第二海上護衛隊とは? わかりやすく解説

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第二海上護衛隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 17:01 UTC 版)

夕張 (軽巡洋艦)」の記事における「第二海上護衛隊」の解説

太平洋戦争開戦以来日本軍海上護衛任務輸送任務連合艦隊・各鎮守府警備府分担していたが、作戦地域拡大輸送航路延長により、海上護衛専門に行う部隊編成することになった1942年昭和17年4月10日附で特設海上護衛隊第一海上護衛隊、第二海上護衛隊)が編成され聯合艦隊麾下に入る。第一海上護衛隊内地東南アジア方面を、第二海上護衛隊(司令官茂泉愼一中将/第四根拠地隊司令官兼任)は内地ラバウルまでの東南太平洋海域護衛担当した第一海上護衛隊戦力弱小ながら旧式駆逐艦睦月型駆逐艦神風型駆逐艦若竹型駆逐艦)を擁していたが、第二海上護衛隊は特設艦船3隻(能代丸、長運丸、金城山丸)のみという弱体戦力で、5月4日には金城山丸が米潜水艦撃沈された。 1942年昭和17年7月10日第六水雷戦隊解隊される。この措置にともない、旧六水戦構成兵力夕張、第29駆逐隊夕月追風朝凪夕凪》、第30駆逐隊睦月弥生望月卯月》)は第二海上護衛隊へ編入された。だが第30駆逐隊7月14日附で、新編成第八艦隊司令長官三川軍一中将)へ転籍した。また夕張と第29駆逐隊第四艦隊命令によりソロモン諸島ニューギニア方面での作戦従事していた。このため6月から7月にかけて海上護衛任務従事したのは特設艦船2隻(能代丸、長運丸)という状態だった。第二海上護衛隊の特設巡洋艦や他部隊応援艦(駆潜艇など)は、各航路護衛奔走することになった8月5日、第二海上護衛隊から能代丸が除かれ特設巡洋艦浮島丸編入される詳細は「第一次ソロモン海戦」を参照 8月7日アメリカ軍ウォッチタワー作戦発動ガダルカナル島フロリダ諸島上陸開始してガダルカナル島の戦い始まった外南洋部隊指揮官三川軍一中将第八艦隊司令長官)は旗艦/重巡鳥海第六戦隊青葉加古古鷹衣笠)を率いてガダルカナル島ルンガ泊地への突入企図する。このときラバウルにあった夕張」、「夕凪」や第十八戦隊の「天龍」は旧式訓練不足で足手まとい見られいたものの、第十八戦隊司令官などの要望受けて作戦参加することになったが、夜戦の邪魔にならないようにと後方配置された。同日、「鳥海」、「天龍」、「夕張」、「夕凪」はラバウル出撃し、ラバウル港外第六戦隊合流した進撃中、「夕張」では機関トラブル発生した。まず復水器腐蝕口からの海水混入により罐水の塩分濃度上昇し、それによって湿潤蒸気タービン送り込まれたことでタービン1機が故障中央使用停止で2軸運転となったが、幸いにも艦隊同行できるだけ速度26ノット)は発揮できたため落伍はまぬがれた。このように機関不調抱えながらであったが、8月8-9日の第一次ソロモン海戦において、夕張連合国軍艦隊撃破貢献した戦闘中重巡古鷹軽巡天龍夕張から砲撃され損傷した駆逐艦パターソンは、『最上型重巡洋艦神通軽巡洋艦香取型練習巡洋艦交戦』と報告している。夜戦でほとんど損害を受けなかった第八艦隊だが、ラバウル帰投の4隻(鳥海天龍夕張夕凪)、カビエン帰投第六戦隊青葉加古衣笠古鷹)に分離したあと、米潜水艦S-44の雷撃重巡加古喪失した夕張と第29駆逐隊8月下旬までソロモン方面作戦従事したソロモン諸島での行動終えた第二海上護衛隊各艦(夕張追風夕凪夕月)は、8月下旬迄にトラック泊地到着夕張8月20日トラック帰着)。続いて夕張と第29駆逐隊追風夕凪夕月)はナウル島オーシャン島攻略作戦従事する9月上旬トラック泊地戻ったあと、夕張マーシャル諸島方面進出9月18日、2隻(夕張夕月)はギルバート諸島掃蕩戦に従事各隊協力しアメリカ軍情報通信網を掃蕩した。9月25日から29日にかけて、夕張トラック泊地からパラオに向かう輸送船3隻(妙高丸、良洋丸、立石丸)を護衛する9月29日夕張輸送船3隻の護衛駆逐艦白露第27駆逐隊)に引き継いだソロモン諸島ニューギニア方面戦局激化にともない中部太平洋方面重要性増し、第二海上護衛隊の任務も重大化した。だが第二海上護衛隊は兵力微弱のため、他部隊からの応援得て辛うじて護衛任務遂行していた。10月上旬駆逐艦旗風横須賀鎮守府警備駆逐艦)が第二海上護衛隊に臨時編入。第二海上護衛隊(夕張、第29駆逐隊追風夕凪朝凪夕月》、浮島丸、長運丸)や他部隊応援艦(旗風峯風等)は、トラック泊地パラオ拠点として、中部太平洋各方面船団護衛任務従事した10月中旬夕張パラオからラバウルまで、沼兵団輸送船4隻を護衛する10月21日パラオ帰着トラック泊地経由して10月31日タラワ到着。3隻(夕張夕凪朝凪)はマーシャル方面防備隊編入され朝凪中旬から)、タラワヤルート方面行動した12月1日夕張修理整備のためヤルート環礁出発12月5日サイパン経由し内地向かった12月9日横須賀帰投以降横須賀修理整備実施した1943年昭和18年1月2月横須賀所在3月22日特設水上機母艦神川丸護衛して横須賀出撃し、3月28日トラック泊地到着した。すぐに2隻(夕張神川丸)はトラック出港4月1日ラバウルニューブリテン島)に到着した

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第二海上護衛隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/10 07:11 UTC 版)

朝凪 (駆逐艦)」の記事における「第二海上護衛隊」の解説

1942年昭和17年7月10日第六水雷戦隊解隊される。同時に構成兵力夕張、第29駆逐隊夕月追風朝凪夕凪〉、第30駆逐隊睦月弥生望月卯月〉)は第二海上護衛隊に編入された。だが第30駆逐隊が第二海上護衛隊として護衛作戦従事する機会訪れず、わずか4日14日新編第八艦隊編入された。また従来南洋部隊は、外南洋部隊指揮官第八艦隊司令長官)の新編にともない内南洋部隊となった佐世保修理整備従事していた「朝凪」は、第二海上護衛隊編入直後7月11日ラバウル向けて内地出撃する7月13日現地陸海軍は『「リ」号研究作戦協定覚書書』を締結する。翌14日東部ニューギニア攻略部隊指揮官第十八戦隊司令官)は攻略命令下令朝凪第二警戒隊(指揮官朝凪駆逐艦長朝凪夕月卯月)に区分された。18日朝凪ニューブリテン島ラバウル到着して夕張下僚艦と合流する当時フィリピンダバオでは、大本営陸軍部参謀辻政信陸軍中佐第17軍司令官百武晴吉陸軍中将参謀長二見秋三郎陸軍少将)を訪問し第17軍対しオーエンスタンレー山脈越えてポートモレスビー目指す「リ号研究作戦」の実施指示していた。辻参謀独断のせられ第17軍は、18日になり南海支隊長堀富太陸軍少将対し海軍協力してすみやかにポートモレスビー東部ニューギニア要地攻略す。南海支隊ブナココダ道(山脈越え)によりポートモレスビー攻略歩兵35旅団一部海上からポートモレスビー東方上陸す」と命じた。まずラバウル所在横山先遣隊パプアニューギニアブナ上陸することになったココダ道の戦い)。 7月20日東部ニューギニア攻略部隊および横山先遣隊輸送船2隻(良洋丸、綾戸山丸)はラバウル出撃ブナむかった21日深夜から22日朝にかけてゴナ揚陸開始したが、空襲で「綾戸山丸」が被弾して擱坐至近弾で「卯月」が小破した。24日第17軍司令部辻参謀航空便ラバウル到着した。辻が巡洋艦訪れてブナ視察をしたい」と申し出ると、「朝凪」を指定されたという。25日第17軍大本営陸軍部から「第17軍研究作戦の結果待ちつつある」との電報をうけ、辻参謀独断悟った。この時点で、横山先遣隊ブナゴナ進出済みであった。同25日、「朝凪」は辻政信陸軍中佐乗せてラバウル出撃する。これは第八根拠地隊物件輸送と、辻参謀による横山先遣隊激励および現地偵察企図していた。辻によれば、「朝凪」の対空火器応急的取り付けた機銃四挺だけだったという。ブナに向かう途中7月26日夕刻連合軍双発爆撃機空襲を受け、回避行動中にキラートン岬で触礁してスクリュー損傷最大発揮速力16ノット低下する至近弾により艦には250所以上の穴が開き19人が戦死重軽傷65人を出す。負傷者には辻参謀含まれる7月28日辻参謀乗せた朝凪」はラバウル帰投した。辻参謀大本営陸軍部にあてて「七月末「ブナ附近制空権敵手ニ在リ、海軍航空実力使用シ得ルモノ戦闘機二〇爆撃機三〇ノミナルモ其ノ実情軍令部ニ通ジアラズ」と打電した。「朝凪」は修理のため内地帰投することになった8月5日、第二海上護衛隊から特設巡洋艦能代丸」が除かれ特設巡洋艦浮島丸」が編入される10日、二海護(朝凪、長運丸)は輸送船2隻(五洋丸、山福丸)を護衛してトラック泊地出発23日横須賀到着した。「朝凪」は横須賀修理おこなった9月下旬より、内地ラバウル間の陸軍輸送作戦「沖輸送」に従事する9月29日第二船団ぶらじる丸伊太利丸)は朝潮型駆逐艦朝潮」に護衛され佐伯出発、「朝凪」は北緯14度線護衛ひきつぎ、「朝潮」は横須賀戻った10月10日第二船団ラバウル到着した同月8日付で、朝凪駆逐艦長花見弘平少佐から尾辻秀一大尉交代した同時期の第二海上護衛隊は、軽巡夕張」と第29駆逐隊追風夕凪朝凪夕月)、特設艦船浮島丸、長運丸)、駆逐艦旗風」(横須賀鎮守府部隊より臨時編入であった。これら艦艇加え、他部隊応援艦により中部太平洋方面護衛任務従事した1943年昭和18年2月15日第三特別根拠地隊新編にともない、「朝凪」はギルバート方面防備部隊直率部隊編入された。3月上旬ヤルート近海燃料切れ不時着した飛行艇捜索し発見後曳航燃料補給おこなった4月1日、第29駆逐隊解隊された。3隻(朝凪追風夕月)は引き続き海上護衛任務従事する一方夕張」と「夕凪」は外南洋部隊第八艦隊)に編入され海上護衛隊より除かれた。同時期になると、新型海防艦鴻型水雷艇が二海護に順次編入された。 6月15日日本軍ミレ島防備強化するため第66警備隊司令志賀成大佐、海兵48期)を新編した。ミレ増強部隊空母翔鶴」に乗艦してトラック泊地進出しつづいて7月17日に2隻(那珂朝凪)に分乗して同地出発20日ミレ到着した7月24日駆逐艦玉波」が護衛していたタンカー第三図南丸」がアメリカ軍潜水艦ティノサ (USS Tinosa, SS-283) の雷撃航行不能となったトラック泊地軽巡五十鈴」は、ミレから戻ったばかりの「朝凪」を連れて直ち出撃、翌25日に「第三図南丸」と合流した救難部隊協力により、「第三図南丸」はトラック泊地にたどり着いた8月8日サイパン出発して横須賀にむけ航行中の「朝凪」と「鳴戸丸」(7,148トン第十一航空艦隊給兵艦)を潜水艦ホエール襲撃し、「鳴戸丸」を撃沈した。「朝凪」は約300名を救助した8月中旬、「追風」と「朝凪」は佐世保修理整備おこなった10月20日朝凪駆逐艦長は尾辻秀一少佐から大西快治大尉交代した。また新艦長大西大尉着任当時の「朝凪」は、老朽化のため速力30ノット発揮できない状態だった。 11月15日日本海軍海上護衛総司令部司令長官及川古志郎大将)を設立した第一海上護衛隊と第二海上護衛隊も、海上護衛総司令部麾下に入る。同月時点での第二海上護衛隊は、駆逐艦2隻(追風朝凪)、海防艦複数隻(隠岐福江御蔵平戸天草満珠)、鴻型水雷艇2隻()、長運丸となっていた。

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第二海上護衛隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 16:48 UTC 版)

追風 (2代神風型駆逐艦)」の記事における「第二海上護衛隊」の解説

1942年昭和17年7月10日第六水雷戦隊解隊され、所属艦・部隊夕張、第29駆逐隊夕月追風朝凪夕凪〉、第30駆逐隊睦月弥生卯月望月〉)は第二海上護衛隊に転じた。第二海上護衛隊(司令官第四根拠地隊司令官兼任)は第四艦隊隷下において4月10日新編されたが、特設艦船3隻のみという弱小部隊であった。第30駆逐隊7月14日付で編制され第八艦隊編入されたため、実際に夕張と第29駆逐隊が第二海上護衛隊に所属したガダルカナル島の戦い勃発直後8月13日、第29駆逐隊追風僚艦ヘンダーソン飛行場基地対す艦砲射撃実施した8月15日追風横須賀鎮守府第五特別陸戦隊113名をのせてラバウル出発17日ガダルカナル島タサファロングへ揚陸した。その後追風トラック泊地戻り同地拠点船団護衛任務従事した1943年昭和18年4月1日第八艦隊司令長官三川軍一中将から鮫島具重中将交代する鮫島中将後任として、小林仁中将第四艦隊司令長官任命された。同日付で第29駆逐隊と第34駆逐隊解隊された。追風佐世保海軍工廠修理実施修理中に後部魚雷発射管や一部の主砲撤去し対空機銃増強していた。 10月初旬追風給糧艦間宮を含む輸送船団護衛し横須賀出発した10月12日アメリカ潜水艦セロ雷撃間宮大破航行不能となった間宮救難をおこなっているうちに追風燃料乏しくなり、追風救援にきた駆逐艦潮(第7駆逐隊)に間宮警戒引き継ぎ小笠原諸島父島入港して燃料補給するその後、ふたたび間宮護衛戻った間宮朝風丸に曳航され(途中から潜水母艦迅鯨交替)、軽巡五十鈴第十四戦隊)や海防艦壱岐等に護衛され、呉に帰投した。追風別の船団護衛し内海西部からトラック泊地むかった

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第二海上護衛隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 22:00 UTC 版)

海上護衛隊」の記事における「第二海上護衛隊」の解説

1942年昭和17年4月10日日本海軍大海第十七号をもって第四艦隊司令長官井上成美中将対し海上交通保護実施命じた続いて軍令部総長は、同日付の大海第八十二をもって、第二海上護衛隊の任務を「本邦沿岸北緯29以北第四保護海域航路及第保護海域内航路ノ船団護衛第四保護海域内船行動管制統括」と指示した。すなわち第二海上護衛隊は、横須賀トラック環礁パラオ諸島間の東西2航路防衛任務として第四艦隊南洋部隊隷下編成された(略語、2KEg)。第二海上護衛隊の指揮官は、第四根拠地隊司令官茂泉慎一中将トラック所在略語4Bg)が兼務する司令部職員同等)。編制当時交通保護担任区域第四保護海域)は、小笠原諸島経由してマリアナ諸島東西分岐し東航路はトラック終点とし、西航路パラオ終点としていた。北端横須賀本州)、南端ニューギニア島およびラバウルニューブリテン島であった。なお東航路延長線にはカロリン諸島マーシャル諸島ギルバート諸島ビスマーク諸島ソロモン諸島があり、西航路延長線上には西ニューギニア・スンダ列島ミンダナオ島存在していた。 長大シーレーン担当するにもかかわらず当初運航統制班と特設艦艇3隻(能代丸〈最大速力13ノット〉、長運丸〈最大速力11ノット〉、金城山丸最大速力14ノット〉)からなる1個戦隊しか充当されなかった。このため大本営海軍部は「一、武装船舶および13ノット上の船舶原則として単独航行させる。 二、航路全体護衛不可能なので、護衛機会的・局地的に限定する。」という指示与えた。3隻の護衛は、おもにサイパントラックラバウル間に重点置いて実施された。創設から1ヶ月たたない5月4日トラック北西方面において特設巡洋艦金城山丸米海軍潜水艦撃沈される。第二海上護衛隊の戦力は、特設巡洋艦2隻のみとなる。そこで第四艦隊南洋部隊隷下第六水雷戦隊軽巡洋艦夕張、第29駆逐隊、第30駆逐隊)が護衛協力し、さらに6月中旬には第四艦隊多数駆潜艇配備される7月10日には、内南洋平定終えて遊兵化していたを第六水雷戦隊解隊して所属艦艇を第二海上護衛隊に編入し、ようやく対潜能力備えた船団護衛部隊として一応完成した8月5日には能代丸が除かれ第一海上護衛隊より特設巡洋艦浮島丸を二海護に編入した。担当海域広さに対して護衛戦力不足しており、各鎮守府連合艦隊艦艇臨時内南洋部隊指揮下に入り護衛作戦従事している。 ソロモン諸島消耗戦長期化して前線駆逐艦不足すると、第二海上護衛隊所属神風型駆逐艦睦月型駆逐艦ソロモン引き抜かれ順次鴻型水雷艇新型海防艦置き換えられた。1943年昭和18年11月15日海上護衛総司令部設立されると(既述)、第二海上護衛隊も麾下入った。第二海上護衛隊の担当航路は、トラック航路トラック泊地パラオ間と定められた。 1944年昭和19年2月17日トラック環礁大空襲受けて基地機能失われたため、航路終点サイパン島まで後退した3月1日大海指第340号により、トラックパラオ航路を、サイパンパラオ航路改定)。また従来の第二海上護衛隊司令官トラック泊地拠点とする第四根拠地隊司令官との兼任だったが、この改定により在サイパン第五根拠地隊司令官が二海護司令官兼任することになった3月4日日本軍第四艦隊と第14航空艦隊をもって中部太平洋方面艦隊司令長官南雲忠一中将)を新編艦隊区分においては中部太平洋方面部隊)、マリアナ諸島強化企図した。サイパン島航路絶対国防圏強化のための重要航路とされ、第二海上護衛隊にくわえて連合艦隊増援得て松輸送の名の下で護衛および輸送作戦が行われた。輸送作戦おおむね成功したが(護衛艦のべ64隻、加入船舶のべ100隻、損害3隻)、松輸送後におこなわれた第3530船団大損害を受けるなど、被害を完全に食い止めることはできなかった。6月にはサイパン島上陸向けたアメリカ機動部隊による航空攻撃加わり担当航路途絶した。第二海上護衛隊司令官辻村武久少将サイパン島地上戦戦死し、同島は7月6日陥落した7月18日付でサイパン島守備隊玉砕公表され中部太平洋方面艦隊と共に第二海上護衛隊も解隊された。

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