1944年10月-11月 南西方面艦隊作戦指揮下-多号作戦とは? わかりやすく解説

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1944年10月-11月 南西方面艦隊作戦指揮下-多号作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/14 13:28 UTC 版)

第十一号海防艦」の記事における「1944年10月-11月 南西方面艦隊作戦指揮下-多号作戦」の解説

1944年10月2日門司回航し、モマ04船団の編成を待つ。4日モマ04船団護衛して門司発。途中で退避待機繰り返し26日マニラ着。マニラ在泊中の27日南西方面艦隊作戦指揮下に編入され多号作戦従事する29日、キャビテで機銃増備工事中空襲を受け、戦死者1名を出す。 10月31日第二次輸送隊4隻を護衛してマニラ発。11月1日オルモック湾着。2日オルモック湾出発して4日マニラ帰着8日第四次輸送隊3隻を護衛してマニラ発。9日オルモック湾到着したが、事前に用意していた50隻以上の大発台風高波多くが砂に埋もれ揚陸には5隻しか使用できなかった。また艦艇搭載大発空襲により使えなくなっており、護衛海防艦を艀代わりとして使用し本艦は約2,000名の陸兵揚陸した。10日オルモック湾出発してマニラ向かったが、湾口アメリカ陸軍機の空襲を受ける。本艦500ポンド爆弾2発が直撃し炎上して航行不能となった船体オルモック湾北部座礁し第13号海防艦砲撃により処分された。この戦闘乗員88名が戦死または行方不明となり、海防艦長長橋喜間太少佐下生存者59名が第13号海防艦収容された。 1945年1月10日第十一号海防艦第一号型海防艦から削除され帝国海防艦籍から除かれた。

※この「1944年10月-11月 南西方面艦隊作戦指揮下-多号作戦」の解説は、「第十一号海防艦」の解説の一部です。
「1944年10月-11月 南西方面艦隊作戦指揮下-多号作戦」を含む「第十一号海防艦」の記事については、「第十一号海防艦」の概要を参照ください。

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