太平洋戦争前半の行動とは? わかりやすく解説

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太平洋戦争前半の行動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 07:55 UTC 版)

旗風 (駆逐艦)」の記事における「太平洋戦争前半の行動」の解説

太平洋戦争開戦時第五水雷戦隊司令官は、引き続き原顕三郎少将(五水戦旗艦名取)。緒戦期の第五水雷戦隊比島攻略部隊所属し開戦劈頭フィリピンの戦いのうちのアパリ英語版攻略戦リンガエン湾上陸次いでマレー作戦シンゴラ上陸作戦支援参加した馬公および高雄整備の後、蘭印作戦参加詳細は「バタビア沖海戦」を参照 1942年昭和17年3月1日ジャワ島バンタム上陸作戦最中バタビア沖海戦発生当時、第5駆逐隊朝風春風旗風松風)のうち「松風」は第四航空戦隊司令官角田覚治少将空母龍驤護衛のため不在。3隻(朝風春風旗風)のみ第七戦隊第2小隊重巡三隈最上》、駆逐艦敷波》)、第五水雷戦隊第三水雷戦隊各艦(名取、第11駆逐隊初雪白雪吹雪》、第12駆逐隊叢雲白雲》)等と共に連合軍巡洋艦2隻(パースヒューストン)を協同撃沈した旗風直撃弾を受けるも、不発のため損害軽微。だが魚雷同士討ちにより陸軍輸送船団旗艦神洲丸《龍城丸》」(第16軍司令官今村均陸軍中将座乗)以下輸送船4隻と掃海艇1隻が大破もしくは沈没した1942年昭和17年3月10日第五水雷戦隊解隊(五水戦司令官原顕三郎少将第十六戦隊名取長良鬼怒司令官補職)。これに伴い第5駆逐隊第一南遣艦隊転属3月12日旗風シンガポール到着した4月10日附の戦時編制改定にともなう南西方面艦隊新設後も、第5駆逐隊第一南遣艦隊附属であった5月5日旗風は第5駆逐隊から除籍横須賀鎮守府警備駆逐艦となる。5月6日、「旗風」は給糧艦伊良湖護衛してシンガポール出発5月16日旗風横須賀到着したその後横須賀母港として船団護衛任務従事する9月中旬旗風連合艦隊作戦指揮下に入る。連合艦隊司令長官山本五十六大将および第四艦隊司令長官井上成美中将は、駆逐艦2隻(旗風横須賀鎮守府》、峯風佐世保鎮守府》)に大鷹型航空母艦2番雲鷹護衛トラック泊地進出命じた9月25日旗風雲鷹護衛して呉を出撃トラック島方面へと進出する10月1日トラック泊地到着本艦翌日より第二海上護衛隊軽巡夕張他が所属)の指揮下に入る。第二海上護衛隊各艦(夕張旗風峯風夕月追風朝凪夕凪、長運丸、浮島丸)等は各方面分散しトラックラバウルパラオ方面船団護衛任務従事した11月7日駆逐艦2隻(旗風横鎮》、峯風《佐鎮》)は連合艦隊司令長官作戦指揮解かれ所属鎮守府復帰することになった大海指第156号)。11月10日旗風駆逐艦長入戸野焉生少佐から小泉四郎少佐10月25日まで駆逐艦早苗艦長)とする人事発令される入戸野少佐駆逐艦初霜艦長駆逐艦秋雲艦長歴任し秋雲沈没時に戦死した11月24日旗風横須賀帰投第二海上護衛隊での任務終えた引き続き横須賀拠点として護衛任務従事する

※この「太平洋戦争前半の行動」の解説は、「旗風 (駆逐艦)」の解説の一部です。
「太平洋戦争前半の行動」を含む「旗風 (駆逐艦)」の記事については、「旗風 (駆逐艦)」の概要を参照ください。

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