船団の編成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 06:09 UTC 版)
ヒ86船団に参加するためシンガポールに集まった輸送船は、タンカーの極運丸(極洋捕鯨:10045総トン)、同さんるいす丸(三菱汽船:7268総トン)、同大津山丸(三井船舶:6859総トン)、同昭永丸(大阪商船:2764総トン)、貨物船永万丸(日本郵船:6968総トン)、同余州丸(宇和島運輸:5711総トン)、同辰鳩丸(辰馬汽船:5396総トン)、同建部丸(大阪商船:4519総トン)、冷凍船の第63播州丸(西大洋漁業:533総トン)および屎尿運搬船の優清丸(東京都:600総トン)のタンカー4隻とその他6隻だった。各船は石油やボーキサイト、生ゴムなどの天然資源を満載していた。ヒ船団と称しても、従来であればミ船団に加入していたような小型船が含まれ、船団速力は8ノットと低速だった。各船には、機関砲や爆雷を装備したり、煙幕展開用の発煙筒を搭載したりといった自衛武装が施されていた。 船団は1944年12月30日に輸送船のみでシンガポールを出港して北上、1月4日にフランス領インドシナ(仏印)のサンジャック(聖雀、現在のブンタウ)に到着した。サンジャックで、門司から同地までヒ85船団を護衛してきた第101戦隊(司令官:澁谷紫郎少将)と合流し、1月6日に船団編成を完了した。第101戦隊は、日本海軍初の船団護衛専用の戦隊で、練習巡洋艦香椎を旗艦とした。本来は隷下に海防艦6隻を有していたが、ヒ85船団の護衛中に海防艦対馬が空襲で損傷離脱していたため、軽巡1隻・海防艦5隻(鵜来、大東、27号、23号、51号)の陣容だった。
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