後醍醐天皇とは? わかりやすく解説

ごだいご‐てんのう〔‐テンワウ〕【後醍醐天皇】

読み方:ごだいごてんのう

[1288〜1339]第96天皇在位1318〜1339。後宇多天皇の第2皇子。名は尊治(たかはる)。天皇親政人材登用など政治改革努め鎌倉幕府打倒図ったが、正中の変(1324)・元弘の変1331)に失敗隠岐(おき)に流された。のち、脱出して建武の中興成功したが、足利尊氏(あしかがたかうじ)の謀反により2年余で新政府倒れ後村上天皇譲位吉野死去編著に「建武年中行事」など。


後醍醐天皇 塔尾陵
(ごだいごてんのう とうのおのみささぎ)

御陵写真 陵印
代   数 :第96
天 皇 名 :後醍醐天皇
ごだいごてんのう
御   父 後宇多天皇
御   母 談天門院藤原忠子
御 陵 名 塔尾
(とうのおのみささぎ
陵   形 円丘
所 在 地 奈良県吉野郡吉野町大字吉野山字塔ノ尾  如意輪寺
交通機関等 近鉄吉野下車  南東へ1.7km
陵印保管場所 畝傍陵墓監区事務所

後醍醐天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/24 08:13 UTC 版)

後醍醐天皇(ごだいごてんのう、1288年11月26日正応元年11月2日〉 - 1339年9月19日延元4年/暦応2年8月16日〉)は、日本の第96代天皇、および南朝初代天皇(在位:1318年3月29日文保2年2月26日〉 - 1339年9月18日〈延元4年/暦応2年8月15日[注釈 3]、治天:1321年12月28日元亨元年12月9日[1]〉 - 1339年9月18日〈延元4年/暦応2年8月15日〉)。尊治(たかはる)。




「後醍醐天皇」の続きの解説一覧

後醍醐天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 08:46 UTC 版)

白狐魔記」の記事における「後醍醐天皇」の解説

醍醐天皇尊敬しており、「後醍醐天皇」という名前は自分付けた

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後醍醐天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 01:54 UTC 版)

平野 (神戸市)」の記事における「後醍醐天皇」の解説

後醍醐天皇が、隠岐の島流され北条幕府軍反旗を翻した出発点である。太山寺古文書護良親王令旨により1333年2月15日兵庫嶋合にて、小平野庄(現在の平野)と六波羅探題勢力とが合戦をした。赤松軍の居城多多部城(再度山)の支城五宮神社の東隣り一帯で「安濃城」と呼ばれた字名である。この際には、平野村民赤松軍の陣営食料運搬手伝ったといわれる

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後醍醐天皇(ごだいごてんのう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 21:44 UTC 版)

バンデット -偽伝太平記-」の記事における「後醍醐天皇(ごだいごてんのう)」の解説

当今(第96代)の帝で、大塔宮の父。尊大だ強力なカリスマ性を持つ。落人狩り素手狩る最強天皇。石はただ一言「キョーレツ」と評する一度隠岐配流されるも、素手見張りの兵を制圧し嵐で荒れ狂う日本海小舟渡り復活するなど、常人離れした描写が目立つ。

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後醍醐天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 06:56 UTC 版)

平野 (兵庫区)」の記事における「後醍醐天皇」の解説

後醍醐天皇が、隠岐の島流され北条幕府軍反旗を翻した出発点である。太山寺古文書護良親王令旨により1333年2月15日兵庫嶋合にて、小平野庄(現在の平野)と六波羅探題勢力とが合戦をした。赤松軍の居城多多部城(再度山)の支城五宮神社の東隣り一帯で「安濃城」と呼ばれた字名である。この際には、平野村民赤松軍の陣営食料運搬手伝ったといわれる

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後醍醐天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 08:29 UTC 版)

青木文献」の記事における「後醍醐天皇」の解説

簡単な略歴と8人の皇子名(邦良親王尊良親王恒良親王成良親王後村上天皇護良親王宗良親王懐良親王)が記録されている。その内容は、ほぼ後醍醐天皇の通説同じだが、邦良親王後二条天皇第一皇子で後醍醐天皇の皇太子)という皇子の名前が異色。母は、談天門院藤原忠子(参議忠經の女)となっているが、継と經がよく似ているので誤写かもしれない

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