1944年1月 オラニエンバウム撤退戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/01 15:00 UTC 版)
「ゲオルク・ランゲンドルフ」の記事における「1944年1月 オラニエンバウム撤退戦」の解説
1944年1月、第11SS義勇装甲擲弾兵師団「ノルトラント」を含む第ⅢSS装甲軍団(フェリックス・シュタイナーSS大将)はレニングラード戦線のドイツ北方軍集団(ヴァルター・モーデル上級大将)に所属し、レニングラード近郊のオラニエンバウムの前線へ移動するよう命令された。しかし、第ⅢSS装甲軍団が現地に到着した後の1944年1月14日、ソビエト赤軍の攻撃によってついにレニングラード包囲網が破られ、「ノルトラント」師団はオラニエンバウムからエストニアのナルヴァまでの60kmの撤退路を戦いながら行軍することとなった。 この時、ランゲンドルフが所属する第11SS装甲偵察大隊はドイツ第18軍の「ヴェングラー」戦闘団(Kampfgruppe Wengler)に編入されたが、1月24日に第5中隊長ハンス・シュミットSS中尉(SS-Obersturmführer Hans Schmidt)が負傷したため、ランゲンドルフが代行の第5中隊指揮官となった。その2日後である1944年1月26日、グバニツィ(Gubanizy/Губаницы)の戦闘の功績によってランゲンドルフは2月8日に大隊長ルドルフ・ザールバッハSS大尉(SS-Hauptsturmführer Rudolf Saalbach)から騎士鉄十字章受章の推薦を受けた。 “ 「ヴェングラー」戦闘団の一部として行動する第11SS装甲偵察大隊は、ヴォロソヴォ(Wolossowo/Волосово)北東のグバニツィの重要な交差路を確保せんとした。1944年1月26日、大半がT-34から成る56両のロシア軍戦車がこの町に対する攻撃を行った。彼らには350名超の兵を有する1個大隊が随伴していた。重兵器中隊指揮官ランゲンドルフSS少尉は彼の対戦車砲小隊をもってトロソヴォ(Torosowo)方面に繋がる町の北東部を全般に守りきった。砲兵の支援も歩兵の支援も無かったにもかかわらず、ランゲンドルフは自らの決断で彼の砲手を前進させ、効果的な方法で反撃を可能にしたのであった。しばらくの砲戦の後、わずかな弾薬しか有していなかった2両の突撃砲が戦線を離脱した。これによってランゲンドルフの対戦車砲小隊がロシア軍の攻撃の中心に直面することとなった。無謀とも言うべき奮闘を通じ、ランゲンドルフと彼の対戦車砲小隊は2時間で24両の敵戦車(うち15両がT-34)を撃破した。これに加えて6両のロシア軍戦車がランゲンドルフの対戦車防衛戦闘によって行動不能となり、8両のロシア軍戦車が突撃砲によって破壊された。 装甲部隊の第一波を切り抜けた後、ランゲンドルフは対戦車砲輸送装甲車を展開させ、町の南側へ砲を配置した。そこで彼は再び戦車を撃退し、戦闘の第一段階において補給路を維持することに成功した。 町の北東部に戻った後、ランゲンドルフはロシア軍の歩兵部隊および装甲部隊の第二波からこの地を防衛するため、弱小な歩兵部隊を集結させた。この日、ランゲンドルフの対戦車兵器は合計で31両の敵戦車(22両はT-34)を撃破し、6両の敵戦車を行動不能にしたのである。 1944年1月27日、ラグノヴォ(Lagunovo)においてランゲンドルフは別の敵戦車部隊を撃滅した。1944年1月29日、再び敵戦車2両は直撃弾を浴びて行動不能となり、ランゲンドルフによって吹き飛ばされた。こうしてこの4日間で、ランゲンドルフと彼の中隊は合計34両の敵戦車を撃破し、6両を行動不能にした。結局、1944年1月26日のグバニツィにおける敵戦車多数撃破は敵にとってグバニツィ突破およびヴォロソヴォ占領という目的(捕虜の証言で確認)を不可能なものとした。そしてこれによって我がドイツ軍の即時後退が可能となったのである。 ” そして1944年3月12日、第11SS装甲偵察大隊第5中隊長(代行)ランゲンドルフSS少尉は、大隊指揮官ルドルフ・ザールバッハSS大尉、「ノルゲ」連隊指揮官(代行)アルブレヒト・クリューゲルSS少佐(SS-Sturmbannführer Albrecht Krügel)、「ダンマルク」連隊第5中隊指揮官ヴァルター・ゼーバッハSS中尉(SS-Ostuf. Walter Seebach)と並んでマティアス・クラインハイスターカンプSS中将から騎士鉄十字章を授与された。 1944年4月20日、ランゲンドルフは予備役SS中尉(SS-Obersturmführer der Reserve)に昇進した。
※この「1944年1月 オラニエンバウム撤退戦」の解説は、「ゲオルク・ランゲンドルフ」の解説の一部です。
「1944年1月 オラニエンバウム撤退戦」を含む「ゲオルク・ランゲンドルフ」の記事については、「ゲオルク・ランゲンドルフ」の概要を参照ください。
- 1944年1月 オラニエンバウム撤退戦のページへのリンク