1944年夏の戦況とは? わかりやすく解説

1944年夏の戦況

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 17:38 UTC 版)

第28SS義勇擲弾兵師団」の記事における「1944年夏の戦況」の解説

1944年6月22日始まったソビエト赤軍夏季大攻勢バグラチオン作戦)の後、ドイツ北方軍集団は後にクールラント・ポケットとして知られるラトビア北部クールラント半島退却始めた。さらに、それより以前1944年2月から7月にかけてエストニア繰り広げられナルヴァの戦いは、7月末のナルヴァ市の放棄という形でドイツ軍敗北終わったエストニアドイツ軍部隊ナルヴァ西方設けられ防衛線「タンネンベルク線」(Tannenbergstellung)に後退し西進するソビエト赤軍迎え撃つ態勢入ったかくして風雲急を告げるエストニア戦線には次々と増援部隊投入され再編制中の第5SS義勇突撃旅団「ヴァロニェン」にも1個大隊規模戦闘団派遣するよう命令下った1944年7月21日ポーランドのデンビツアにあるハイデラーガー(Heidelager)兵舎で「ヴァロニェン」旅団は1個戦闘団を緊急編制した。この戦闘団歴戦将校下士官および、1944年4月6月にバート・テルツSS士官学校(SS-Junkerschule Badlz)を卒業した新人将校たちが基幹成していたが、兵の大半以上は旅団配属されたばかり新兵であった当初戦闘団指揮はジュール・マチューSS大尉執る予定であったが、彼はプートロス(Putlos)の軍学校連隊指揮官として教育を受けるため不在であった。そのため、戦闘団指揮官には旅団訓練担当将校務めるジョルジュ・リュエルSS中尉が(新兵訓練兼ねて任命された。 1944年7月25日総員452名の将兵擁する「リュエル」戦闘団(Kampfgruppe Ruelle)、またの名を「ヴァロニェン」戦闘団(Kampfgruppe Wallonien)はエストニア・ナルヴァ市西方45キロメートル地点のJohviへ到着しフェリックス・シュタイナーSS大将の第3SS装甲軍団III. (germanisches) SS-Panzerkorps)に配属された。7月28日に彼らはVokaにおいて新兵基礎訓練開始し、翌29日にはシュタイナーSS大将閲兵受けた。この時点での戦闘団次に示すように、戦闘可能な2個中隊(第2、第4)と予備の1個中隊(第1)の3個中隊で構成されていた(第3中隊は未編制)。 「リュエル」戦闘団/「ヴァロニェン」戦闘団 (Kampfgruppe Ruelle / Kampfgruppe Wallonien)(1944年7月末~8月末) 戦闘団指揮官 ジョルジュ・リュエルSS中尉(SS-Ostuf. Georges Ruelle) 副官本部中隊通訳通信当直従軍記者ドイツ人連絡将校 カール・シェーファーSS中尉(SS-Ostuf. Karl Schaefer) 第1野戦補充中隊 ジャック・カペルSS少尉(SS-Ustuf. Jacques Capelle) 第2行動中隊 マーク・ウィレムSS少尉(SS-Ustuf. Marc Willem) 第4重兵器中隊 マルセル・ボニヴェルSS中尉(SS-Ostuf. Marcel Bonniver)対戦車砲小隊 レオン・ジリスSS少尉(SS-Ustuf. Léon Gillis) ちなみに、レオン・デグレルは1944年7月14日故郷ブイヨンBouillon)でレジスタンス暗殺された弟(Edouard Degrelle)の葬儀のためにベルギー戻っており、同戦闘団エストニア派遣されたことを知らなかった。後にそのこと知ったデグレルは大急ぎ海路伝ってエストニア向かい8月8日エストニア北部訓練中の戦闘団合流したまた、エストニア到着後、デグレルは直ちシュタイナーSS大将連絡取った。この時のデグレルはコルスン包囲戦大損害を被った「ヴァロニェン」旅団必要な再編制訓練のための時間要求するようなことはせず、むしろワロン人戦闘団戦闘能力シュタイナー保証した

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