を防ぎ、安定した市民生活および、産業発展を願い私財を投じて治水事業を開始した。主に堤防の整備を行ったが、山間部における植林作業を行い雨水が直接川に流入する事を防ぎ効果をあげ、浜松市の天竜区における林業発展のきっかけにもなった。それから、近代治水事業が本格的に始まり、明治後期に豊岡村(現磐田市)の流路を整備し、昭和初期には浜北市(現浜松市浜北区)上島地区の流路(大平川)の締め切りを行い、1944年(昭和19年)に天竜川東派川を締め切り、流路修正を行った。(東派は掛塚地区で水運に利用されていたために締め切り計画は当初は住民の理解を得られず一時中止となっていた。)そして、1958年(昭和33年)には西派川の締め切りを終了し、河道の一本化が完了した。
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下流(デュワミッシュ川)
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「グリーン川 (ワシントン州)」の記事における「下流(デュワミッシュ川)」の解説
グリーン川の下流側19キロは「デュワミッシュ川」と呼ばれている。 河口付近は重工業地帯となっていて、「デュワミッシュ水路(Duwamish Waterway)」とも呼ばれている。 「デュワミッシュ」というのはセイリッシュ語の方言のひとつ(Lushootseed language)で、かつてワシントン州域を本拠としていたデュワミッシュ族(Duwamish tribe)の名に由来する。 デュワミッシュ川は、人工河道のデュワミッシュ水路を通って工業地帯をぬけ、シアトルの三角江であるエリオット湾(Elliott Bay)へ注いでいる。 河口付近にはハーバーアイランド(Harbor Island)という人工島があり、デュワミッシュ川はこの島を挟んで「東水路」「西水路」に分かれて湾に注いでいる。
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下流
「下流」の例文・使い方・用例・文例
- この橋から3キロ下流に美しい湖がある
- ハドソン川の下流
- 私たちはよく魚釣りに下流にいく。
- あなたたちはここより下流へ行かないでください。
- まず、私の活動範囲は、おもに養老川下流域です。
- 川は町の3キロ下流で分岐する。
- 川はこの橋の下流で別の川と合流する。
- 橋の下流に小屋がある。
- ダムの下流に水車小屋があった。
- その滝は橋の少し下流にあります。
- その橋はずっと下流にある。
- テムズ川の下流に.
- 小舟が漂流して[下流へ流されて]いった.
- 水流で小舟は下流へ流された.
- いかだを川[下流]に流す.
- 川の下流区域.
- 死体は下流数里のところに漂着した
- 隅田河の下流
- その町は五マイルばかり下流です
- 水車場は橋より下流だ
下流と同じ種類の言葉
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