1944年の侵略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/07 02:49 UTC 版)
「エドガー・フォイヒティンガー」の記事における「1944年の侵略」の解説
1944年6月6日から始まったノルマンディ侵攻において、第21装甲師団は連合軍の上陸地点近辺に展開する部隊の一つだった。ところがこの日もフォイヒティンガーはパリに滞在しており、師団司令部には愛人だったハンブルク出身の女優を連れて現れた。数時間遅れで到着した彼はカーン及び海岸線を攻撃するように命じたものの、連合軍の空爆と艦砲射撃に阻まれ、部下の連隊長の進言により攻撃は中止された。カーンの戦いで師団は大量の兵員と物資を喪失した。それにも係わらず、フォイヒティンガーは1944年8月1日付で中将(Generalleutnant)に昇進し、8月6日には騎士鉄十字章を受けた。 ファレーズ包囲戦で大打撃を受けた第21装甲師団は、包囲を逃れた敗残兵をもってロレーヌにて再編成された。次いで起こったヴォージュ山脈の戦いの後、フォイヒティンガーは「我々は重砲及び戦車砲を用いた短時間の集中射撃を行い、40以上の敵戦車を破壊した」と報告した。ところが、実際にはほんの1ダース程度の戦車を撃破したに過ぎなかったという。また、多くの装甲部隊指揮官と異なり、パリに篭ったフォイヒティンガーが最前線を訪れる事はほとんど無かった。こうした師団における振る舞いや生活習慣は、後の裁判にてハンス・フォン・ルック大佐など配下の将兵が彼に不利な証言をする事に繋がった。
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