昭和18年とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 学問 > 近世年表 > 昭和18年の意味・解説 

昭和18年 (みずのとひつじ 癸未)

昭和18年
年(年号)
1923年 (大正12年) 関東大震災
1928年 (昭和3年) ■初の普通選挙実施
1932年 (昭和7年) 五・一五事件
1936年 (昭和11年) 二・二六事件
1941年 (昭和16年) ■対英米宣戦布告
昭和18年
1945年 (昭和20年) ポツダム宣言受諾
1946年 (昭和21年) 日本国憲法公布
1951年 (昭和26年) サンフランシスコ講和条約
1953年 (昭和28年) テレビ放送開始
1956年 (昭和31年) 国際連合加盟
1960年 (昭和35年) 東京タワー完成
1960年 (昭和35年) 日米新安保条約調印


昭和18年
幸田 露伴 1867年1947年(慶応3年昭和22年) 76
川上 貞奴 1871年1946年(明治4年昭和21年) 72
長谷川 如是閑 1875年1969年(明治8年昭和44年) 68
荒木 貞夫 1877年1966年(明治10年昭和41年) 66
大河内 正敏 1878年1952年(明治11年昭和27年) 65
吉田 茂 1878年1967年(明治11年昭和42年) 65
鏑木 清方 1878年1972年(明治11年昭和47年) 65
永井 荷風 1879年1959年(明治12年昭和34年) 64
石井 柏亭 1882年1958年(明治15年昭和33年) 61
福原 信三 1883年1948年(明治16年昭和23年) 60
高村 光太郎 1883年1956年(明治16年昭和31年) 60
鳩山 一郎 1883年1959年(明治16年昭和34年) 60
石橋 湛山 1884年1973年(明治17年昭和48年) 59
東条 英機 1884年1948年(明治17年昭和23年) 59
安田 靫彦 1884年1978年(明治17年昭和53年) 59
三浦 環 1884年1946年(明治17年昭和21年) 59
武者小路 実篤 1885年1976年(明治18年昭和51年) 58
平塚 らいてう 1886年1971年(明治19年昭和46年) 57
山田 耕筰 1886年1965年(明治19年昭和40年) 57
谷崎 潤一郎 1886年1965年(明治19年昭和40年) 57
松旭斎 天勝 1886年1944年(明治19年昭和19年) 57
柳 宗悦 1889年1961年(明治22年昭和36年) 54
古今亭 志ん生 1890年1973年(明治23年昭和48年) 53
山川 菊栄 1890年1980年(明治23年昭和55年) 53
近衛 文麿 1891年1945年(明治24年昭和20年) 52
河合 栄治郎 1891年1944年(明治24年昭和19年) 52
西条 八十 1892年1970年(明治25年昭和45年) 51
早川 徳次 1893年1980年(明治26年昭和55年) 50
加藤 シヅエ 1897年2001年(明治30年平成13年) 46
淺沼 稲次郎 1898年1960年(明治31年昭和35年) 45
土方 与志 1898年1959年(明治31年昭和34年) 45
溝口 健二 1898年1956年(明治31年昭和31年) 45
近衛 秀麿 1898年1973年(明治31年昭和48年) 45
吉野 源三郎 1899年1981年(明治32年昭和56年) 44
田河 水泡 1899年1989年(明治32年平成元年) 44
阪東 妻三郎 1901年1953年(明治34年昭和28年) 42
小林 秀雄 1902年1983年(明治35年昭和58年) 41
近藤 真柄 1903年1983年(明治36年昭和58年) 40
古川 縁波 1903年1961年(明治36年昭和36年) 40
美濃部 亮吉 1904年1984年(明治37年昭和59年) 39
堀 辰雄 1904年1953年(明治37年昭和28年) 39
榎本 健一 1904年1970年(明治37年昭和45年) 39
朝永 振一郎 1906年1979年(明治39年昭和54年) 37
湯川 秀樹 1907年1981年(明治40年昭和56年) 36
大岡 昇平 1909年1988年(明治42年昭和63年) 34
黒澤 明 1910年1998年(明治43年平成10年) 33才
三島 由紀夫 1925年1970年(大正14年昭和45年) 18

1943年

(昭和18年 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/11 19:14 UTC 版)

1943年(1943 ねん)は、西暦グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年昭和18年。


注釈

  1. ^ 文庫化時に『凶鳥〈フッケバイン〉 ヒトラー最終指令』に改題。

出典

  1. ^ 世界的指揮者、マリス・ヤンソンスさんが死去 76歳:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2020年12月23日閲覧。
  2. ^ 『悪魔のいけにえ』のトビー・フーパー監督死去、74歳”. AFPBB News (2017年8月28日). 2020年12月16日閲覧。
  3. ^ “倉木麻衣父“倉木パパ”こと山前五十洋さん逝く「麻衣に会いたい」の言葉残し”. asagei biz (株式会社徳間書店). (2020年4月7日). https://asagei.biz/excerpt/14659 2020年10月28日閲覧。 
  4. ^ "歌手の梓みちよさん死去 76歳「こんにちは赤ちゃん」「二人でお酒を」". Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 3 February 2020. 2020年11月20日閲覧
  5. ^ ブラックホール撮影「ありがとう」 翌日逝った天文学者”. 朝日新聞デジタル (2019年5月31日). 2020年10月31日閲覧。
  6. ^ 林隆三さん急死 先月28日、熱唱ライブ直後に突然倒れる”. スポニチ Sponichi Annex 芸能 (2014年6月10日). 2020年10月30日閲覧。
  7. ^ サム・シェパードが死去。ライター、カウボーイ、真の意味での愛国主義者”. Yahoo!ニュース (2017年8月1日). 2020年11月13日閲覧。
  8. ^ ロバート・ウェストール『ブラッカムの爆撃機』岩波書店、2006年、28,30,34-40,59,74-103,108,124-127頁。ISBN 978-4-00-024632-3 
  9. ^ 小澤さとる『サブマリン707 3』ビーグリー、2016年、115-130,133,143,176,177,255頁。 
  10. ^ 佐藤大輔『凶鳥〈フッケバイン〉 ヒトラー最終指令』角川書店、2003年、10,274,275,322,346頁。ISBN 978-4-04-373201-2 
  11. ^ 『ロケットの夏』オープニングの年表より。
  12. ^ foca『STARDUST SQUADRON 星空に一番近い場所1』エンターブレイン、2010年、86-88,243頁。ISBN 978-4-04-726777-0 
  13. ^ foca『STARDUST SQUADRON 星空に一番近い場所2』エンターブレイン、2010年、212-218,231頁。ISBN 978-4-04-726823-4 



昭和18年(1943年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/01/09 09:09 UTC 版)

第五航空隊」の記事における「昭和18年(1943年)」の解説

1月24日水戦アムチトカ島コンスタンティン湾を偵察翌日より3日連続水戦2機でコンスタンティン爆撃2月1日君川丸水戦6・偵2搬入翌日全力コンスタンティン爆撃2月14日君川丸搬入を図るが、キスカ島空襲のため沖合射出偵5機のうち1機落伍零式水上観測機2機ともキスカ島到達失敗2月19日コンスタンティン偵察向かった水戦2機喪失3月10日君川丸水戦6・偵3がアッツ島到着4月相次ぐ空襲により、アッツ島稼動機は1機、キスカ島稼動機は0となる。 5月12日アッツ島地上戦開始29日玉砕四五二空38名も玉砕)。 5月18日第十二航空艦隊新編隷下第二十七航空戦隊に転籍5月27日キスカ島撤収開始搭乗員伊号第七潜水艦伊号第二十一潜水艦幌筵島後送6月幌筵島撤収完了別飛沼に基地設営水戦12偵8・観8) 7月19日占守島敵機来襲水戦追撃した会敵せず。 10月1日水戦解散上旬のうちに内地帰還11月館山飛行場帰還再編練成開始以後内地近海対潜哨戒船団護衛従事1945年1月1日解隊館山撤退後は、日本近海偵察部隊として平常任務こなした要員南方戦線引き抜かれ部隊錬度は下がる一方であったフィリピン陥落後に海軍航空隊大規模な編成変更実施され戦力外となった四五二空解散して実施部隊補充充てられた。

※この「昭和18年(1943年)」の解説は、「第五航空隊」の解説の一部です。
「昭和18年(1943年)」を含む「第五航空隊」の記事については、「第五航空隊」の概要を参照ください。


昭和18年(1943年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/06/17 05:33 UTC 版)

第九三八海軍航空隊」の記事における「昭和18年(1943年)」の解説

4月15日 特設水上機母艦国川丸運送船に転籍艦載機零式水上観測機16機) はショートランド残留し、九三八空を新編6月30日 レンドバ島アメリカ軍上陸第六空襲部隊九五八空などと結成7月1日 レンドバ島偵察以後9月まで偵察・銃爆撃従事9月20日 コロンバンガラ島守備隊撤退協力防空哨戒魚雷艇掃討従事11月1日 ブカ島撤退ソロモン諸島哨戒継続10月27日 モノ岬へ連合軍上陸部隊発見翌日の「ろ号作戦発動貢献11月12日 第四次ブーゲンビル島沖航空戦索敵隊として参加これをもってろ号作戦終了)。

※この「昭和18年(1943年)」の解説は、「第九三八海軍航空隊」の解説の一部です。
「昭和18年(1943年)」を含む「第九三八海軍航空隊」の記事については、「第九三八海軍航空隊」の概要を参照ください。


昭和18年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/11/20 09:06 UTC 版)

第十四航空隊 (2代)」の記事における「昭和18年」の解説

9月1日 第十一航空艦隊第二十二航空戦隊に転属9月14日 マキンより1機でエスピリッツサント島空襲9月18日 マキン空襲機体全損10月21日 水上戦闘機隊を第九〇二海軍航空隊移譲11月14日 ギルバート諸島マーシャル諸島全土大空襲。イミエジ基地で3機喪失ウォッゼ環礁撤退12月7日 二十二航戦所属部隊マリアナ諸島撤退・6機に回復マーシャル防衛第二十四航空戦隊が継承遊波夫司令以下、司令部および基地要員多くはウォッゼに残留

※この「昭和18年」の解説は、「第十四航空隊 (2代)」の解説の一部です。
「昭和18年」を含む「第十四航空隊 (2代)」の記事については、「第十四航空隊 (2代)」の概要を参照ください。


昭和18年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 05:21 UTC 版)

涼月 (駆逐艦)」の記事における「昭和18年」の解説

竣工後、横須賀鎮守府部隊編入される1943年(昭和18年)1月6日涼月機関長林崎武雄少佐交代本艦佐世保から横須賀回航され、1月9日横須賀着。機銃増設工事を行う。秋月型2番照月沈没主計長高戸顕隆主計中尉も、第61駆逐隊附として涼月着任した秋月型2隻(涼月初月)は1月15日付で第三艦隊司令長官小沢治三郎中将海軍兵学校37期)に編入され第十戦隊司令官木村進少将40期)所属の第61駆逐隊前年10月7日編制駆逐隊司令則満宰次大佐海兵46期)に配属される。第61駆逐隊秋月型1番艦秋月同型2番照月の2隻で編成されていた。だが照月照月艦長折田常雄中佐)は前年12月12日に、ガダルカナル島輸送作戦従事中に米軍魚雷艇雷撃され沈没涼月初月編入ともない61駆逐隊から除籍されている。第61駆逐隊秋月型3隻(秋月涼月初月)で編制されることになった1月15日横須賀出発して呉に回航航海中の1月16日未明61駆(涼月初月)は潮岬沖で浮上していたアメリカ潜水艦ハダック (USS Haddock, SS-231) を発見する逃げられた。同時期の1月19日ソロモン諸島行動中の秋月第十戦隊旗艦)は米潜水艦ノーチラス(USS Nautilus, SF-9/SS-168)の雷撃大破秋月被雷時に木村司令官負傷したため、1月21日附で第二水雷戦隊司令官小柳冨次少将第十戦隊司令官任命された。ひきつづき内地にあった涼月は、2月1日から15日まで呉海軍工廠において機銃増備などの工事を受ける。この間2月3日、第61駆逐隊司令は則満大佐から大江覧治大佐海兵47期、前職19駆逐隊司令)に交代した2月19日、第61駆逐隊涼月初月)は日本近海進出ガダルカナル島攻防戦終えてトラック泊地から佐世保回航中の日本艦隊第三戦隊司令官栗田健男中将金剛型戦艦金剛榛名〉、水上機母艦日進〉、利根型重巡洋艦利根〉、白露型駆逐艦時雨〉)を出迎えた3月上旬涼月乗組の高戸主計中尉横須賀鎮守府附となり、本艦離れた3月22日駆逐艦4隻(第61駆逐隊涼月初月〉、第15駆逐隊陽炎〉、第27駆逐隊夕暮〉)は、第二航空戦隊司令官角田覚治中将海兵39期)の空母2隻(隼鷹飛鷹)、第八戦隊司令官岸福治少将)の重巡洋艦2隻(利根筑摩)を護衛して瀬戸内海出撃し、3月27-28日にトラック諸島到着この頃日本海軍ソロモン諸島ニューギニア方面への航空攻勢作戦である「い号作戦」の計画進めていた。同作実施際しパイロットはもちろんのこと、整備員など航空要員ラバウルニューブリテン島)に輸送する必要があった。4月2日、2隻(涼月初月)はラバウルへの航空要員輸送のためトラック出撃4月3日にはカビエンニューアイルランド島)で重巡洋艦青葉空襲を受け大破するなど、同方面空襲晒されていた。4月4日ラバウル到着後、直ちに出港4月6日トラック帰投した。4月中旬から5月中旬にかけては、トラック出入りする艦船への護衛任務につく。 5月12日連合軍アリューシャン列島アッツ島上陸敢行アッツ島の戦い始まった連合艦隊主戦力を東京湾集結し北方作戦備えることを決定。前連合艦隊長官山本五十六大将元帥海兵32期)の遺骨4月18日海軍甲事件戦死内地帰還兼ねて大和型戦艦2番武蔵古賀峯一連合艦隊長官座乗)がトラック泊地より内地帰ることになる。5月17日駆逐艦5隻(第61駆逐隊涼月初月〉、第24駆逐隊海風〉、第27駆逐隊時雨有明〉)は戦艦3隻(武蔵金剛榛名)、空母飛鷹重巡2隻(利根筑摩)を護衛してトラック泊地出発5月22日横須賀帰着武蔵のみ木更津冲入泊)。5月29日アッツ島日本軍守備隊玉砕6月上旬本艦西日本移動し6月19日から5日間、呉で入渠した。 6月21日第十戦隊司令官小柳少将から大杉守一少将交代6月30日内地回航中に船体断裂見舞われ秋月長期修理余儀なくされて第61駆逐隊から除籍7月5日長崎到着)、同隊は秋月型2隻(涼月初月となった7月8-9日、南海第四守備隊守備隊長道下義行陸軍大佐)を各艦に便乗させ、空母4隻(瑞鶴翔鶴瑞鳳冲鷹)、水上機母艦日進重巡洋艦3隻(利根筑摩最上)、軽巡洋艦2隻(大淀阿賀野)、駆逐艦部隊(第4駆逐隊〈嵐、萩風〉、第17駆逐隊磯風〉、第61駆逐隊涼月初月〉、夕雲型駆逐艦玉波〉)は日本本土出発した暗号解読僚艦からの通報により、2隻の米潜水艦ティノサ(USS Tinosa, SS-283)とポーギー (USS Pogy, SS-266)がトラック諸島近海小沢機動部隊待ち伏せていた。ティノサは距離3500mで魚雷4本を発射する回避され小沢艦隊被害なくトラック泊地到着したトラック着後、第61駆逐隊機動部隊第一部隊指揮下に入る。7月17日大本営南海第四守備隊南東方面転用第17軍戦闘序列編入)を発令する7月19日、第61駆逐隊涼月初月)は第八戦隊利根筑摩)、第十戦隊旗艦阿賀野巡洋艦2隻(最上大淀)、第4駆逐隊(嵐、萩風)、第17駆逐隊磯風と共にトラック出撃ラバウル到着後、第十戦隊二手わかれてブイン輸送ブカ島輸送実施する7月21日夜、第十戦隊ラバウル出撃。第61駆逐隊涼月初月)は南海第四守備隊載せ7月22日ブカ島到着する輸送任務成功させ(南海第四守備隊ブーゲンビル島進出)、26日トラック泊地戻った。なおブーゲンビル島ブイン向かった日進隊(日進萩風第十戦隊旗艦〕、嵐、磯風)はアメリカ軍機の空襲を受け、日進撃沈された。 その後、第61駆逐隊涼月初月)は7月時下旬から9月上旬にかけてトラックラバウルクェゼリン環礁との間で輸送任務従事しつつ、タンカー練習巡洋艦鹿島などの護衛行った8月15日、第61駆逐隊秋月型駆逐艦6番艦若月編入され、同隊は秋月型3隻編制涼月初月若月となった若月第二水雷戦隊第十戦隊僚艦と共に主力艦部隊大和長門扶桑愛宕高雄)等を護衛して8月23日トラック泊地到着した秋月型3隻を揃えた61駆逐隊は、9月10月機動部隊第二水雷戦隊第十戦隊を含む)に随伴してマーシャル諸島方面出撃したが、会敵機会がなかった。10月31日修理終えた秋月が第61駆逐隊復帰、同隊はようやく秋月型4隻(涼月初月若月秋月編制となった11月10日ラバウルからトラック向かっていた輸送船団アメリカ潜水艦スキャンプ (USS Scamp, SS-277) に襲撃される輸送船東京丸摂津商船、6,484トン)が被雷救援のため、61駆(涼月初月)はトラック出撃した。現場到着して東京丸援護あたったものの、同船浸水がひどくなって11月12日沈没した東京丸沈没先立つ同じ11月12日の朝、スキャンプラバウル空襲損傷を受けトラックに戻る途中軽巡洋艦阿賀野第十戦隊旗艦)に魚雷命中させ、同艦を航行不能に陥らせた(随伴浦風)。東京丸援護終えて間もなく涼月阿賀野浦風救援駆けつけ軽巡2隻(能代長良)、駆逐艦部隊涼月初月浦風藤波早波)という戦力阿賀野トラックまで護衛した11月15日、各艦に護衛され阿賀野長良曳航)はトラック泊地到着した12月1日秋月61駆)がトラック泊地到着する12月3日阿賀野損傷時に負傷した大杉司令官第十戦隊司令官退任木村進少将初代第十戦隊司令官)が再び第十戦隊司令官任命された。12月7日重永主計大佐重巡筑摩艦長指揮のもと、61駆(涼月初月)は大型艦2隻(瑞鶴筑摩)を護衛してトラック出港12月12日艦隊筑摩瑞鶴涼月初月)は呉に到着、第61駆逐隊は再び分散した

※この「昭和18年」の解説は、「涼月 (駆逐艦)」の解説の一部です。
「昭和18年」を含む「涼月 (駆逐艦)」の記事については、「涼月 (駆逐艦)」の概要を参照ください。


昭和18年(1943年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 13:38 UTC 版)

第二航空隊」の記事における「昭和18年(1943年)」の解説

1月2日 二〇四空共同ネルソン岬沖の輸送船団攻撃1月14日よりケ号作戦発動ニューギニア戦線小康2月1日 イサベル海戦15出撃。2機喪失3月28日 18機でニューギニアオロ湾の船団攻撃4月7日い号作戦発動。Y攻撃準備4月11日 Y攻撃22出撃4月14日 第二次Y攻撃出撃4月16日 第三次Y攻撃中止い号作戦終了6月16日 ルンガ沖航空戦 24機で対艦攻撃13喪失6月30日 レンドバ島上陸開始翌日まで8機で泊地爆撃。5機喪失7月2日 龍鳳飛行機ラバウル着。以後龍鳳艦爆隊と共同7月5日 ニュージョージア島上陸開始。7機で泊地爆撃7月 戦闘機隊は解散となり、純艦爆隊として再編成戦闘機および搭乗員201空204空編入8月1日 レンドバ島泊地16機で爆撃8月15日 ベララベラ島に敵上陸25機で爆撃9月4日 サラモア沖の船団を8機で爆撃10月15日 ブナ沖の船団15機で爆撃14喪失10月18日 第五〇一海軍航空隊ラバウル着。以後、五〇一空と共同10月25日 ラバウル敵機襲来。2機邀撃参加10月28日ろ号作戦発動11月1日第一航空戦隊飛行隊ラバウル到着11月8日 第二次ブーゲンビル島沖海戦。五〇一空と合同38出撃11月12日 一航戦撤退11月17日 第五五二海軍航空隊ラバウル着。以後、五五二空と共同12月15日 ニューブリテン島マーカス岬に敵上陸。7機で爆撃12月17日 陸軍舟艇機動部隊マーカス岬逆上陸を12機で支援爆撃12月21日 マーカス岬沖の船団爆撃31日まで断続的に実施

※この「昭和18年(1943年)」の解説は、「第二航空隊」の解説の一部です。
「昭和18年(1943年)」を含む「第二航空隊」の記事については、「第二航空隊」の概要を参照ください。


昭和18年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 01:16 UTC 版)

南西方面艦隊」の記事における「昭和18年」の解説

1943年(昭和18年)4月15日海軍戦時編制改定実施する。まず第21航空戦隊を南西方面艦隊からのぞき、第11航空艦隊編入した。また第二南遣艦隊司令部設置し岩村清一中将第二南遣艦隊司令長官任命された。高須中将南西方面艦隊長官専任となった9月20日日本海軍は第23航空戦隊と第28航空戦隊で第十三航空艦隊基地航空艦隊)を新編し、南西方面艦隊編入した。高須中将南西方面艦隊長官)が第13航空艦隊司令長官兼任した。また連合艦隊軍隊区分により、第13航空艦隊第3基地航空部隊編成した11月15日海上護衛戦を統轄する海上護衛総司令部司令長官及川古志郎大将)が新編されると、第一海上護衛隊南西方面艦隊からのぞかれて、海護総司令部麾下となった11月30日日本海軍第二南遣艦隊二分割し、東インドネシア第四南遣艦隊司令長官山縣正郷中将)を新設した。第二南遣艦隊担当は、蘭印地区かわった第四南遣艦隊南西方面艦隊編入され連合軍北上備えた。しかし連合軍直接フィリピン上陸第三南遣艦隊隊のみが迎撃する事態となった

※この「昭和18年」の解説は、「南西方面艦隊」の解説の一部です。
「昭和18年」を含む「南西方面艦隊」の記事については、「南西方面艦隊」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「昭和18年」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「昭和18年」の関連用語

昭和18年のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



昭和18年のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
江戸net江戸net
Copyright (C) 2023 財団法人まちみらい千代田 All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの1943年 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの第五航空隊 (改訂履歴)、第九三八海軍航空隊 (改訂履歴)、第十四航空隊 (2代) (改訂履歴)、涼月 (駆逐艦) (改訂履歴)、第二航空隊 (改訂履歴)、南西方面艦隊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2023 GRAS Group, Inc.RSS