の‐の‐みや【野宮】
ののみや【野宮】
野宮
野宮
野宮
野宮
姓 | 読み方 |
---|---|
野宮 | ののみや |
野宮 | のみや |
野宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/11 02:53 UTC 版)
野宮(ののみや)とは、斎王に卜定された後に一定期間籠る施設。
概要
斎王は卜定の後に「やや神に近づく」ために世俗からの隔離措置が取られ、最初の一定期間を宮城内に設けられた初斎院(伊勢神宮の斎宮は1年間、賀茂神社の斎院は3年間)にて潔斎を行い、その後に野宮に遷って潔斎を続けた他、各種の儀式も執り行われた[1]。
伊勢神宮の斎宮の場合、初斎院から移って伊勢に群行するまでの1年間を過ごす施設を指し、卜定によって宮城郊外の浄野に設置されることとされていた(『延喜式』)。古くは天武天皇の時代に大来皇女が泊瀬斎宮に籠った例が知られ、平安遷都以後は主に嵯峨野もしくは西院に造営された。現在残る野宮神社・西院野宮神社・斎宮神社・斎明神社はその名残とされている。斎宮の野宮は当該斎王1代・1年間限りのもので、斎宮の群行もしくは退下の後に一旦取り壊され、新たな斎宮卜定後に新たに造営された。とはいえ、斎宮に仕える職員は男女145名(うち80名は初斎院時代より奉仕)おり、一定の規模が備わった施設であった。
脚注
- ^ 榎村『日本歴史大事典』
参考文献
- 渡辺直彦「野宮」(『国史大辞典 11』(吉川弘文館、1990年) ISBN 978-4-642-00511-1)
- 勝浦令子「野宮」(『日本史大事典 5』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-13105-5)
- 所京子「野宮」『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7)
- 榎村寛之「野宮」(『日本歴史大事典 3』(小学館、2001年) ISBN 978-4-09-523003-0)
関連項目
野宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 07:28 UTC 版)
詳細は「野宮」を参照 初斎院での潔斎の後、翌年8月上旬に入るのが野宮(ののみや)である。野宮は京外の清浄な地(平安時代以降は主に嵯峨野)を卜定し、斎宮のために一時的に造営される殿舎で、斎宮一代で取り壊されるならわしだった(野宮神社などがその跡地と言われるが、現在では嵯峨野のどこに野宮が存在したか正確には判っていない)。斎宮は初斎院に引き続き、この野宮で斎戒生活を送りながら翌年9月まで伊勢下向に備えた。なお、野宮は黒木(皮のついたままの木材)で造られ、このため黒木の鳥居が野宮の象徴とされた。『源氏物語』では前東宮と六条御息所の間に生まれた姫宮(後の秋好中宮)が「葵」帖で斎宮となったため、六条御息所がそれに同道することになり、「賢木」帖でこの野宮が光源氏との別れの舞台となり、後に能『野宮』の題材にもなった。
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