昭和19年 (きのえさる 甲申)
年(年号) | |
●1928年 (昭和3年) | ■初の普通選挙実施 |
●1932年 (昭和7年) | ■五・一五事件 |
●1936年 (昭和11年) | ■二・二六事件 |
●1941年 (昭和16年) | ■対英米宣戦布告 |
●1945年 (昭和20年) | ■ポツダム宣言受諾 |
●1946年 (昭和21年) | ■日本国憲法公布 |
●1951年 (昭和26年) | ■サンフランシスコ講和条約 |
●1953年 (昭和28年) | ■テレビ放送開始 |
●1956年 (昭和31年) | ■国際連合加盟 |
●1960年 (昭和35年) | ■東京タワー完成 |
●1960年 (昭和35年) | ■日米新安保条約調印 |
●1964年 (昭和39年) | ■東京オリンピック |
1944年
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1944年(1944 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる閏年。昭和19年。
- 1 1944年とは
- 2 1944年の概要
1944年(昭和19年)
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「高松市の歴史」の記事における「1944年(昭和19年)」の解説
林村に陸軍飛行場の設置が決定される。 屋島ケーブルの軌道が供出のため解体撤去される。 退避施設増強要領が発表される。 女子挺身隊が設置される。 この頃から竹槍訓練がはじまる。 大阪市からの児童疎開第1陣が到着する。 満17歳以上が兵籍に編入。 マリアナ基地のアメリカ空軍による日本本土爆撃が開始される。
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1944年(昭和19年)
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「太平洋戦争の年表」の記事における「1944年(昭和19年)」の解説
1月 イラン、英ソと軍事同盟を結び対日断交。 2月3日 日本軍、第二次アキャブ作戦開始。 2月6日 クェゼリン島の日本軍玉砕。 2月17日 トラック島空襲 2月22日 エニウェトク環礁(ブラウン環礁)の日本軍玉砕。 2月26日 日本軍、第二次アキャブ作戦を中止。 3月8日 日本軍、インパール作戦開始。 3月31日 古賀峯一連合艦隊司令長官が殉職(海軍乙事件) 4月17日 - 12月10日 大陸打通作戦 5月25日 日本軍、洛陽占領。 6月15日 米軍、サイパン上陸(サイパンの戦い。7月7日日本軍玉砕、在住日本人1万人死亡)。 6月16日 八幡空襲。米軍、中国大陸から北九州への初空襲。 6月19日 マリアナ沖海戦。日本軍は旗艦大鳳以下空母3隻と搭載機400機を失い、西太平洋の制海権と制空権を喪失。 7月4日 日本軍、インパール作戦を中止。 7月18日 東條英機内閣総辞職。 7月22日 小磯国昭内閣成立。 8月2日 テニアン島の日本軍玉砕。(テニアンの戦い) 8月11日 グアム島の日本軍玉砕。(グアムの戦い) 9月11日 米軍、ペリリュー島上陸。(ペリリューの戦い) 10月10日 米軍、沖縄、台湾を空襲(十・十空襲)。 10月12日 台湾沖航空戦 10月20日 米軍、フィリピン・レイテ島に上陸(レイテ島の戦い)。 10月23日 レイテ沖海戦始まる。 10月24日 戦艦武蔵沈没(シブヤン海)。 10月25日 大村大空襲 10月25日 空母瑞鶴を旗艦とする日本機動部隊が全滅。神風特別攻撃隊、レイテ沖海戦で初出撃。 11月10日 汪兆銘、名古屋で病死。 11月10日 日本軍、桂林、柳州占領。 11月21日 熊本空襲 11月24日 米軍の新型爆撃機B-29、マリアナ諸島より東京を初空襲。 11月29日 空母信濃撃沈。 12月7日 東南海地震が発生し、家屋倒壊と津波で1223名が死亡。情報統制によってほとんど報道されず。 12月10日 日本軍、大陸打通作戦を完了。 12月26日 礼号作戦(ミンドロ島沖海戦)
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1944年(昭和19年)
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「第十九航空隊」の記事における「1944年(昭和19年)」の解説
1月30日 クェゼリン環礁に上陸前空襲。全機喪失。 2月4日 エビジェ島地上戦開始、同日陥落。九五二空要員を含む470名玉砕。 3月1日 解隊。 主要基地であったエビジェとマキンで地上戦が展開されたため、九五二空要員の被害は甚大であった。イミエジに残留した要員は八〇二空要員と行動をともにしてウオッゼ環礁経由でマリアナに撤退したが、ウオッゼに残留した要員は艦砲射撃と飢餓で死者が続出した。
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1944年(民国33年、昭和19年)
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「日中戦争関係年表」の記事における「1944年(民国33年、昭和19年)」の解説
1月24日:日本、大本営が「一号作戦」(大陸打通作戦)を命令。
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1944年(昭和19年)
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大陸打通作戦、インパール作戦、マリアナ沖海戦、グアムの戦い、レイテ島の戦い、フィリピンの戦い (1944-1945年)。サイパン島陥落。小磯内閣成立。対馬丸事件。学童疎開。昭和東南海地震。B-29による東京への空襲が始まる。
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1944年(本国近海)
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「ジャーヴィス (J級駆逐艦)」の記事における「1944年(本国近海)」の解説
1944年1月上旬、ジャーヴィスはジェーナスと共にアドリア海沿岸のイタリア各地を砲撃し、敵の陣地や鉄道を破壊したほかスクーナー3隻を沈めた。さらにイタリア西部のナポリへ移動し、1月18日にはジェーナス、軽巡洋艦オライオン、駆逐艦フォークナー、ラフォーレイと共にガエータを砲撃している。 1月22日にアンツィオの戦い(シングル作戦)が始まると、ジャーヴィスもジェーナスと共に上陸援護に参加した。作戦中だった翌23日にヨアヒム・ヘルビッヒ中佐指揮下のドイツ空軍LG 1/第1(爆撃)飛行隊による空襲に見舞われ、ジェーナスが撃沈されジャーヴィスも艦首を切断したが奇跡的に死傷者はいなかった。 ジブラルタルでの2ヶ月間の修理の後、ジャーヴィスはノルマンディー上陸作戦に備えた事前訓練と改装のためにイギリス本国へ帰還し戦隊旗艦の任を解かれた。艦長ロジャー・パーシヴァル・ヒル(英語版)(Roger Percival Hill)少佐の下で、ジャーヴィスはノルマンディー上陸作戦を支援した。6月6日の上陸当日、ジャーヴィスはゴールド・ビーチ周辺で支援砲撃を実施。支援砲撃と哨戒活動を継続していた6月17日、補給のためポーツマスへ30ノットで航行中だったジャーヴィスの航跡内で6発の音響機雷が次々と爆発した。しかし後部主砲右砲が衝撃で故障する軽微な損傷で済んだ。6月19日には悪天候で流されたリバティ船がジャーヴィスに衝突し艦首部に穴を開ける被害が出たが、戦闘に支障がなかったため6月21日まで現地に留まった。 8月12日には、ドイツ軍に占領されていたチャンネル諸島オルダニー島を砲撃する戦艦ロドニーを駆逐艦フォークナーと共に護衛。8月17日にフォークナーと共同で周辺海域の敵艦艇を捜索中だったジャーヴィスはオルダニー島、ジャージー島、ガーンジー島のドイツ軍砲台から36分間にわたって熾烈な砲撃を受けたが、一発の命中弾もなく脱出に成功した。作戦後の9月に、長期修理と近代化改装を受けるためベルファストで退役した。
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1944年(昭和19年)
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「1908年-1945年の国鉄ダイヤ改正」の記事における「1944年(昭和19年)」の解説
閣議決定された「決戦非常措置要綱」に基く改正が4月1日に行われ、最後に残っていた第一種急行列車「富士」が廃止、更に一等車・展望車・食堂車・寝台車も全廃された。旅客制限はいっそう拍車がかかり、この時から100km以上の距離の乗車券を購入する際には警察署などが発行する「旅行証明書」が必要とされるようになった(9月に廃止)。 続く10月11日には、関門鉄道トンネルの複線使用が9月9日に開始されていたこともあって時刻改正がなされたが、基本的にはやはり旅客列車の削減と貨物列車の増発がメインであった。
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「1944年」の例文・使い方・用例・文例
- 第二次世界大戦(1944年2月)
- 第二次世界大戦での太平洋における水陸両用襲撃(1944年1月)
- 第二次大戦中(1944年)の海戦
- 1944年7月に米国軍は日本人からこの島を獲得した
- 第二次大戦中の戦い(1944年)
- フランスの外科医、生物学者で、血管を縫合し、移植する方法を開発した(1873年−1944年)
- アメリカの心理学者で編集者(1860年−1944年)
- 英国の天文学者で、相対性論に対するよく知られた解釈で知られる(1882年−1944年)
- 米国のイラストレーターで、ギブソンガールの作者として知られる(1867年−1944年)
- フランスの小説家、劇作家で、ギリシア神話の再解釈である作品の作者(1882年−1944年)
- 米国のダンサーで振り付け師(1944年生まれ)
- ロシア人の画家で、抽象芸術の先駆者(1866年−1944年)
- カナダの経済学者で、ユーモラスな著書でよく知られる(1869年−1944年)
- 米国の脚本作家で映画制作者(1944年生まれ)
- 英国の建築家、ニューデリー市を計画した(1869年−1944年)
- 記念碑の女性の裸体像のフランスの彫刻家(1861年−1944年)
- 米国の伝道者(カナダ生まれ)で、贅沢な宗教祭祀で知られる(1890年−1944年)
- 米国の人気があるビッグバンドのリーダー(1909年−1944年)
- オランダ人の画家で、(直角の線と原色の面が交差する)その作品が抽象芸術の発展に影響した(1872年−1944年)
- ノルウェーの画家(1863年−1944年)
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