足利義政とは? わかりやすく解説

あしかが‐よしまさ【足利義政】

読み方:あしかがよしまさ

[1436〜1490]室町幕府第8代将軍在職1449〜1474。義教(よしのり)の子初め義視(よしみ)を養子としたが、実子義尚(よしひさ)が生まれるとこれを将軍にしようとして応仁の乱一因となった芸術愛好保護銀閣建立などにみられるこの時代文化東山文化とよぶ。東山殿

足利義政の画像

足利義政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 20:05 UTC 版)

足利 義政(あしかが よしまさ、永享8年1月2日1436年1月20日〉- 延徳2年1月7日1490年1月27日〉)は、室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代征夷大将軍[2](在職:文安6年4月29日1449年5月21日) - 文明5年12月19日1474年1月7日))。




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足利義政

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中世 (小説)」の記事における「足利義政」の解説

義尚の父。東山殿に住む。息子亡き後悲しみ打ちひしがれ衰弱し狂気の兆候が出る。ある日部屋入ってきた草色むした大亀澄んだ眼が忘れられなくなり、それを飼う。精霊の世界に心惹かれてゆく。

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足利義政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 02:32 UTC 版)

東山殿御庭」の記事における「足利義政」の解説

前将軍直接登場しているわけではないが、騒動の発端となった東山殿普請考えた人物東山文化担った人物には間違いないが、この作品の中では、御庭造り異常な関心持っている人物として一休には扱われている。

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「足利義政」を含む「東山殿御庭」の記事については、「東山殿御庭」の概要を参照ください。

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