ひょう‐りゅう〔ヘウリウ〕【漂流】
漂流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/27 21:08 UTC 版)
漂流(ひょうりゅう)は、水面や水中を物体が漂い流れること。および、物が漂流するのと同じように人間や動物が当てもなくさすらうことをいう。同義語(同意語)に「漂泊」がある。
- ^ 池野, 茂 (1976年10月1日). “近世琉球の遭難漂流記録をめぐる諸問題”. 桃山学院大学社会学論集. pp. 47–87. 2024年6月27日閲覧。
- ^ “ジョン万次郎よりも前!484日間漂流→米国上陸した尾張の重吉さん:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2024年4月30日). 2024年6月27日閲覧。
- ^ “佐久島出身船頭・小栗重吉がひっそりギネス登録 「物証のある世界最長海上漂流記録」:中日新聞Web”. 中日新聞Web. 2024年6月27日閲覧。
- ^ Lah, Kyung (2016年1月8日). “Real-life castaway survived 438 days lost at sea” (英語). CNN. 2024年6月27日閲覧。
- ^ “太平洋13か月漂流の男性、カメの血飲むのは昔から 友人らが証言”. www.afpbb.com (2014年2月6日). 2024年6月27日閲覧。
- ^ Tuckman, Jo (2014年2月4日). “José Salvador Alvarenga's 13 months at sea backed by fishermen and officials” (英語). The Guardian. 2024年6月27日閲覧。
- ^ a b “世界一有名な漂流記"コン・ティキ号"の乗組員が「消しゴム味」と嫌った日本人にはおなじみのある食材 椎名誠「あらゆる漂流記の中で最高」 (2ページ目)”. PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) (2021年9月5日). 2024年6月27日閲覧。
- ^ a b 実験漂流 著:福地 章
漂流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/30 18:01 UTC 版)
済州島において推刷敬差官として奉職している間の1488年2月12日、羅州から奴婢がやってきて、崔溥の父が亡くなったことを知らせた。 儒教的価値観にしたがって、崔溥は直ちに職を辞し、喪に服す準備に入った。 しかしながら、43人の供回りの者らとともに朝鮮半島本土へ向けて出航しようとした矢先、嵐に吹かれ、14日間もの間、荒れた海を漂流した。船は寧波の近く台州に漂着した。漂流が始まって5日目に崔溥は以下のように記している。 霧が深くて何も見えない。足下にあるものすら何か分からないほどである。夕方まで激しい雨が降り続いて、夜になるといくらか和らいだ。恐ろしい波が大山のようにうねって、船を空へ持ち上げては波の底へと落とす。波のうねりが砕ける音で天地が裂けるほどである。私たちはいつ溺れ死んでもおかしくなかった。 — Khair (2006, p. 155) 崔溥は、供回りの者をせかして自らの着衣を死に装束に替えさせ、天に祈っていかなる罪科がこのような運命を導いたのか問うた。 漂流6日目、天候が回復し船は黄海内のある群島にたどり着いたが、そこは海賊の根城だった。 海賊らは崔溥一行の船の糧食を奪い櫂や錨を海に投げ捨てた上、船を海上に置き去りにして漂流するまま任せた。
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漂流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 09:36 UTC 版)
天保12年1月5日(1841年1月27日)早朝の宇佐浦(現・土佐市宇佐町)、14歳になっていた万次郎は、足摺岬沖での鯵鯖漁に出航する漁船に炊係(炊事と雑事を行う係)として乗り込んだ。仲間の構成は、船頭の筆之丞(38歳。のちにハワイで「伝蔵」と改名)を筆頭に、筆之丞の弟で漁撈係の重助(25歳)、同じく筆之丞の弟で櫓係を務める五右衛門(16歳)と、もうひとりの櫓係の寅右衛門(26歳)、そして炊係の万次郎(14歳)であった。 ところが、万次郎達は足摺岬の南東15キロメートルほどの沖合で操業中、突然の強風に船ごと吹き流され、航行不能となって遭難してしまう。5日半(資料によっては10日間)を漂流した後、伊豆諸島にある無人島の一つである鳥島に漂着し、この島でわずかな溜水と海藻や海鳥を口にしながら143日間を生き延びた。同年5月9日(1841年6月27日)、万次郎達は、船長ウィリアム・ホイットフィールド率いるアメリカ合衆国の捕鯨船ジョン・ハウランド号が食料として海亀を確保しようと島に立ち寄った際、乗組員によって発見され、救助された。 しかし、その頃の日本は鎖国していたため、この時点で故郷へ生還する術はなく、帰国の途に就いた捕鯨船に同乗したままアメリカへ向かわざるを得なかった。1841年11月20日、ハワイのホノルルに寄港した折、救助された5名のうち万次郎を除く4名は、宣教師で、ハワイ王国の顧問であったGerrit P. Judd(英語版)の計らいでこの地で船を降りている。寅右衛門はそのまま移住し、重助は5年後に病死、筆之丞(伝蔵)と五右衛門はのちに帰国を果たしている。
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漂流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 18:06 UTC 版)
1813年(文化10年)、重吉は尾張藩の小嶋屋庄右衛門所有の船・督乗丸(約120トン)の船頭として、部下の乗組員13名と共に師崎から江戸へ出航した。しかし江戸から帰還する途中、遠州灘で暴風雨に巻き込まれ遭難。この時乗組員の1人が海に転落している。 舵を破損した督乗丸は、海流に乗って太平洋を漂流。以後1815年(文化12年)に、アメリカ・カリフォルニア州のサンタバーバラ付近の洋上でイギリスの商船フォレスター号に救助されるまで、484日間にわたって漂流した。生存者は、重吉以下音吉、半兵衛の3名であった。
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漂流
「漂流」の例文・使い方・用例・文例
- 海を漂流して
- 氷山の漂流
- 15日の漂流後,私たちは陸が見えた
- 目が覚めてみると我々は大海原を漂流していた。
- 彼の船は無人島に漂流した。
- 潮流がその船を外海へと漂流させた。
- 顧みられぬ無数の漂流者が家を求めてる。
- 俺は絶海の孤島の漂流者。
- マストが折れて僕たちの船は漂流し始めた。
- その船は漂流して外海に出た。
- その船は波のなすがままに漂流していた。
- その船は海を漂流した。
- いかだは岸からずっと遠くへ漂流した。
- 大海原を漂流する.
- ロビンソンクルーソー漂流記.
- 小舟が漂流して[下流へ流されて]いった.
- 船を漂流させる.
- 彼らはある島に漂流した.
- 3 日間漂流してやっと岸にたどり着いた時は, 彼はもう精根使い果たしていた.
- 3 日間飲まず食わずで海上を漂流した.
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