1944年10月-11月 南西方面艦隊作戦指揮下-多号作戦
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「第十一号海防艦」の記事における「1944年10月-11月 南西方面艦隊作戦指揮下-多号作戦」の解説
1944年10月2日門司へ回航し、モマ04船団の編成を待つ。4日、モマ04船団を護衛して門司発。途中で退避と待機を繰り返し、26日マニラ着。マニラ在泊中の27日、南西方面艦隊作戦指揮下に編入され、多号作戦に従事する。29日、キャビテで機銃増備工事中に空襲を受け、戦死者1名を出す。 10月31日、第二次輸送隊4隻を護衛してマニラ発。11月1日、オルモック湾着。2日、オルモック湾を出発して4日にマニラに帰着。8日、第四次輸送隊3隻を護衛してマニラ発。9日、オルモック湾に到着したが、事前に用意していた50隻以上の大発は台風の高波で多くが砂に埋もれ、揚陸には5隻しか使用できなかった。また艦艇搭載の大発も空襲により使えなくなっており、護衛の海防艦を艀代わりとして使用し、本艦は約2,000名の陸兵を揚陸した。10日、オルモック湾を出発してマニラへ向かったが、湾口でアメリカ陸軍機の空襲を受ける。本艦は500ポンド爆弾2発が直撃し、炎上して航行不能となった。船体はオルモック湾北部で座礁し、第13号海防艦の砲撃により処分された。この戦闘で乗員88名が戦死または行方不明となり、海防艦長の長橋喜間太少佐以下生存者59名が第13号海防艦に収容された。 1945年1月10日、第十一号海防艦は第一号型海防艦から削除され、帝国海防艦籍から除かれた。
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