1944年下半期 南西方面護衛とは? わかりやすく解説

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1944年下半期 南西方面護衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 17:41 UTC 版)

御蔵 (海防艦)」の記事における「1944年下半期 南西方面護衛」の解説

1944年7月6日ダマ01船団護衛してマニラへ向けダバオ発。13日マニラ着。15日、ミ08船団護衛してマニラ出港したが、台風のため船団マニラ帰投17日春風とともにタマ21C船団増援のためマニラ出撃18日にはヒ69船団増援に向かう。同日第二海上護衛隊解隊し、本艦第一海上護衛隊編入20日マニラ帰投23日ヒ68船団護衛して内地へ向けマニラ発。28日高雄寄港8月3日六連着。 8月4日佐世保回航5日から7日まで、佐世保海軍工廠整備実施8日伊万里仮泊10日ヒ71船団護衛して伊万里発。13日悪天候のため船団馬公寄港17日引き続きヒ71船団護衛して馬公発。18日船団潜水艦攻撃により損害出したため、19日サンフェルナンド退避20日本艦サンフェルナンド出撃し、航空機共同対潜掃蕩従事21日マニラ着。26日引き続きヒ71船団護衛してマニラ発。9月1日シンガポール着。 9月6日復航ヒ72船団護衛してシンガポール発。12日船団潜水艦攻撃受けて輸送船2隻のほか、護衛敷波護衛部隊旗艦の平戸沈没した本艦爆雷戦を実施後敷波乗員救難にあたる。13日船団は一旦楡林退避したが、本艦救難のため遭難現場へ引き返す14日楡林帰着16日ヒ72船団第一分団特設運送船浅香丸)を護衛して佐世保へ向け楡林発。20日夜、台湾海峡航行中アメリカ陸軍航空隊機の攻撃を受け、本艦浅香丸が損傷した浅香丸は第10号海防艦護衛受けて馬公向かったが、本艦直撃弾1発のほか至近弾数発を蒙って航行不能となり、消息不明となる。23日本艦漂流中だったところを飛行機より発見され来着した第18号海防艦擇捉らの護衛受けて馬公回航26日から馬公海軍工作部入渠復旧修理実施入渠中の10月12日13日両日来襲したアメリカ艦載機に対して対空戦闘行い、3機の撃破報じる11月3日馬公での復旧修理終了し4日高雄回航6日タモ28船団護衛して高雄発。13日船団六連到着し本艦佐世保回航14日から佐世保海軍工廠入渠し、修理実施修理中の12月10日第一海上護衛隊第一護衛艦隊改編される。修理終了後29日ヒ87船団護衛のため佐世保発。

※この「1944年下半期 南西方面護衛」の解説は、「御蔵 (海防艦)」の解説の一部です。
「1944年下半期 南西方面護衛」を含む「御蔵 (海防艦)」の記事については、「御蔵 (海防艦)」の概要を参照ください。

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