だい‐ざ【台座】
台座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/11 05:44 UTC 版)
台座(だいざ)とは、第1義には、物を据え置く台である[2]。
- ^ “木造弥勒如来坐像”. 公式ウェブサイト. 興福寺. 2019年8月8日閲覧。
- ^ a b c d “台座”. コトバンク. 2019年8月8日閲覧。
- ^ “仏座”. コトバンク. 2019年8月8日閲覧。
- ^ “荘厳”. コトバンク. 2019年8月8日閲覧。
- ^ “荘厳具”. コトバンク. 2019年8月8日閲覧。
- ^ 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』、ほか. “蓮華座”. コトバンク. 2019年8月8日閲覧。
- ^ “蓮座”. コトバンク. 2019年8月8日閲覧。
- ^ 小学館『デジタル大辞泉』、小学館『精選版 日本国語大辞典』. “台座後光を仕舞う”. コトバンク. 2019年8月8日閲覧。
- ^ “台座の別れ”. コトバンク. 2019年8月8日閲覧。
- ^ “笠の台の生き別れ”. コトバンク. 2019年8月8日閲覧。
- ^ “笠の台”. コトバンク. 2019年8月8日閲覧。
台座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 08:07 UTC 版)
金沢城の庭師であった太田小兵衛が台座の石積みをした。石は、金沢城内の玉泉院丸の露地石を使った。別に旧藩老・奥村邸の石も使ったとの説がある。台座は自然石を用いており、平成の修理の際に、福浦石など130個が確認された。高さは6メートルである。 台座前面の鏡石には、有栖川宮熾仁親王の揮毫による「明治紀念之標」の題字が彫られている。熾仁親王は西南戦争で政府側の総督を務めた。周囲には柵がめぐらされ、柵内には、「石川縣戦死士盡忠碑」など14の石碑が建てられている。 明治紀念之標の像と台座は、1991年(平成3年)から1992年(平成4年)にかけて大規模な修理が行われ,像と台座が共に解体・補修された。
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台座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 05:06 UTC 版)
大仏の台座には奈良時代当初の部分が比較的多く残っている。台座は大小各14枚の蓮弁からなり、表面には釈迦如来像を中心に、蓮華蔵世界を表した図様が線刻され、奈良時代仏画の遺品としても貴重である。蓮弁の図像については、『華厳経』に基づくとする説、『梵網経』に基づくとする説、『華厳経』・『梵網経』の両方の要素を取り入れているとする説がある。 平安時代後期に東大寺を訪れた大江親通は、『七大寺巡礼私記』(保延6年・1140年頃成立)の中で、大仏の台座は天平勝宝4年(752年)から同8年(756年)にかけて造られたものだと書き残している。これが正しいとすれば、大仏は像本体が初めにでき、台座は後から鋳造されたことになる。最初にこれを取り上げたのは足立康で、彼は昭和9年(1934年)、台座後鋳説を主張した。以後、技法面から考えて台座が先に鋳造されたはずだとする説(香取秀真など)と、台座後鋳説が対立しており、台座内部の本格的な調査が行われていないこともあって、結論は出ていない。
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台座(胴下部)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:10 UTC 版)
台輪から直接、胴が構成されている形式を「平屋台造り」と言う。比較的古い神輿に多い。 神社のように回廊・勾欄・階で胴の周りを装飾した形式を「勾欄造り」と言い、最近の江戸神輿などに多い。
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台座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 02:00 UTC 版)
「法隆寺金堂釈迦三尊像」の記事における「台座」の解説
本三尊像の木造台座は台脚部の上に箱形を2段に積み上げた形のものである。下段の箱形(下座)に比し、上段の箱形(上座)は一回り小さくなっている。下座の上下にそれぞれ請花(うけばな)と反花(かえりばな、いずれも蓮弁形の装飾)、上座の下に反花がある。材質は請花と反花がクスノキ材、他の部分がヒノキ材である。このように彫刻を施す部分にはクスノキ材を用いるのが飛鳥時代の特色である。上座・下座の四面にはそれぞれ彩色の絵画がある。これらの絵画は現状では剥落が激しく、肉眼では図様を確認することはほとんど不可能であるが、山岳、樹木、飛天、四天王などが描かれ、全体としては須弥山世界を表すものと考えられている。 下座正面は山岳と2体の飛天が描かれ、背面は山岳とともに2人の人物が描かれている。側面は左右とも2体ずつの天部像を描き、四天王を表したものと思われる。上座は4面とも山岳を描き、正面には下座と同様、2体の飛天を描く。修理時に内部から墨書や墨画が発見されている。上座内面には12字の墨書と鳥と魚の墨画がある。墨書は「相見丂陵面楽識心陵了時者」と読まれ、墨画は雁と撞木鮫である。村田靖子は、墨書は墓(陵)に埋葬された死者に関する内容と思われること、中国では鳥は天上、魚は地下を表す例があることから、これらの墨書と墨画は飛鳥時代人の他界観を表したものとする。東野治之はこの墨書を再検討し、「相見可陵面未識心陵了可」と読めるとした。そのうえで、「可陵」は「迦陵頻伽」(極楽浄土に住むとされる、人面鳥身の想像上の生き物)を意味し、この墨書は美しい女性を迦陵頻伽に例えて、「女性の心がわからない」の意であるとする。下座の下框上段の補足材には数か所に墨書があり、そのなかに「辛巳年八月九月〔原文ママ〕作」の文字がある。この辛巳年は621年、すなわち聖徳太子死去の前年である可能性が高い。また、この下框は建築物の扉の材を仏像の台座に転用したものとみられ、法隆寺東院伽藍の地にもと存在した斑鳩宮の建物の一部かとの想定もなされている。このほか、台脚部の天板の上面には天王像墨画がある。
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台座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/06 00:33 UTC 版)
台座はトラファルガー広場の四隅に置かれている。南の台座はヘンリー・ハブロックとチャールズ・ジェームス・ネピアの像を戴いている。北の台座は騎馬像を載せられるように設計されているため南のものよりも大きい。北東の台座にはジョージ4世の騎馬像が置かれている。四番目の北西の台座は、チャールズ・バリーがデザインし、1841年に制作されたが、その上に設置するはずであった騎馬像は資金不足によって企画が流れ、そのまま空きになっていた。
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台座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 07:45 UTC 版)
通常の騎馬像と違い、本体だけでなく台座も特徴的な形をした芸術品である。台座に使われたのは「雷の石」と呼ばれた巨大な花崗岩で、フィンランド湾から6キロメートル内陸に入った地点で発見され、2年もの年月をかけ大変な苦労をしてこの場所へ移してからカットされた。台座の重量は1600トンと言われる。
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「台座」の例文・使い方・用例・文例
- 台座に心棒を立てて、各パーツをずらしながら重ねていきます。
- 像を台座に据える.
- 土台と繰形の間の台座の区画
- 台座から垂直に持ち上がっているキノコ型のバルブ
- 壁を支える平たい台座
- 普通台座や脚のついた大きな花瓶
- 何かを最も効果的に陳列することができるような台座
- 天台座主の印と宝蔵の鍵
- 仏像の台座の下に敷く蓮
- 仏像を安置する台座
- 台座が菊花の形をした灯明台
- 朽ちた木の根で岩形に作った,仏像の台座
- 九品浄土という,九つの階級のある極楽浄土にあるという,蓮の台座
- 仏像の台座
- 天台座主という役職
- 天台座主という役職の人
- 仏像を置く台座
- 裳懸け座という,仏像の台座
- ハスの花を型取った仏の台座
- レンズ交換式カメラのレンズをはめ込む台座
台座と同じ種類の言葉
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