太平洋戦争前後
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「名鉄3500系電車 (初代)」の記事における「太平洋戦争前後」の解説
モ3500形は、モ3501 - モ3505の5両については当初の計画通り西部線へ配属されたが、モ3506・モ3507の2両については東部線における使用認可を得て東部線へ配属され、いずれも前述の通り制御車代用として運用された。また、ク2500形は落成後間もなく3両全車ともモ3506・モ3507同様に東部線における使用認可を得て、ク2501(初代)は暫定的にHL制御の制御車に改造しク2503(初代)と車両番号(以下「車番」)を振り替え、いずれも東部線へ配属された。 このうち、西部線所属のモ3500形3501と東部線所属のク2500形2501(2代)の2両については、軍関係者の皇族が沿線の軍事関連施設を訪問する際に利用する専用車両(御乗用車両)として特別な整備が実施されていたと伝わる。 ク950形951 - 953は、前述の通り知多鉄道籍を経て名鉄籍へ編入された。名鉄への継承後はモ3300形などHL車各形式の制御車として、東部線にて運用された。
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太平洋戦争前後
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「名鉄3400系電車」の記事における「太平洋戦争前後」の解説
1937年(昭和12年)3月15日の汎太平洋平和博覧会開幕よりやや遅れて、3401編成・3402編成が同年3月20日に、3403編成が同年4月15日にそれぞれ営業運転を開始した。前述の通り、書類上の竣功日翌日の3月17日には3401編成を用いて公式試運転を実施、時速100 km/hを超える高速走行が行われ、翌3月18日付の名古屋新聞(現・中日新聞)は、当時の鉄道省(国鉄)を代表する特急列車「つばめ」を引き合いに、『時速百キロ、「燕」より速いぞ』の見出しで本系列の公式試運転を報じている。 導入後は、それまで主にモ3300形によって運用された特急および急行運用に充当され、東部線における主力形式として運用された。なお、本系列において採用された新機軸の一つである回生制動および定速制御機能は、当時の東部線の列車本数が少なかったため回生制動が有効に作用しなかったことに加えて、回生制動動作時における高い帰線電圧が変電所の水銀整流器に悪影響を及ぼす事態も生じた。さらに装置そのものも故障がちであったことから1941年(昭和16年)頃には使用停止措置が取られ、不要となったク2400形のパンタグラフは撤去された。 なお、1940年(昭和15年)11月12日に本系列は豊川鉄道および伊那電気鉄道(ともに現・JR飯田線)を経由して飯田駅まで入線、翌13日に飯田駅から折り返す形で試運転が実施された。これは神宮前 - 飯田間の直通列車運行計画に基くもので、11月14日付の信濃毎日新聞において具体的な運転時刻が報道され同年12月より運行を開始する予定とされていた。しかし、当時の世情は太平洋戦争(第二次世界大戦)の激化に伴う戦時体制へ移行しつつあり、「軍需輸送の必要のため」を理由に直通列車計画は中止された。 その後、戦時体制への移行により急増した輸送量に対応するため、一部の車両の車端部クロスシートをロングシート化し、収容力の増加を図った。また、戦中の資材不足を反映して、破損した側窓ガラスの補修に際しては一段窓構造のままながら窓枠に横桟を追加してガラスを2分割し、客用扉窓ガラスの補修に際してはT字型の桟を追加してガラスが3分割されるなど、外観にも変化が生じた。ただし、そのような混乱期においても大半のクロスシートは存置され、また本系列独自の車体塗装や保守面で難が指摘された下部スカートもそのままとされた。本系列は全車とも戦災による被災を免れたものの、終戦後間もなくモ3403がデッドアース(短絡)により車体を焼損、資材不足の折から復旧に1年以上を要した。 1948年(昭和23年)5月12日に西部線に属する主要路線の架線電圧を従来の直流600 Vから同1,500 Vに昇圧する工事が完成し、同年5月16日より金山橋(現・金山)を境とした運行系統分断を解消して東西直通運転が開始された。それに伴って、従来東部線でのみ運用された本系列も西部線区間へ入線するようになった。ただし、東西直通運転開始に伴って設定された新岐阜(現・名鉄岐阜) - 豊橋間の特急・急行列車は4両編成での運用を基本としたため、前述の通り2両編成以上の編成を組成することが不可能であった本系列の特急・急行運用への充当機会は日中時間帯に限定された。その他の時間帯は津島線など支線区における普通列車運用に充当された。 なお、同時期には標識灯を砲弾型から一般的な引っ掛け式のものに交換し、同時に前面向かって右側の腰板下部にも1灯増設した。また台車のSKF社製コロ軸受については補修部品不足から維持が困難となり、全車とも平軸受仕様に改造された。
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太平洋戦争前後
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反戦思想の持主であり日米混血であるため、第二次世界大戦中はスパイ扱いを受け、憲兵から取調べを受けたこともある。しかし敗戦後は一転して憲兵や特高関係者から食糧や家具の貢物を受け、「先生のお口ききで、米軍の手から、われわれを守っていただきたい」と懇願された。 空襲で焼け出され、神父の厚意によって三河島のドン・ボスコ教会の2階に仮寓していたが、モーパッサンやアナトール・フランス、フローベール、ゾラといった反カトリック作家の作品を翻訳刊行していたことが判明したために同教会から追い立てを受け、1947年6月から千葉県松戸市上本郷に住む。松戸の自宅(青宋居)には自画イラストの石碑がある。 1951年、ジョン・クリーランドの古典的好色小説『ファニー・ヒル』の翻訳を、松戸淳名義でむらさき書房から刊行する。この本は増刷を重ねたが、猥褻文書として取締りを受け、出版主と共に起訴されて10万円の罰金刑を受けた。
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太平洋戦争前後
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名古屋鉄道発足当時の沿線案内掲載された850系の車体には「854」と印されているが、制御車ク2352を制御電動車モ854に改造する計画は未成に終わっている。 導入後はモ800形(初代、デボ800形より改称)と併用される形で名岐線(現・名古屋本線の一部)の特急・急行運用を中心に運用された。なお、本系列はモ800形同様に運用が押切町発着列車に限定され、押切町 - 柳橋間の名古屋市電との併用区間には入線しなかった。 その後、名鉄は西部線の輸送力増強および電動車不足の解消を目的として、本系列の制御車ク2350形2351・2352を制御電動車へ改造しモ850形853・854と改番編入する旨、1940年(昭和15年)8月に管轄省庁へ認可申請を行った。しかし、実際には電装品の入荷遅れから改造に着手することができず、電装品が入荷した1942年(昭和17年)には計画が変更され、ク2350形ではなく本系列と同時期に落成したモ800形(初代)の制御車ク2300形(初代)を制御電動車へ改造する方針が決定した。新たに申請された書類においては「ク2350形の車体は一端が流線形であるがゆえに他車との連結運用に制約が生じるため運用上甚だしく不便」とその理由を挙げ、「そのような制約を受けない運用上便利な他の制御車」としてク2300形(初代)を電動車化改造すると説明している。以上の経緯によって、ク2300形(初代)2301・2302が制御電動車モ830形831・832へ改造され、ク2350形の制御電動車化改造は中止された。 上記電動車化計画と前後して、輸送力増強に伴う長編成運転を目的に、1941年(昭和16年)7月12日付設計変更認可にてモ850形・ク2350形全車の常用制動装置を従来のJ三動弁を用いる制御管式自動空気ブレーキから、ウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 社の原設計に基く三菱電機製のM三動弁を用いた元空気溜管式自動空気ブレーキに改造した。モ850形に採用された制動装置はAMM、ク2350形に採用された制動装置はACMとそれぞれ呼称された。 また同時期には太平洋戦争激化による戦時体制への移行に伴って輸送量が増加したことから、混雑緩和のため全車とも固定クロスシートを撤去して車内座席をオールロングシート仕様に改造した。これにより1両あたりの定員に変化が生じたが、諸元上の車両定員は114人で変化はなく、座席定員のみ52人に減少した。その他、車体塗装をマルーンからダークグリーンへ改めたほか、ク2350形に搭載されたパンタグラフが撤去された。当初はパンタグラフ本体を撤去したのみであったが、後年パンタグラフ台座・配線を含めて完全撤去された。
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太平洋戦争前後
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「福武電気鉄道デハ20形電車」の記事における「太平洋戦争前後」の解説
導入後は福井新 - 福井駅前間の区間運転専用車両として運用された。開通当初の軌道線は武生新方面からの直通列車は設定されず、福井新にて軌道線への乗り換え連絡輸送が行われた。間もなく軌道線区間は福井新 - 福井駅前間の折り返し運転に加えて武生新方面からの列車の直通運転も開始され、連絡輸送は解消した。 太平洋戦争の激化に伴う戦時体制への移行により、陸上交通事業調整法を背景とした地域交通統合の時流に沿う形で、福武電気鉄道は南越鉄道・鯖浦電気鉄道の2社を相次いで吸収合併し、福井鉄道と社名を変更した。合併に際して福井鉄道は被合併事業者各社の保有する鉄道車両を継承したが、一部の車両形式にて記号番号の重複が生じたことから、終戦後の1947年(昭和22年)8月15日付で全車両を対象とした形式称号改訂(大改番)が実施された。この大改番に際して本形式はモハ60形と形式称号を改め、記号番号は旧番順にモハ61 - モハ64と変更された。 1948年(昭和23年)6月に発生した福井地震において、モハ61が福井駅前にて被災し車体を全焼した。モハ61は同時に被災したモハ10形11とともに修繕のため大阪・広瀬車両へ送られ、同年12月に焼損した車体を修復する形で復旧された。修復に際しては外板の張替えが施工されて構体が全溶接のノーリベット構造となったほか、側窓構造が原形の一段落とし窓から二段上昇窓に変更され、また屋根上の通風器がガーランド形ベンチレーターに交換された。 その他、後年全車を対象に前照灯の屋根上への移設・後部標識灯の増設など小改造が実施された。
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太平洋戦争前後
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「名鉄モ3350形電車 (初代)」の記事における「太平洋戦争前後」の解説
本系列のうち、制御車ク2050形は制御電動車モ3350形(初代)・モ3650形に先立って1940年(昭和15年)12月に落成した。この時点では編成相手となる間接自動加速制御(AL制御)仕様の電動車が、固定編成を組成した3400系を除いて東部線に存在しなかったことから、ク2050形は暫定的に間接非自動制御(HL制御)用の主幹制御器を搭載して落成し、モ3200形およびモ3300形などのHL制御車と編成して運用された。 翌1941年(昭和16年)6月にはモ3350形(初代)・モ3650形が落成、ク2050形も主幹制御器を本来の仕様に復して両形式とともに運用された。ただし、竣功届はク2050形を含め全車とも1941年(昭和16年)6月23日付で提出されている。 なお、前述した本系列を使用した豊川鉄道・三信鉄道への直通運転構想は、本系列の竣功に先立つ1940年(昭和15年)11月に3400系を用いて試運転が行われ、車両限界などに支障がないことが確認されていた。当時の地元紙においては翌1941年(昭和16年)12月より直通運転が開始される旨が報じられ、具体的な運行ダイヤも決定していたとされる。しかし、当時の世情は太平洋戦争激化に伴う戦時体制へ移行しつつあり、「軍需輸送の必要のため」を理由に直通列車計画は中止された。 その後、戦時体制下における輸送量増加を受けて、全車とも混雑緩和のため客用扉間に設置された座席のうち半数を撤去して立席面積を拡大する改造が実施された。この撤去跡には戦後ロングシートが設置され、転換クロスシート部分は客用扉間の左右計8脚のみに縮小された。 戦後の1952年(昭和27年)9月に実施された形式称号改訂において、モ3350形3351 - 3354(形式・車番とも初代)は旧愛電デハ3600形の後身であるモ3600形3601 - 3604(形式・車番とも初代)と形式・記号番号を交換する形でモ3600形3601 - 3604(形式・車番とも2代)となった。また同時にク2050形2051 - 2054についてもク2600形2601 - 2604と形式・記号番号が変更された。モ3650形3651・3652については形式・記号番号の変更は実施されず、以降本系列に属する10両は廃車までこの形式・記号番号が付与された。
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