1944年2月~7月 ナルヴァの戦い
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「第11SS装甲偵察大隊」の記事における「1944年2月~7月 ナルヴァの戦い」の解説
ナルヴァの戦いにおいて「ノルトラント」師団本隊はナルヴァ市に布陣したが、第11SS装甲偵察大隊はナルヴァ西方に配置された。 ナルヴァ市防衛に伴ってドイツ国防軍(陸軍、空軍、海軍)および武装親衛隊の諸部隊が移動した後、ナルヴァ西方のバルト海沿岸地域にはエストニア警察大隊、海軍沿岸砲台部隊、「ベルリン」戦闘団、海軍大隊などの部隊が配置され、クリスチャン・P・クリッシングSS上級大佐(SS-Oberführer Christian Peder Kryssing)(デンマーク人)が指揮を執る「キュステ」戦闘団(Kampfgruppe Küste)の指揮下に置かれた。ちなみに、クリッシングSS上級大佐の息子ニルス・クリッシングSS少尉(SS-Ustuf. Niels Kryssing)は第11SS装甲偵察大隊第1中隊に小隊長として勤務していたが、1944年1月下旬に負傷し、ヴォロソヴォ(Wolossowo/Волосово)からヤンブルク(Jamburg/現ロシア領キンギセップКингисепп)への後送中に敵に捕捉されて行方不明となった。
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