曹洞宗とは? わかりやすく解説

そうとう‐しゅう〔サウトウ‐〕【曹洞宗】

読み方:そうとうしゅう

禅宗一派鎌倉時代道元入宋して伝えた福井県永平寺神奈川県総持寺とを大本山とする。名は、中国大成した洞山良价弟子の曹山本寂によるといい、また禅宗六祖慧能(えのう)が説法した曹渓と洞山良价活躍した洞山によるともいう。


曹洞宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/14 14:40 UTC 版)

曹洞宗(そうとうしゅう)は、中国禅宗五家(曹洞、臨済潙仰雲門法眼)の1つで、中国禅宗の祖である達磨(5世紀後半 - 6世紀前半)から数えて6代目の南宗禅の祖・曹渓宝林寺の慧能(638年 - 713年)の弟子の1人である青原行思(? - 740年)から、石頭希遷(700年 - 790年、石頭宗)、薬山惟儼(745年 - 828年)、雲巌曇晟(782年 - 841年)と4代下った洞山良价(807年 - 869年)によって創宗された。


注釈

  1. ^ ただし、『洞山語録』によれば「洞山の玄風(=老子の教え。道教)が広まる世に、諸方の宗匠を尊ぶ曹(仲間・同門)どおしをさして洞曹宗という」と意釈もされている。原文の和訳は「洞上の玄風、天下にしく、故に諸方の宗匠、ともにこれを推尊して洞曹宗という」。

出典

  1. ^ a b Bodiford, William M. (2006). “Remembering Dōgen: Eiheiji and Dōgen Hagiography”. Society for Japanese Studies 32 (1): 1–21. doi:10.1353/jjs.2006.0003. ISSN 1549-4721. http://www.thezensite.com/ZenEssays/DogenStudies/Remembering_Dogen.html . 
  2. ^ a b 増永霊鳳「曹洞宗」『世界大百科事典』第13巻、平凡社、722頁、1969年(原著1968年)。 
  3. ^ a b 佐藤秀孝、「自得慧暉とその禅風」『駒沢大学大学院仏教学研究会年報』 1980年 14巻 p.94, NCID AN00093698, 駒澤大学大学院仏教学研究会
  4. ^ 『今日から役立つ仏教』95頁正木晃執筆
  5. ^ 村上専精 『日本佛教史綱』(下巻) 創元社、1939年
  6. ^ [1][リンク切れ]
  7. ^ 会社概要 東京グランドホテル
  8. ^ a b 機構 - 曹洞宗「曹洞禅ネット」公式ページ
  9. ^ 深瀬俊路, 「明治期曹洞宗における宗教運動」『印度學佛教學研究』 1990-1991年 39巻 2号 p.770-773, 日本印度学仏教学会, doi:10.4259/ibk.39.770, NAID 110002661610
  10. ^ 曹洞宗に賠償請求 多々良学園破たんで共同通信2006年8月16日
  11. ^ “曹洞宗選挙で買収 一関の住職、「有権者」に最大10万円”. 河北新報. (2011年1月30日). オリジナルの2011年2月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110202155407/http://www.kahoku.co.jp/news/2011/01/20110130t33013.htm 2011年1月30日閲覧。 


「曹洞宗」の続きの解説一覧

曹洞宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 22:44 UTC 版)

「禅」の記事における「曹洞宗」の解説

詳細は「中国における曹洞宗」を参照 晩唐洞山良价を祖とする。良价、曹山本寂の系統は、五代十国荊南南唐に宗勢を張ったが、全体的に余り宗勢は振るわなかった。本寂門下の曹山慧雲居道膺門下同安道丕、疎山匡仁門下護国守澄、青林師虔門下石門献蘊らの活躍見られる程度である。 北宋代になっても、余り宗勢は振るわなかったが、投子義青が出て中興果たした。その宗風は、芙蓉、丹子淳に継承された。道は、徽宗皇帝からの紫衣師号下賜拒絶して淄州山東省)に流罪となり、災い転じて福となり、それが華北に曹洞宗が拡大する契機となった南宋代には、子淳の下から宏智正覚真歇清了出て、「黙照禅」と呼ばれる宗風維持したが、その宗勢は、臨済宗には遠く及ばなかった。なお、清了門下天童如浄が、入宋した道元の師である。正覚門下からは、『六牛図』を著した自得慧暉が出た。慧暉の系統が、その後の曹洞宗を支えることとなった河北教勢張った鹿門自覚系統からは、金代になって万松行秀出現し大い教化振るうこととなる。行秀は、林泉従倫や雪庭福裕耶律楚材らの多く優れた門弟子育て章宗尊崇受けた。福裕は、元朝において、道教全真教道士志常と論争して勝利を収め嵩山少林寺住して教勢張った以後少林寺は、華北における曹洞宗の本拠となり、明の後半には、「曹洞正宗」を名乗ることとなった。 元の高峰原妙は、その特色を、「細密」という言葉表現している。

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曹洞宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 22:44 UTC 版)

「禅」の記事における「曹洞宗」の解説

詳細は「曹洞宗#日本における曹洞宗」を参照 以下は曹洞宗の法系一例である。 釈迦-(中略)-大鑑慧能青原行思石頭希遷薬山惟儼-巌曇晟-洞山良价雲居道膺-同安道丕-同安観志-梁山縁観-大陽警玄-投子義青-芙蓉-丹子淳-真歇清了天童宗玨-竇智鑑-天童如浄永平道元孤雲懐奘徹通義介瑩山紹瑾-... 六祖曹渓慧能洞山良价から曹洞宗とした。日本では中国渡り印可得て1226年帰国した道元から始まる。帰国翌年には普勧坐禅儀著し只管打坐専らとする宗風鼓舞した。その修行内容は「永平清規」を厳しく守り一時的な見性満足してしまうことや坐禅の他に悟り求めることを良しとせず、只管坐禅勤めることに特色がある。 道元自分教えは「正伝仏法」であるとして党派性否定し禅宗呼ばれることも嫌った初期在家への布教にも熱心であったが、晩年出家第一主義立場取った(『正法眼蔵十二巻参照)。その後總持寺開山瑩山時代に、坐禅だけではなく徐々に儀式密教考え方取り入れられ一般民衆対し全国的急速な拡大をした。 曹洞宗の坐禅公案拠らず、ただ、ひたすら坐る只管打坐)ことが、そのまま本来の自己現じている(修証不二)としているが、公案そのもの否定しているわけではないまた、法系によっては公案用い流れ存在する

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曹洞宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 14:57 UTC 版)

国師」の記事における「曹洞宗」の解説

佛性東国師 - 道元(1200- 1253)曹洞宗の開祖承陽大師永平寺開山道光普照国師 - 孤雲懐奘(1198- 1280)曹洞宗の教義普及尽力永平寺2世。 弘徳圓明国師 - 瑩山紹瑾(1268- 1325)曹洞宗を日本全国広めた中興の祖總持寺開山

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曹洞宗

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戒名」の記事における「曹洞宗」の解説

戒名」または「安名」の名称を用いる。院号道号戒名、位号の順につけるが、院号ない場合もある。院号・位号は諡名であり没後に付けるのが通常である。単に△△□□(道号戒名)の4文字か□□(戒名)の2文字もしくはこれに位号の信士信女在家信者の意、禅を行じ信者として居士大姉付ける例もある)が付いたものが与えられる

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曹洞宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 07:29 UTC 版)

大師 (僧)」の記事における「曹洞宗」の解説

承陽大師道元★(1200-1253)日本曹洞宗高祖主著正法眼蔵』を著す。 常済大師瑩山(1268-1325)日本曹洞宗太祖。曹洞宗の一般民衆への布教図った

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曹洞宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:13 UTC 版)

鎌倉文化」の記事における「曹洞宗」の解説

いっぽう、宋より曹洞宗を伝えた道元は、土御門通親の子息 でありながら帰国後は世俗的な権勢拒否して都をはなれ、波多野義重招きに応じて越前国向かい永平寺坐禅中心のきびしい修行只管打坐)と弟子育成努めた国文記され主著正法眼蔵』は、その存在論時間論言語論現代において注目されている道元は、師の如浄教えにしたがって権勢より離れ世俗化した当時仏教については根本からこれ批判し仏陀本来の精神立ち帰ることを唱えた。その点では、道元思想もまた仏教純化指向するものであった坐禅修行そのもの悟りであるという修証一等唱えた曹洞禅は、北陸地方中心とする地方武士のあいだに広まっていった。 この時代遁世僧は、禅宗のみならず律宗時宗などもふくめ、一般に顕密諸宗官僧くらべて諸国間を移動することが多かった。特に禅宗場合各地に「旦過」と称する宿泊施設設けて僧の逗留資している。

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曹洞宗

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禅師」の記事における「曹洞宗」の解説

永平寺總持寺貫首は、代々慣習として禅師号朝廷から下賜されている。 妙応光国慧海慈済禅師 - 東陵永璵(1285-1365)南禅寺23世、円覚寺26世、建長寺32世。雲巌禅寺開山東陵派の祖。

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曹洞宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/16 03:49 UTC 版)

白山信仰」の記事における「曹洞宗」の解説

日本曹洞宗の道元禅師高祖承陽大師)が宋から帰国する前夜に、白山権現碧巌録写本助けたとの伝承がある。このことから曹洞宗大本山永平寺は、白山権現永平寺守護神鎮守神としており、毎年夏には永平寺僧侶白山参詣して奥宮の前で般若心経読誦する。 『洞谷記』には太祖瑩山禅師白山氏子記されている。 加賀禅定道新宮附近湧水は「大乘寺御仏供」と呼ばれ当時野々市にあった大乘寺境内井戸繋がっていると言われる2018年より湧水周囲及び湧水までの登山道大乘寺が国から借り受け管理している。

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