1944年3月-12月 第一海上護衛隊/第一護衛艦隊とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 1944年3月-12月 第一海上護衛隊/第一護衛艦隊の意味・解説 

1944年3月-12月 第一海上護衛隊/第一護衛艦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/14 13:43 UTC 版)

第八号海防艦」の記事における「1944年3月-12月 第一海上護衛隊/第一護衛艦隊」の解説

1944年3月25日海上護衛総司令部第一海上護衛隊編入同日佐伯から門司回航し、ヒ船団一つヒ57船団編成を待つ。 4月3日ヒ57船団(9隻)を護衛してシンガポールへ向け門司発。10日サンジャック出港したサタ17船団(3隻)と合同のためヒ57船団から単艦分離11日サタ17船団合同し高雄へ向かう。18日高雄着。20日タモ17船団24隻)を護衛して門司へ向け高雄発。27日門司の手前で同船団から分離して佐世保へ向かう。28日から5月1日まで、佐世保海軍工廠発電機修理を行う。 5月2日ミ船団一つのミ03船団合同のため佐世保発。6日同船団から分離して基隆入港9日、テ05船団護衛して基隆出港し10日高雄着。同日引き続き05船団護衛して楡林へ向け高雄発。14日楡林到着したが、内地におけるボーキサイト集積量の見積もり誤りがあったため、楡林での鉄鉱石積み込み中止し復航06船団発航取りやめてホ01船団としてシンガポールへ向かう事になった楡林での鉄鉱石積み込みマニラに在泊中の陸軍傭船充当することになった19日、ホ01船団護衛してシンガポールへ向け楡林発。26日シンガポール港口到達したところで今度はミシ02船団出迎えるため第1号海防艦らと反転し、ミシ02船団合同のうえ29日シンガポール入港した6月3日復航のホ02船団19隻)を護衛してシンガポール発。6日第15号海防艦被雷沈没11日中継地のマニラ入港機械故障のためホ02船団から分離し同日から23日までキャビテの第百三海工作部入渠し、主機械修理を行う。24日マタ23船団護衛して高雄へ向けマニラ発。26日潜水艦制圧のため船団から分離27日マタ24船団合同28日マタ24船団はヒンゲットに避泊し本艦対潜掃蕩実施7月4日マタ24船団高雄着。12日、ミ06船団護衛して門司へ向け高雄発。17日門司着。佐世保回航し、18日から31日まで佐世保海軍工廠訓令工事実施8月1日門司回航し、モタ22船団の編成を待つ。4日モタ22船団25隻)を護衛して門司発。途中基隆経由して12日左営沖に到着17日バタン島への物資輸送のため単艦で左営出撃パスコ物資下ろし20日高雄入港22日タマ24船団(9隻)を護衛してマニラへ向け高雄発。25日船団アメリカ潜水艦群の攻撃によって損害出したため、27日サンタクルス退避本艦陸軍傭船玄海丸と満州丸護衛するため単艦でサンタクルス出撃し、29日両船とともにバサレン湾に入港30日船団は同湾を出港しピンケットへ、31日にはサンタクルス移動した9月1日本艦タマ24船団から離れ玄海丸と満州丸護衛して3日マニラ入港5日マミ10船団(7隻)を護衛してミリへ向けマニラ発。7日船団エラン湾で仮泊8日同地出発し11日ミリ着。15日ミマ11船団16隻)を護衛してマニラへ向けミリ発。本艦17日マニラ湾ミマ11船団から離れてオロンガポ近郊ホワイトロック回航18日にはタラカン回航し、ここでミマ11船団合同した19日引き続きミマ11船団護衛してタラカン発。22日から25日までバギットに避泊。25日出港し28日から30日までサンタクルスに避泊。30日サンタクルス出港10月1日サンフェルナンド入港ミマ11船団加入船の一部は、5日同地入港してきたマタ28船団合同同日マタ28船団に対して香港への退避命令第一海上護衛隊司令部から出される6日本艦マタ28船団護衛して香港へ向けサンフェルナンド発。マタ28船団出港直後から潜水艦攻撃を受け続け本艦8日被雷沈没した海軍徴傭橘丸遭難者救助し11日香港着。19日本艦はヒ76船団合同のため楡林発。同船団と合同後内地へ向かう。27日六連沖で船団から離れて佐世保回航28日から11月7日まで、佐世保海軍工廠修理整備を行う。 11月8日第9号海防艦とともに三池回航し、モマ07船団の編成を待つ。10日モマ07船団11隻)を護衛してマニラへ向け三池発。11日五島列島大瀬崎沖で船団アメリカ潜水艦群の攻撃受けて損害出したため、泗礁山へ退避本艦作業のため遭難現場に留まっていた仁洋丸を護衛して13日嵊泗列島泗礁山に到着し即日出撃して対潜掃蕩従事16日引き続きモマ07船団護衛して泗礁山発。途中三門湾を経由し19日高雄入港モマ07船団はここで解列となった本艦23日タマ32A船団護衛してマニラへ向け高雄発。途中枋寮ムサラボック湾、サンフェルナンドで避泊を繰り返し30日マニラ着。その後サンジャック回航12月8日サンジャック出港した26船団合同し同船団の護衛を行う。10日第一海上護衛隊第一護衛艦隊改編15日楡林23日左営26日馬祖島28日泗礁山にそれぞれ寄港し1945年1月1日、ミ26船団とともに門司着。2日佐世保回航し、3日から5日まで、佐世保海軍工廠整備を行う。

※この「1944年3月-12月 第一海上護衛隊/第一護衛艦隊」の解説は、「第八号海防艦」の解説の一部です。
「1944年3月-12月 第一海上護衛隊/第一護衛艦隊」を含む「第八号海防艦」の記事については、「第八号海防艦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「1944年3月-12月 第一海上護衛隊/第一護衛艦隊」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1944年3月-12月 第一海上護衛隊/第一護衛艦隊」の関連用語

1944年3月-12月 第一海上護衛隊/第一護衛艦隊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1944年3月-12月 第一海上護衛隊/第一護衛艦隊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの第八号海防艦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS