1944年下半期 南西方面護衛
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「御蔵 (海防艦)」の記事における「1944年下半期 南西方面護衛」の解説
1944年7月6日、ダマ01船団を護衛してマニラへ向けダバオ発。13日、マニラ着。15日、ミ08船団を護衛してマニラを出港したが、台風のため船団はマニラに帰投。17日、春風とともにタマ21C船団の増援のためマニラを出撃。18日にはヒ69船団の増援に向かう。同日、第二海上護衛隊が解隊し、本艦は第一海上護衛隊に編入。20日、マニラに帰投。23日、ヒ68船団を護衛して内地へ向けマニラ発。28日、高雄に寄港。8月3日、六連着。 8月4日、佐世保へ回航。5日から7日まで、佐世保海軍工廠で整備を実施。8日、伊万里で仮泊。10日、ヒ71船団を護衛して伊万里発。13日、悪天候のため船団は馬公に寄港。17日、引き続きヒ71船団を護衛して馬公発。18日、船団は潜水艦の攻撃により損害を出したため、19日にサンフェルナンドへ退避。20日、本艦はサンフェルナンドを出撃し、航空機と共同で対潜掃蕩に従事。21日、マニラ着。26日、引き続きヒ71船団を護衛してマニラ発。9月1日、シンガポール着。 9月6日、復航のヒ72船団を護衛してシンガポール発。12日、船団は潜水艦の攻撃を受けて輸送船2隻のほか、護衛の敷波と護衛部隊旗艦の平戸が沈没した。本艦は爆雷戦を実施後、敷波乗員の救難にあたる。13日、船団は一旦楡林に退避したが、本艦は救難のため遭難現場へ引き返す。14日、楡林に帰着。16日、ヒ72船団第一分団(特設運送船浅香丸)を護衛して佐世保へ向け楡林発。20日夜、台湾海峡を航行中にアメリカ陸軍航空隊機の攻撃を受け、本艦と浅香丸が損傷した。浅香丸は第10号海防艦の護衛を受けて馬公へ向かったが、本艦は直撃弾1発のほか至近弾数発を蒙って航行不能となり、消息不明となる。23日、本艦は漂流中だったところを飛行機より発見され、来着した第18号海防艦や擇捉らの護衛を受けて馬公へ回航。26日から馬公海軍工作部で入渠し復旧修理を実施。 入渠中の10月12日と13日の両日、来襲したアメリカ艦載機に対して対空戦闘を行い、3機の撃破を報じる。 11月3日、馬公での復旧修理を終了し、4日高雄へ回航。6日、タモ28船団を護衛して高雄発。13日、船団は六連に到着し、本艦は佐世保へ回航。14日から佐世保海軍工廠で入渠し、修理を実施。 修理中の12月10日、第一海上護衛隊は第一護衛艦隊に改編される。修理終了後の29日、ヒ87船団を護衛のため佐世保発。
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