釈迦三尊像とは? わかりやすく解説

釈迦三尊

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/05 14:56 UTC 版)

釈迦三尊(しゃかさんぞん)は、仏教における仏像安置の形式のひとつである。飛鳥文化を代表する彫刻で、法隆寺にある本尊、聖徳太子死後の623年に妃や皇子達が鞍作止利に作らさせた。


  1. ^ 真鍋俊照編『日本仏像事典』(吉川弘文館、2004)、p.119


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釈迦三尊像

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法隆寺の仏像」の記事における「釈迦三尊像」の解説

詳細は「法隆寺金堂釈迦三尊像」を参照 国宝指定名称は「釈迦如来及び両脇侍像」。金堂中の間本尊であり、内陣中央部木造二重の箱形台座(その形状から宣字形台座称するの上に、中尊釈迦如来坐像両脇菩薩立像安置される三尊全体背後大型舟形光背があり、これとは別に両脇侍はそれぞれ宝珠形の光背を負う。鍍金像高中尊が87.5センチ、左脇侍向かって右)が92.3センチ、右脇侍向かって左)が93.9センチ。 本三尊像の作者は、光背によれば司馬鞍首止利仏師、すなわち鞍作止利)である。止利の生没年不明だが、祖父司馬達等読みは「しばだっと」「しめだちと」など)は『日本書紀』によれば継体天皇時代渡日した漢人あやひと渡来人)とされ、その出自中国南朝とも朝鮮半島百済ともいう。いずれにしても、止利は渡来人の子ということになる。『書紀』に見える止利の最初事績は、飛鳥寺繍(造と刺繍)の丈六仏像の造仏工に任じられたことである。 舟形光背の裏面には造像由来について記した銘文がある。銘文1414行で、四六駢儷体格調高いのである銘文大意以下のとおりである。 西暦621年にあたる年の12月聖徳太子の生母穴穂部間人皇女死去翌年622年正月22日には太子も病に臥し、膳妃も看病疲れ並んで床に着いた。これを憂い王后王子等と諸臣とは、太子等身大釈迦像を造ることを発願太子の病が治り長生きすることを望み、もしこれが運命であって太子この世での寿命尽きるのであれば極楽浄土往生されることを望んだ。しかし、2月21日に膳妃が、翌日太子相次いで亡くなった所願のとおり623年3月釈迦像、脇侍像と荘厳具光背台座)を造り終えた作者司馬鞍首止利仏師である。 この銘文については、「法興」という私年号使用や、「法皇」「仏師」という語が推古朝にあったとは考えられない等の観点から、疑わしいとする説もある。福山敏男1935年論文で、釈迦三尊と東の間の薬師如来光背はいずれ疑わしく推古朝の作ではないとした福山推古朝には「天皇」の語はなく、したがって法皇」という用語もなかったとするが、これについては、栗原朋信(1965年論文)が推古朝天皇号がなかったとは証明できないとして批判した藪田嘉一郎は、「仏師」の語が使用されるのは天平以後であることから(「仏師」の初見天平6年734年正倉院文書)、釈迦三尊光背銘は疑わしいとし、笠井昌昭同様の説を述べている。これについて大橋一章は、そもそも正倉院文書以前文字資料乏しいので、推古朝に「仏師」の語がなかったとは証明できず、むしろ釈迦三尊光背銘が「仏師」の初見であろうとして反論した

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釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)

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高月院」の記事における「釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)」の解説

1922年大正11年)製作、紙本墨画作者は香岳。

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